徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

出来上がった世界の中で/「恋愛論」

2012-07-15 20:56:36 | Osamu Hashimoto
<エスタブリッシュメントという言葉は〝支配階級〟や〝特権階級〟という風に使われていますけど、僕にしてみればそれは〝既に出来上がっちゃった人達〟というのが正解なように思われます。既に出来上がっちゃってるから、その前提に関しては「もうどうでもいいじゃない」とうそぶいていられる人達がエスタブリッシュメントだと僕は思います。
 有吉さんが言った「私達親子は、もう、一族から、バカにされて、バカにされて」という言葉を説明する時が来たようです。
(中略)有吉さんは文字通り下世話なことを御存知ないお姫様なのですが、実は、その人は下世話なことも御存知の〝作家〟になってしまったのです。
 ジャワの邸宅で幼時を過した有吉さんは、一旦日本へ帰って来ます。ジャワのお屋敷でお姫様暮しをして、そしてそれでも「日本というのはこんなものではない、もっともっと夢のように素晴らしい国だ」と言われ続けていました。でも、そう言われて日本に帰って来た女の子が見るのは、ジャワの最下等の民衆よりももっと貧しく汚い日本の農民の姿でした。そのショックが「こんなことでいい筈はない」という形で彼女の胸に刻みこまれ、後に『複合汚染』の著者という形になって表われます。有吉佐和子という人は、そういう形で社会的関心を持続させた人です。(中略)
 僕は有吉さんに対してドンドン遠慮のない口をきいていったんだけども、それは一番初めに「有吉佐和子をこわがるまい。有吉佐和子に敬語を使うまい」と決めていたからなのだ。僕にとって、〝尊敬した〟という事実は〝対等に向かい合わなければならない〟という義務を生むことだったから。
 有吉さんが怒鳴りまくってたことぐらい僕は知っている。でも、有吉さんが怒鳴るには、ちゃんと理由があったんだ。まともに向かい合えば、有吉さんは怒鳴ることなんてやめてたサ。有吉さんは、「どうして私を一人にするのよ! どうして私を敬遠するのよ!」って、ただそれだけを怒鳴ってただけだから。この、みんなが家の中に引っ込んじゃった、出来上がった世界の中で。>
(橋本治『恋愛論』講談社文庫1986/「誰が彼女を殺したか?」より)


恋愛論 (講談社文庫)
<まだ“常識”っての持ってます?もうメンドクサイから、俺の“初恋”の話しちゃうね。よかったら腰抜かしてね。現実に恋愛って存在しないんだよ。みんなサ、救済の“宗教”と恋愛をゴッチャにしてるんだよね。男って、恋すると“天使”になっちゃうし。それでもまだ、あなたって“常識”を持ってます?><出版社からのコメント:胸に突き刺さる20世紀の名著が復活! 愛というものは一般論で語れるが、恋愛は一般論では語れない。それは、恋愛というものが非常に個人的なことだから――。本書では、著者自身の初恋の体験をつまびらかにしつつ、読み手の心に響く「恋愛論」を展開。恋愛を、哲学を、著者個人の経験と論理で描ききる。幻のマンガ『意味と無意味の大戦争』も収録。><恋愛なんて幻想の最たるものだけど、それを求めざるをえない人間の気持ちだけは本物だ。恋愛を、哲学を、著者個人の経験と論理で描ききる。胸に突き刺さる20世紀の名著が復活!>

登録情報
文庫:299ページ
出版社:講談社 (1986/05)
ISBN-10:4061837907
ISBN-13:978-4061837904
発売日:1986/05
商品の寸法:15 x 11 x 1.4 cm

その視線の先にあるもの/7.13首相官邸前抗議

2012-07-15 15:53:35 | News


金曜日は恒例の官邸前抗議。
といっても今回は微妙な変化があった。警備サイドの事前通告によって車道開放は行わず、車道に鉄柵を設置、さらに「抗議エリア」を細かく分断するという規制が敷かれ、これにより先週、先々週と車道に拡がった「面」の抗議から、再び22日以前の歩道での「線」による抗議に戻った形になった。
しかし規制によって参加者が減るということは勿論なく、官邸前まで辿り着けないむしろ官邸の外に自然と分散していくことになった。個人的には参加者の激増で「官邸前であること」のプライオリティは低くなっていたし(勿論人がいなければ行くけれども)、周りを見渡せば抗議対象はいくらでもあるのだから「抗議の塊」が永田町や霞ヶ関エリアへと拡散していくのは、戦略的には理想的であったわけだ。
いつもならば財務省あたりで声を出しているのだけれども、この日は六本木通りの交差点で警備に「誘導」されてみた。



移動中に偶然、カメラマンの北野さんと遭遇(事前に来ることは知っていたけれども)。多摩のゆるいデモには参加した体験はあるようだけれども、「(トラメガを使うような)うるさいのが駄目」だと言う。抗議エリアが細かく拡散したせいなのか確かにちょっとエキセントリックなトラメガの声が鳴り響いている。
「誘導」に沿って歩いているとそこは国会議事堂正門前のファミリーゾーンだった。行き来が比較的自由で楽器を持つ人も少なくなく、穏やかな「ファミリー」ゾーンと言いつつ、そこもそれなりに熱いエリアで、怒りのドラム隊に喚起されながら熱い「再稼動反対」コールが繰り返された。
反対側の歩道に渡ってみると遠くから中途半端で不規則なジャンベのリズムが聴こえる。こういうときには強引にでも自分でリズムを刻んでしまった方がいい。クラップしながら終了の時間までコールを続けた。
目の前には真っ暗な国会議事堂が見えるだけである。

もはや視線の先が官邸前でなくてもまったく構わない。18時過ぎに到着した頃にはテツさんたちが激しい経産省前抗議を繰り広げていた。こんな風にそれぞれのエリアを移動しながら抗議を続けた人も少なくはないんじゃないか。文字通り通行の自由は制限されているとはいえ、数多くの人々の視線の先にあるのは官邸前という「点」ではなく、永田町・霞ヶ関エリアという「面」に拡がっている。それは去年の秋から冬にかけてデモから抗議へ行動のフェーズが移っていったときに夢想していたことである。



先週、TwitNoNukesの平野君が反原連を離脱することを表明し、今週にはbc君も主催から外れることを表明した。
この日も最前線である官邸前に限らず、交差点のあちこちで一部の参加者による警備や主催の「規制」に反発する姿が見られた。勿論99%の参加者は主催のメッセージを理解して20時には解散するわけだが、それでも一部の参加者や野次馬にとって車道開放拒否、鉄柵設置などというのは餌を与えるようなもので、どうでもいいようなことにまで彼らは噛み付く。今回も行動直後に、暴走を止めようとする運営スタッフに食って掛かる一部参加者についてのツイートがよく見られた。
一ヶ月で「官邸前抗議」の状況は一変してしまった。
運営が以前のように理念を謳い上げる組織から、もはや定期的に万単位の動員を想定した実務的な組織に変わって行く必要性はあるのだろうと思う。平野君とbc君が一旦抜けるというのはそういうことだと理解している。しかし、これは状況に応じた質的変化なのだから決してネガティブに捉える必要はないと思う。「官邸前抗議」が史上に残る大行動にまで拡大してしまった以上、これはもうどうしたって避けられない変化だ。
これからは「大人」の皆さんの出番だぜ、ということである。

今日、平野君とbc君は8月末、3ヶ月ぶりにTwitNoNukesとして渋谷でデモを開催するとツイートした。
いつでも立ち戻れる「ホーム」があることは素晴らしいことだ。また無色透明の旗を掲げたいと思う。