徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

HOW TO 器

2011-05-02 22:40:29 | News
DOMMUNEの「緊急配信!TALKING about DEMO Part2!!!!!!!HOW TO DEMO」が一旦ブレイクしたのでテーリ・テムリッツを聴きながらちと感想。

技術論や方法論が語られると思っていたustは序盤から中盤にかけて実に下らない自己主張の場になった。
デモは自己表現の場ではあったけれども、個々の自己主張の場じゃないもんね。
本当にゴール裏と同じだ。
まあ何かを分断させたり、対立させたりするような言葉には気をつけたいものですね。

あのTwitterデモがアイコンを並べる形で視覚化されたとき、Twitterはビジネス仕様の仮想空間ではなくて、本物の仮想空間になったのかもしれない(我ながらベタだ…)。きっとあの画像を見た瞬間にTwitterがリアル社会とつながった実感を覚えた参加者は少なくなかったはずだ。

そしてやはり参加者を惹きつけたのは、その方法論と共に、ぶっちゃけ芝公園でも高円寺でもない、渋谷という場が大きかったんだと思う。東京は日本を象徴する器で、渋谷は器の中の器だもの。
それは空っぽの器なのかもしれないし、ごった煮の器かもしれない。

(追記)
ツイートの中に「サポーター気質」という言葉を見つけた。
組織論に内ゲバみたいなもんが芽生えるのはサポ気質のない人が自分のためにデモするからだろう。
要するにそういう輩は器がちいせえってことです。

(追記5月4日)
DOMMUNEに登場した関係者がTwitterで議論らしきものをしていたのを読んで思った。“つぶやき”ならともかく、クロストークの“発言”ツイートをガシガシ消してるってどんな気分だろう…。

当日の配信はそれなりに着地点があって面白かったのは間違いないんだから、この展開はちと尻つぼみ感はもありつつ…。
観ていた人たちってのは技術論的なものに加えて、Twitterが(オフ会とは違う意味で)リアルと直結したことについて「どう見られていたのか」「どう受け止められたのか」、いやそもそも「あれは何だったのか」確認したいわけで、それが“次”につながっていくんだと思うんだ。だから決して内容の問題じゃないと思うんだな。HOW TOというのは決して工程や収支を報告するだけでは見えてこないわけだから。

ということで
あの夜のDOMMUNEてソラノートと変わんないじゃん…。
な感じですな。
場の問題ではなかろうか。