徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

その後

2008-07-31 06:36:32 | Works
火曜日その4。
17時頃に取材を終えると体調もだいぶ良くなった。
そのまま福岡空港へ向かいチェックインすると、ほどなくして搭乗時間となり、オレも大甲君もすぐに爆睡(すっかりアルゼンチン戦も忘れていた)。ほぼ定刻通りに着いたものの、東京は雷雨で山手線が止まっていた。今回は最後まで疲れた。
帰って、取材前に残っていたの原稿を少々。と思ったが、さすがにすぐ泥のように眠る。

床で。

ベストアメニティ/博多取材④

2008-07-31 06:19:02 | LB中洲通信2004~2010
火曜日その3。
15時からイムズの「キャトルセゾン 旬」で、雑穀、十六雑穀米メーカーとして知られる「ベストアメニティ」専務の内田幸子さんの取材。最近、本社のある久留米市内にオープンした、天然田園温泉「ふかほり邸」を中心に話を伺う。この旅館(といっていいのか…)、「邸」と呼ぶだけあって、もともと久留米市内に広大な敷地を持つ旧家を改築したもの。しかも部屋数はゆったりと(といっていいのか…)5室のみ。すべてにおいて、こだわりなのであります。以前取材させていただき、今回「ふかほり邸」の空間プロデューサーとしても参加された島津真由美さんにも話を伺う。

それにしてもキャトルセゾン 旬の入口にサガン鳥栖のチラシがあるのを不思議に思っていたら…調べてみれば「ベストアメニティスタジアム」の「ベストアメニティ」なわけで、今回の取材の趣旨とはちと違うけれども、この辺りのことも個人的に訊いとけばよかったなァ。

今回の博多取材は以上で終了。10月号(9月発行)から順次掲載していく予定です。

まめ丹/博多取材③

2008-07-31 05:36:05 | LB中洲通信2004~2010
火曜日その2。
12時から、1年ぶりに復活した博多の名物小料理店「まめ丹」の女将、森千代子さんの取材。

<博多の旬の味とおかみのきっぷのよさで全国に多くの常連客がいた、福岡市博多区の歓楽街・東中洲の小料理店「まめ丹(たん)」が3月末、42年続いた店を閉じる。(中略)東京五輪の翌年1965(昭和40)年に、同区中洲2丁目の国体道路沿いの場所に、トタン屋根、壁はベニヤ板の店を開いた。「外に出なくてもトタン屋根を打つ音で雨(降り)が分かるからいいねえ」。俳優の宇野重吉さんは死ぬまで、まめ丹を愛したという。>(西日本新聞夕刊 2007年3月14日付)

もはや女将さんや藤堂編集長の思い出話を聞くしか往時を知るすべはない。
現在は、春吉のホテル・イル パラッツォの近くにある。
復活に際して仲代達矢さんや大滝秀治さんの色紙(大滝さんらしい、良い言葉である)などが店内に飾られていた。

画像は<ちりめんじゃこ、塩昆布、梅干しは「宇野重吉の三点セット」として、いつしか名物となり、宇野さんの全国巡業にお供し、博多の名を売った>(同上より)という「宇野重吉の三点セット」で作っていただいたおむすび。酒を飲んだ翌日にはぴったりな味。


冷える/博多取材②

2008-07-31 05:14:03 | LB中洲通信2004~2010
月曜日その2。
続いて福岡市赤煉瓦文化館へ移動。

福岡市赤煉瓦文化館、「誕生100年祭」に向け市民の会発足

ホテルのチェックインの時間も近かったので、とっととこの日のホテルへ向かう。とにかく早く荷物を降ろして、何が何でもシャワーが浴びたいんのである。15時少し前にチェックインを済ますと、カメラマンの大甲君に3時間のフリータイムと伝え、オレはシャワーを浴びて、すぐ原稿1本。3時間きっちりかかる。

18時過ぎから藤堂編集長と合流し、中洲のすき焼き、しゃぶしゃぶ「ちんや」の女将、古賀人美さんの取材。取材後、すき焼をいただき、結構本気で感動する。やっぱし、きっちりした料理をきっちりした店で味わうことのも必要だなァ…これぞ博多のすき焼か。

@kuni-taiko

21時頃にリンドバーグへ行き、今回福岡に来ている出田さんと合流。出田さんとも4月に静岡で飲んで以来なので3、4ヶ月ぶり。その勢いで、超ド級に久しぶりで、まったく心の準備も、酔いも足りない状態のカラオケを経て(皆さん失礼しました)、そして今回もいつもの「弥太郎」で朝6時過ぎまで飲む。まだ、飲むったら飲む。
もう火曜日の朝。
案の定、強烈に腹を壊した。どう考えても寝不足な上に、喰いすぎ、飲みすぎ、そして冷えすぎ。腹は痛い。しかし暑い。暑いのでクーラーをかけるとまた腹が冷える。夏場の腹痛というのは、本当に最悪である。

