徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

終わったものは終わらず…/「天使のウインク」

2011-05-05 19:11:03 | Osamu Hashimoto
<高度成長時代段階の日本に、まだ「会社が嫌い」の変わり者人間が行くべき場所はなかった。しかし、会社員であることを志向しない「フリーター」というものが登場する。事態は一部で、「野球よりサッカー」になる。しかも、その社会状況を成り立たせる“一部”は、商品の売れ行きを大きく左右する若年層である。日本経済は根本で停滞していて、“売れる商品”はかなり限定したところにしか存在しないという状況が来ていた。Jリーグというサッカーは、かくして投資の対象となる。高度成長が行くところまで行った段階で、「辞めます」を平気で口にする奇っ怪な若い社員が増え、「フリーター」という言葉が公然と罷り通る。その段階で、Jリーグの設立はほぼ可能になっていた。Jリーグ誕生の年が「バブルがはじけた」と言われる年の翌年だというのは、だからとても重要なのである。
「日本のサッカー=Jリーグとはなにか?」――この答えは、「将来を期待されることなく勝手に育ってしまった管理社会の余剰部分」ということにしかならない。「Jリーグがプロ野球に取って代わる」ということは、「プロ野球からJリーグへと、スポーツの世代交替が起こる」ということで、それはすなわち、「日本の男達の間に世代交替が起こる」ということでもあった。しかし、“余剰部分”を生み出すような日本社会を作る男達の中に、「世代交替」という発想はない。だから、「今の子供はもう野球をやらないんだそうだ」の一言に、多くの男達は戦慄を感じなかった。サッカーで育った男達の中にも、「戦慄を感じさせよう」などという発想はなかった。それで、“余剰”から生まれたものは“新しい芽”にはならずに、新手の根無し草になる。終わることにピンとこない日本では、終わったものは終わらず、後から始まった新しいものの方が、先に息切れして倒れてしまうのである。一種の寓話のようなものが日本社会の現実だから、それでもしかしたら、日本人はまともに現実を問題にしないのかもしれない。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社2000/「サッカー社会と野球社会」より)


天使のウインク
<恐怖を克服しなくてなんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで。世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読し、“天使が目くばせするような”方向へ私たちを導くハシモトの問題作。><恐怖を克服しなくて、なんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで、世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読する。『中央公論』連載エッセイの単行本化。>

登録情報
単行本:302ページ
出版社:中央公論新社 (2000/04)
ISBN-10:4120030008
ISBN-13:978-4120030000
発売日:2000/04
商品の寸法:19.4x13.4x2.4 cm

正論の御旗

2011-05-05 02:09:16 | News
AXへ向かう途中、渋谷駅前で節電を掲げたパチンコ反対の署名活動に出会った。
彼らは一体何と戦っているのだろう。
きっと彼らは“何か”を出汁にして、“何か”を通して、“何か”を攻撃したいだけなのだろう。

そんな本音は隠して、そこではまさに、
「米英を消して明るい世界地図」(大政翼賛会 神戸支部)
「この本性を見よ!毒獣アメリカ女」(主婦の友)
「正義の一票は 善政の母」(朝日新聞)
「贅沢は敵だ」(精動本部)
「欲しがりません 勝つまでは」(朝日・毎日・読売)
という戦中の標語のようなことが大手を振って、しかも違和感なく行われている。それが2011年の東京である。

この震災を「戦争」に喩える人は少なくないけれども、あの災害の現場が「戦争」だとは思えない。
今、この状況が「戦争」なのであって、「戦争」はまだ続いている。
オレたちは東京の街中で、正論の御旗を奪い合いながら静かな戦争を戦っているのだとつくづく思った。
ますます異常事態だぜ。

俺の俺の声/SIONデビュー25周年記念SPECIAL LIVE

2011-05-05 01:49:12 | Music
大震災、そして原発事故の後、SIONは「今、必要なのは音楽じゃない」と言い切った。初めて読んだとき、その言葉に違和感を覚えたのは事実だ。SIONはこの現実に“ミュージシャンとして”向き合わないのか、と思いちょっとがっかりしてしまったのも確かだった。だからこの25周年ライブが改めて行われたことは嬉しかった。

この日は3人のゲストが登場した。その中のひとりにBRAHMANのTOSHI-LOWがいた。
「SIONの歌はSIONにしか歌えない」と言いつつ、彼は彼なりの「俺の声」を歌った。
福島原発で1号機が爆発し、続いて3号機が爆発した後、茨城に向かったTOSHI-LOWは大混雑する反対側の車線――つまり“福島”から逃げる人々を見た(TOSHI-LOWは水戸市出身)。そのときに車の中で流した一曲がSIONの「俺の声」だったという。
スーパーマーケットでミネラルウォーターを買い占める爺婆じゃないんだよ。パニックを起こしかけてカタストロフィの現実から逃げている人たちなんだ。これはショッキングな場面だったと思う。
そしてその現実はまだ続いている。
オレたちはどうしたってこの無責任な社会から逃れられるわけがない。ましてや音楽を自己表現に選んだ人間たちが“現在”に背を向けて活動を続けるのは困難だろう。「今、必要なのは音楽じゃない」=今、音楽に何ができるのか。それでも社会や現実の中でピンボールのように跳ねているだけ(のような)の“俺の声”を発し続けずにはいられない。
だからこそ、この日の「俺の声」は最高に心揺さぶられた。TOSHI-LOWはいい男だったなァ…。

