RED NOTE SCALEの「シュプレヒコール」を聴いてみて欲しい。
ここには2011年に渋谷であったことが謳われている。
もちろんこの曲自体は以前も聴いてはいたけれども、久しぶりに聴いていたら揺さぶられるものがあった。
「奇跡的な天気」も「青空の広がり」も「軽めのつぶやき」も「風にひらめくフラッグ」も「高まる声の音量」も「ビルの谷間つづくカラフルな列」も「スクランブル交差点の解放」も「高架下のにぎやかな反響」も、すべての場面が具体的に、鮮やかに目に浮かぶ。オレたちは疑いようもなく自分たちの行動を自己肯定していられた(自己満足に非ず)。
「見せること(伝えること)」「見られること(伝わること)」デモは手段ではあるけれども、行動する人間は主催も参加者も関係なく、紛れなしに透明でいられた。
「デモ」と「抗議」の違いはあるけれども、もはや官邸前抗議にはこんなにも美しい自己肯定は見られない(ヤッシーの白い風船は美しい光景を作り出しているけれども)。官邸前の「集会」には、「奇跡的な天気」はあったとしても、また引きこもり気味で耳が悪い首相はいても、そこには残念ながら「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスはいない。
官邸前抗議の場合、デモと違って「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスというのはメディアであったわけだ。
今晩、クローズアップ現代が官邸前抗議を取り上げていたけれども、再稼動を巡る攻防としてではなく、市民の動きとして取り上げるならそれは、いくら何でも遅すぎる。こんなことなら去年の夏に取り上げて欲しかった。
もちろん抗議にも美しい瞬間はやって来る。6月に入り8日、15日と、これまでの動員レベルを次々と〝突破〟していった瞬間には、「シュプレヒコール」に描かれるデモにも勝るとも劣らない高揚感と、美しく、熱い光景を現出していたのは確かだけれども、29日の官邸前から7月1日の大飯町での抗議行動(ust中継)をピークに、もはや「場」は完全に〝出来上がって〟しまった。
出来上がってしまったということは、要するにひとつのピークは過ぎたということでもある。
もちろんそれは流れが収束していくということではないだろう。中心点が「官邸前」から移動し、永田町・霞ヶ関へと拡がって行くことでまだ新しい人たちを巻き込んでいく余地はきっとあると思う…が、オレが共鳴したTwitNoNukesの理念だけは高く掲げられていても、現在の「官邸前」はもう以前とは別の場所だと思っている。
それでも29日の国会大包囲にも、来週の官邸前抗議にも頭数になりに行く。
あの場所は場所取りみたいな「政局」やってる場所じゃなくて「声を上げる場所」だぜ。
ここには2011年に渋谷であったことが謳われている。
もちろんこの曲自体は以前も聴いてはいたけれども、久しぶりに聴いていたら揺さぶられるものがあった。
「奇跡的な天気」も「青空の広がり」も「軽めのつぶやき」も「風にひらめくフラッグ」も「高まる声の音量」も「ビルの谷間つづくカラフルな列」も「スクランブル交差点の解放」も「高架下のにぎやかな反響」も、すべての場面が具体的に、鮮やかに目に浮かぶ。オレたちは疑いようもなく自分たちの行動を自己肯定していられた(自己満足に非ず)。
「見せること(伝えること)」「見られること(伝わること)」デモは手段ではあるけれども、行動する人間は主催も参加者も関係なく、紛れなしに透明でいられた。
「デモ」と「抗議」の違いはあるけれども、もはや官邸前抗議にはこんなにも美しい自己肯定は見られない(ヤッシーの白い風船は美しい光景を作り出しているけれども)。官邸前の「集会」には、「奇跡的な天気」はあったとしても、また引きこもり気味で耳が悪い首相はいても、そこには残念ながら「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスはいない。
官邸前抗議の場合、デモと違って「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスというのはメディアであったわけだ。
今晩、クローズアップ現代が官邸前抗議を取り上げていたけれども、再稼動を巡る攻防としてではなく、市民の動きとして取り上げるならそれは、いくら何でも遅すぎる。こんなことなら去年の夏に取り上げて欲しかった。
もちろん抗議にも美しい瞬間はやって来る。6月に入り8日、15日と、これまでの動員レベルを次々と〝突破〟していった瞬間には、「シュプレヒコール」に描かれるデモにも勝るとも劣らない高揚感と、美しく、熱い光景を現出していたのは確かだけれども、29日の官邸前から7月1日の大飯町での抗議行動(ust中継)をピークに、もはや「場」は完全に〝出来上がって〟しまった。
出来上がってしまったということは、要するにひとつのピークは過ぎたということでもある。
もちろんそれは流れが収束していくということではないだろう。中心点が「官邸前」から移動し、永田町・霞ヶ関へと拡がって行くことでまだ新しい人たちを巻き込んでいく余地はきっとあると思う…が、オレが共鳴したTwitNoNukesの理念だけは高く掲げられていても、現在の「官邸前」はもう以前とは別の場所だと思っている。
それでも29日の国会大包囲にも、来週の官邸前抗議にも頭数になりに行く。
あの場所は場所取りみたいな「政局」やってる場所じゃなくて「声を上げる場所」だぜ。