那珂川辺りで出田さんと別れ、タクシーでホテルまで。
風呂で汗をかき布団に潜り込む。のんびり寝ている時間はないのだが、奇跡的に9時30分に目が覚める。それから1時間半、二日酔いと強烈な腹痛は風呂で身体を温めつつ、トイレと熱いお茶で何とか誤魔化せる程度まで復帰する。人間のカラダって何とかなるもんだなァ…実は何ともなってないんだが。

博多港/博多取材①

2008-07-31 04:29:08 | LB中洲通信2004~2010
日曜日の続き。
22時頃に大宮から帰宅。風呂に入ってから朝までに2本書かなければならない原稿に取り掛かろうとしたが、案の定1時頃で断念。
すでに月曜日。
床に突っ伏して3時間ほど寝てから、福岡取材の準備。編集のOさんに詫びのメールを送り、今回は持って行くつもりのなかったPCをバッグに詰め込んで、6時30分に家を出て羽田へ向かう。
午前中に福岡へ着くと、藤堂編集長より「夕方から取材」の指令。
ひとまずそれまでの間、撮れるものを撮っておこうということで博多港へ向かう。

クルーズ客船が博多港に入港-福岡の魅力をPRへ

博多は猛烈に暑い。太陽と空気の質が違う。

大宮公園雷大会/第19節大宮戦

2008-07-31 04:01:43 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
日曜日。NACK5スタジアムで「大宮対清水」戦。
スタジアムに到着したときには、雨こそ降っていたもののまだ空は明るく、何とかゲーム中は持つかとも思ったが、それはそれは甘かった。キックオフ直前になり、清水ゴール裏ではサンバ隊の刻むリズムに合わせていつもの手拍子が打ち鳴らされる。その最中に滝行のような猛烈な風雨がスタンドを打ちつける。伝説の台風レポーター阿部祐二ならばどんなレポートするだろうというぐらいのリアルな嵐。さすがにすぐさま「屋根のある場所へ避難」するようアナウンスが入る。入るのだが、ちょいと雨宿りするような、そんな収容スペースはない。ビジターサイドに限って言えば、ほとんどの人がその後1時間以上をずぶ濡れになったまま、立ったままで待ち続けることになる。
あんまり他クラブの運営をガタガタ言うのは趣味ではないのだけれども、ビジターサイドを完全に清水に開放していれば、少なくともスタンディングでフジロックのような状態で待ち続けるようなことはなかったのではないか。ほとんど身動きが取れないような状況に詰め込まれ、スタッフの誘導もアナウンスもなく40分以上放置されたのも、きっと、その余裕のない頭の悪いレイアウトが要因になっているのだと思う。
それでもほとんどの静岡人は、そんな極悪な状況を受け入れて楽しんでいた。
前日の隅田川花火大会のように三連、四連で真っ黒な空に光る稲光に盛り上がり、それに合わせるように雷神を歌い、ロコロコを歌う。雨雲が流れて、空が明るくなると今度は虹が現れ、虹と雷の競演。トラブルが起こっているようすは感じられない。まあ、しかし、冷静になって考えてみれば、こうなってしまうと大宮のフロントは温和な静岡人とカミナリ様に感謝すべきだろう。いや、本当。
ただし、あれだけの雨に晒されながらほとんど影響を感じさせない芝は素晴らしい。

そして19時30分にようやくキックオフ。
その直後、淳吾が小林慶行に削られて負傷交代。ハーフライン周辺で、この時間帯で、このような危険なタックルをする必要が一体どこにあるのか。
やられた方は迷惑千万だが、しかし大宮にはそうする必要が確かにあったのだ。
連敗中の上に、前節名古屋戦で4失点を喰らった大宮のホームゲームという、想像するだけでうんざりするようなゲーム前の状況を考えれば、こういう危険なタックルが繰り出されるような激しく、焦れた展開になることも容易に想像できる。しかし…。

樋口監督(大宮)「勝てなくて悔しい思いはありますが、連敗を止めたことは1つ前向きに捉えたい。球際の激しさ、セカンドボールを取る意識、前に行くアグレッシブさがいつも以上に出せた」

そんなことで「球際の激しさ」を表現されては困るのである。
前半の序盤はともかく、それ以外はかなり際どくゴール前まで迫っていたのは確かだが、非常に嫌な、燃焼度の低いドローで、いろんな面で大宮ペースに巻き込まれたという意味では課題が残る、とにかく疲れたゲームだった。

雷大会以外は。