徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

“論理”を生み出せる現実/「江戸にフランス革命を!」

2011-05-10 03:35:16 | Osamu Hashimoto
<歌舞伎に代表される町人娯楽は、時の政府=公儀から見れば“下らないもの”である。それは存在するけれども、それを“下らない”とするものにとってはなんの関係もない。関係ないものが存在することは、ただ「いたしかたない」というようなものであって、それをより「高尚であれ」などという干渉が生まれる訳もない(中略)問題が生まれるとしたら、それはただ一つ、関係ないものが関係を持とうとすること――その一つが批判である。下らない町人の為の娯楽が“現在の日常”に迫ってきてはならない。現在の風俗・事件を、そのままドラマとして脚色することを幕府が禁じたのはその為である。だから歌舞伎は“現在”という時間を中途半端に放棄して、ドラマの背景を“過去”に設定するという特殊な劇作術を持った。“日常”というものは、既に停止しているのである――“平和な現在”という状態の内に。“批判”とは勿論、この停滞を衝いて“未来”を要求することである。>

<演劇というひとつのものを挟んで、明らかに対立するような“論旨”が二つある。あって当然で、総論というものは、その総論を必要とする集団の数だけ存在するのが常識というものです。
 我々は、そこを忘れてしまった。総論といえば「一つですむもの」という考え方自体が“目的”というものを喪失してしまった、行動を喪失してしまった時代の退廃というものなんですね。現実がなければ論理だって存在しない。にもかかわらず我々は、論理だけを先に立てて、その論理を生み出すような現実が、果たして一体存在するのかどうかということを、考えてみようともしない。これは明らかな退歩ですね。
 我々にとって江戸が重要であることの意味は、多分一つしかない。それは“現実が論理を生み出すということが可能だった”ということだけ。
 我々は、単に“生み出された論理のその後”に生きているだけなのであって、果たして我々の生きている現実が、まともな“分担”なり“目的”なりを可能にする、生きて“論理”を生み出せる現実なのかどうかは分からない。>
(橋本治『江戸にフランス革命を!』青土社1990)


江戸にフランス革命を!

登録情報
単行本:458ページ
出版社:青土社 (1990/01)
言語 日本語
ISBN-10:4791750470
ISBN-13:978-4791750474
発売日:1990/01
商品の寸法:19.2x13.6x3.4cm