SIONというのは基本的にマイナス、もしくはプラマイゼロの人生を歌う人である。そして極めて個人的な現実を歌い続けてきた人である。しかしマイナス、もしくはプラマイゼロだからこそ、その言葉はポジティブになる。そして、そのリアルな視点はいつでも社会を映し出してきた(時には反動的なほど)。
「ガード下」、「俺の声」、「マイナスを脱ぎ捨てる」が今回のクライマックスだったかな。個人的には2009年に川村カオリに捧げた「鬼は外」のような熱さを彷彿とさせた「ガード下」がベスト。あれは「2011年(現在)の俺」ですよ。

20周年記念のときにはナカスでがっつりと取り上げさせてもらった。それから5年、25周年のSIONは変わっていないと言えば変わっていないのかもしれないけれども、いや、やはり“現在”に生きているシンガーだと改めて思った。
それにしてもロングヘアのSIONは若く、かっこよくなった。

25周年おめでとうございました。
徳永英明も25周年みたいですけど。

<MUSIC DAY2011 GO!GREEN SIONデビュー25周年記念SPECIAL LIVE 2011.5.4SHIBUYA-AX>
●SION WITH BUN MATSUDA
01.午前3時の街角で
02.それさえあれば
03.(新曲)
04.紅(GUEST:SAICO)
05.夜しか泳げない
06.がんばれがんばれ
07.ガード下
08.(新曲)
●SION & THE CAT SCRATCH COMBO
01.住人
02.強くなりてぇ
03.Valentine
04.狂い花を胸に
05.俺の声(GUEST:TOSHI-LOW)
06.調子はどうだい
07.あそこへは
08.(新曲)
●SION WITH THE MOGAMI
01.街は今日も雨さ
02.通報させるくらいに
03.2月と言うだけの夜
04.SORRY BABY(GUEST:花田裕之)
05.からっぽのZEROから
06.石塊のプライド
07.Hallelujah
08.新宿の片隅から
09.マイナスを脱ぎ捨てる
●ENC1
01.お前の空まで曇らせてたまるか
02.風来坊
03.燦燦と
●ENC2
01.そして あ・り・が・と・う
02.砂の城
03.このままが



次、次/第9節 広島戦

2011-05-05 00:46:14 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
ゴトビ「我々はベストを尽くし、良いサッカーをして勝とうと全力を尽くしました。おおよそのゲームは、我々がコントロールできていて、チャンスも作れていました。しかし、皆さんもご覧のとおり、最後のラストパス、ラストタッチの正確性が欠けていたと思います。とくに後半は2回ほどそうしたオープンなチャンスがあったのですが、そこがターニングポイントになったと思います」(J'sGOAL 5月3日付

ホームゲームとはいえ目に見えて成長が実感できるのは嬉しいことだ。この日の清水は伸二が離脱していたとはいえ、高原の出来が素晴らしく、間違いなくゲームのポイントになっていた。逆に言えば翔のワントップに見られるような“収まりの悪さ”はあまり見られず、広島のパスミスの多さにも助けられたとはいえ、前線からの組み立てができていた。伸二不在でも前半から後半の失点までのようなゲームができれば、ナビスコカップ予選が始まる頃にはある程度の見通しができるのではないだろうか。少なくとも健太体制2年目のような手応えを感じつつある。
何よりもエディ、平岡をベースにボランチに入った岩下の存在感が大きかった。まだまだ正確さに欠ける場面もあったけれども、あの視野の広さ、チャレンジングなロングパス(サイドチェンジ)はチームの可能性を確実に拡げてくれるはずだ。残念ながらゲーム後にスタンドとのトラブルがあったようだが、そんな節穴自称サポは放っておいて、岩下の更なる成長に期待したい。
ということで内容は不満はなかったのだ、それほど。しかし攻勢をかけていた時間帯に結果的に押し込むことができず、カウンターで失点し、十数年ぶりにホームゲームで広島に負けた。
ただ、結果がついてこなかった。
残り十数分、焦燥感ばかりが目立ち、前節の横浜戦の横浜のように失点後の怒涛の攻めも見られることはなかった。あれではチームの成熟度では比較にならない広島に易々と逃げ切られてしまう。
時間をかけなければ仕方がない部分はある、しかし結果も出しつつ、というのは無理な注文であることはわかっているが、チームの状態が上向きなだけにもったいないゲームだった。
プレーヤーやチームにとってはハードではあるが、こういうときにゲーム間隔が詰まっているというのは悪くない。今はただ、次々とゲームをこなしていくしかないのだ。
次は7日、健太時代にはことごとく苦渋を舐めさせられ続けてきた天敵・名古屋戦。

淳吾、ぶっとばす。