<僕は時々日本人であることにウンザリします。むろんウンザリしてはいけないのですが、時々ウンザリするのです。近頃自意識過剰ということが言われていますが、我々日本人の場合これを自意識過剰というべきや行動過少というべきや甚だもって疑わしいと思われるのです。
日本人は宗教心を持たない代りに手軽な諦らめとあんまり筋道のはっきりしない愛他心とに恵まれてきました。元来情熱は一途に利己的なものであるようですが、日本人はこれまで情熱を追求することを教えられず、途中で抑え、諦めることに馴らされてしまい自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方に余計気にしたりするようであります。それの愚かしいことに重々気付き、又憎んでいても、長い習慣から脱けでることができません。(中略)
日本人の精神生活を性生活にたとえると全くオナニズム的ではないでしょうか? 性的な意味だけではなく、日本人の小説を読んでいると打たれる美の多くのものがオナニズム的な傾向を多分にもっていることに僕はよく気付くのです。けれども日本人が年中オナニズムにふけっているわけでなく、あたりまえの性生活だってチャンとやっているように、日本人の小説も所詮オナニズム的であることはまぬかれないとしても、もっと積極的な行為の生活へはいってゆく必要はあるでしょう。>
(坂口安吾『日本論』河出文庫1989「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」1935.7)
日本人は宗教心を持たない代りに手軽な諦らめとあんまり筋道のはっきりしない愛他心とに恵まれてきました。元来情熱は一途に利己的なものであるようですが、日本人はこれまで情熱を追求することを教えられず、途中で抑え、諦めることに馴らされてしまい自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方に余計気にしたりするようであります。それの愚かしいことに重々気付き、又憎んでいても、長い習慣から脱けでることができません。(中略)
日本人の精神生活を性生活にたとえると全くオナニズム的ではないでしょうか? 性的な意味だけではなく、日本人の小説を読んでいると打たれる美の多くのものがオナニズム的な傾向を多分にもっていることに僕はよく気付くのです。けれども日本人が年中オナニズムにふけっているわけでなく、あたりまえの性生活だってチャンとやっているように、日本人の小説も所詮オナニズム的であることはまぬかれないとしても、もっと積極的な行為の生活へはいってゆく必要はあるでしょう。>
(坂口安吾『日本論』河出文庫1989「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」1935.7)