徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

サポーターと掟

2008-05-18 02:53:49 | Sports/Football
浦和対ガンバ戦が盛り上がっている。
ピッチの内外で。
そういえば昨年は日本平でも同じようなことがあったが。
で、今回の<事件>直後に浦和の社長はこう発言した。

「仕返しから物を投げ合うのは良くない。こんな事態になって残念。(敵地で)挑発と取られかねない行為は避けるべきだとガンバ側と話をした」(藤口光紀社長)

この発言はまったく他クラブのサポーターには理解できないもので、さらにローカル番組でこの期に及んで審判批判をしている某サッカージャーナリスト氏の発言にも呆れた。しかし、他サポであるオレたちに理解できないのは当然なのだ。藤口さんの発言は誰でもない、レッズ関係者に向けて、そう言ったのだから(と思う)。

この藤口発言を読んで思い出したのが、宮崎学さんの「法と掟」だ。
書評「法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!」(柄谷行人)

サポーターというのは擬似的な個別社会なのだから、これは掟の世界に生きている。
起こってしまったことは「法」に照らし合わせて裁かれなければならないだろうが、法ではカバーしきれない、<はみ出してしまった思い>は何らかの形で救われなければならない。それが掟である。
今回、浦和の社長は行為自体は謝罪したものの、あくまでも<仲間>を守る発言をした。その点では浦和というクラブは、羨ましいぐらい見事に<掟>を体現化しているなあと思わざるを得ないのである。浦和サポーターのみならず、個々のプレーヤーのクラブへの帰属心の強さは、そんな意味で当たり前なのだと思う。これ意外と大事なことだと思うよ。
浦和だけで通用する掟があり、そして清水だけで通用する掟がある。

もちろん、これはサッカー(スポーツ)の世界に限ったことではない。
日々の生活の中でも感じていることだ。
目の前にいる人間が、ここ一番で自分を守ってくれないとわかった時に人は信頼するだろうか。やはり、どんなに自分が悪いとわかっていても、あえて<仲間>を守る人を信頼するだろう(「守る」という言葉を「共感」という言葉に置き換えてもいい)。
いくら貧乏でも、馬鹿でも、そういう<仲間>がいる人は本当に幸福なんだと思うのだ。そういう人になりたいね。

あ、でもレッズは好きではないですけどね。

(追記)
ちなみにこのエントリは“行為”を肯定しているものではないです。ここで書いているのは“それ”以前と以後の話であって、“それ”そのものは冷静な検証と適切な処置が取られるべきなのは仕方がないことです。本来“掟”ってのは内部にこそ強い拘束力が働くものだしね。