徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

公人私人

2004-11-16 00:53:50 | LB中洲通信2004~2010
LB1月号用に“日本で一番有名な長嶋番”だったIさんの写真を手配。
亡くなられた時にはスポーツ新聞に大きく掲載され、ラジオ局でも特集番組が組まれたIさんだが、現在でも公人なのか、それとも私人なのか。またもや“担当者”の問題で頓挫しかかったが、結果的にIさんが所属していた放送局にお願いした。
そのキャラクターはプロ野球ファンの多くに愛されたし、勿論LBでも2年遅れでその死を悼む原稿になる予定なのだが……ちょっと考えてしまった。

原稿

2004-11-16 00:38:28 | LB中洲通信2004~2010
ニシムラヨシトモさんから「競馬記者」の原稿が届く。これが、結構面白い。

最近、職業的にライターをしていると変な説明癖がついてしまうのではないかと思っている。クライアントがあり、リクエストがあり、そこには「自分」は必要ない場合もある(ま、自分のことばっかりの原稿もうざくなるが)。
勿論説明ならば説明で徹底的にやればそれはそれで価値があるし(良い編集者になるには鬼のような知識を持った評論家と渡り合わなければならない)、短文の“紹介文”はライターの芸に近いものがある。ただ長文になってもそれができる“体力”はあるだろうか。わかりやすいのはサッカー専門誌にありがちな、ゲームの経過を追っただけのような戦評だ。あれは正直読んでいられない(戦術ヲタはそれで満足かもしれないが)。言ってみれば“引用文”ばかりの原稿に近い。ま、それもセンス次第だが。
自戒を込めて思うのは、面白くない原稿というのは説明的な原稿である。“調子が悪い時”はそれで逃げちゃうこともあるのだけれども、そういうのはたいてい掲載誌が送られてきても読まない。嫌悪感に襲われるからである。余程の名文家か、とてつもない知識のある評論家でもない限り、結局筆者本人のキャラクターが出てこない原稿はつまらなくなってしまう。どこか自分を切り売りしていかないと面白さは出てこないものかもしれない。だからライターって長生きしねえなぁと思うのだ(最近ライターの仕事していないが)。

ニシムラさんの原稿を読んでそう思った。現在、競馬界からは離れて仕事をされているそうだが、経験と知識と情報と筆者のキャラクターのバランスがとれている面白い原稿だった。これはLB1月号で是非。