徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

その瞬間まで/6.29~7.1首相官邸前抗議

2012-07-02 15:23:47 | News


どこでその瞬間――21時を迎えるか。それが問題だった。

延べ「20万人」が参加したという金曜日の官邸前抗議は、ただ「凄かった」としか書きようがない。
オレ自身は六本木通りの交差点あたりの歩道でコールを途切れさせないように、声を上げ続けることに集中していたので、最前線での下らない英雄主義的な、もしくは武勇伝的な連中が起こしたという「トラブル」は理解できないし、どうでもいいエピソードである(そんなものに付き合わされたスタッフには心から同情する)。

翌日の土曜の夜から大飯原発ゲート前での凄まじい抗議がustで中継されていた。
夜更けから抗議の声は「再稼動反対」という、これまで官邸前抗議の基調として叫ばれていた同じ言葉がまったく途切れることなくコールされ続けた。硬質で、揺るぎのない声、リズム。素晴らしく、感動的なコールだった。
その言葉を、その日の夕方にスタートした横浜でのTwitterデモでも叫び続けた。それは連帯の表明であり、「今、大飯で何が起こっているのか」というデモンストレーションである。第2集団にはドラムがいなかったせいかリズム感が微妙だった(ゴメン)コールリーダーの子には申し訳なかったけれども、ほぼそれで押し通した。



そして、どこでその瞬間――21時を迎えるか。それが問題だった。
横浜でのTwitterデモが終わった後、新宿に合流しようかと思ったのだけれども、デモ後のスピーチタイムで官邸前での座り込みがアナウンスされ、迷わず官邸前に向かった。19時過ぎに官邸前に着いたときはオレを含めて4名。途中、こちらの人数の少なさに足元を見たのか、右翼風の二人組がしつこく野次を飛ばしてきたが、さすがに直接絡んでくるようなことはなかった。結果的には10数人ほどが集まったか。

21時まであと30分ほどになった頃、警備責任者から「社会通念上、20時で終了してもらっている」との通告を受けた。
しかし制御棒が抜かれる「その瞬間」21時までやらせて欲しいとお願いした。「その瞬間まで、ここで」声を上げるために来ているのだから、「ご近所の皆さん」には申し訳ないがこれは譲れない。中心になって熱い声を上げていた兄さんはなかなか納得できないようだったが、今週も、そしてこれからも「ここで」声を上げ続けていくためには、警備と無駄なトラブルになるよりも、ひとまず納得してもらうしかない。こちらのお願いには明確な言葉として答えはなかったが黙認という形になったようだった。
大飯のゲート前と「ここ」はつながっているのだから、その瞬間まで、ぎりぎりまで声を上げ続けたい。もちろん「ここ」とは官邸前だけではなく、各地で声を上げ続ける人たちがいる場所のことである。そして声を上げ続けたという事実が今週の、そしてこれからの抗議につながっていく。
「一応、“20時まで”と言いましたからね」と言い残して警備責任者が立ち去った後、兄さんは再びスピーチし、男泣きした。
抗議の現場では貰い泣きしそうになる場面は少なくないのだが、さすがに熱いものが込み上げた。

今週は連日のように声を上げ(まあデモや抗議ばかりじゃないけれども…)さらにこの日の夕方には横浜で文字通り声を振り絞ってしまったので、さすがに、もう限界なぐらい、喉が潰れた。もはやいくら叫んでも、ほとんど声にならない。こんな大事な瞬間に情けない限りなのだが、それでもぎりぎりまで出涸らしのような声を上げた。
21時を数分過ぎ、「再稼動直後の官邸前」抗議は終わった。



終わった後にいつものように国会議事堂を抜けて霞ヶ関を通りながら声を上げる。官邸前が終わってから、あれほど出なかった声が出始めた。まあ、まだまだ終わりじゃねえぞってことです。