徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

精度と可能性/第16節神戸戦

2008-07-14 04:30:31 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
土曜日は日本平で「清水対神戸」戦。
午前中のバスで静岡へ向かったのでお昼に到着。七間町あたりをぶらぶらした後、早めにスタジアムへ向かう。
売店で新発売のフラッグ2種と150勝記念Tシャツを購入。んでもって、滅多に引いたことのないサイン会抽選クジ(グッズ1000円分購入ごとに1回引ける)を4枚引いたら、そのうち3枚当たり。
どうよ、この引きの強さ。精度の高さ。
いや、1枚でも…いやいや、むしろオレのキャラクター的には当たらなくていいんですけど…とも思ったが一応受け取り、いつものシートの近くにたまたまいた親子連れに声をかけ、無理やり2枚進呈(やっぱし1枚はもらうことにした)。この日のサイン会は児玉君。サポサンでもツーショット撮ったし、何かの縁だと150勝Tのど真ん中にでっかく書いてもらう。
うむ、今日はツイてる。
詳しくは書かないが、午前中からそんな気がしていたのだ。
物事はロジカルに組み立てていけばすべてが思い通りに収まって行くというわけはなく、運が占める割合は決して低くない。人生と勝負とはそういうものである。
しかし、そんなツキもゲームが始まるまでのことだった。内容は評価できるとは言え、ゲーム終了後は激しく凹んだ。

ロジカルなスポーツである野球などと比較すると、理不尽なスポーツであるサッカーの場合、運に左右される可能性が高い。サッカーというスポーツを数字ですべて表現できるとは思わないが、それでもこの日のゲームは数字が示す通り、内容としては清水のゲームだったと言える。
それでも負ける。
押しまくっていたのに得点が奪えない終了間際の嫌な時間帯に、この日のゲームで何回も中途半端なプレイを繰り返していた苦悩するアオが与えた久々のCK。J's GOALで前島芳雄さんも書いているように、神戸サポを除く、スタンドの観客もとても嫌な予感がしていたはずだ。
そしてそういうときの嫌な予感は的中する。

松田監督「今日特に清水が……セットプレーが何か穴があるなということも感じませんでしたし、ただしセットプレーから点を取られてるという事実はあるので、我々のセットプレーっていうのはやっぱり精度を高めて、確率を高めて行こうという話はしてました」(Sの極み 7月12日付)

フォーメーションと共に、サッカーの気まぐれな運をかろうじてコントロール(得点)できる可能性の高い戦術・戦略がセットプレーで、オフェンスにしてもディフェンスにしても、その可能性と精度を高めていくのがコーチの役割である。チームとしての戦術・戦略度の高い札幌、神戸にしてやられたのはむしろ当然だったと言えるかもしれない。
といっても、それまでゲームの流れの中で神戸に与えた決定機は数えるほどで、逆に清水の決定機はタイムアップへ向かってますます増え続けていた。可能性と確率は増えていたのだ。しかし残念ながらゴールへ迫る確率は増えても、それがゴールへの精度に結びつくとは限らない。シュートを撃たなきゃ何にも始まらないが、いくらミドルを撃っても、ゲーム前の練習でゴールに入らないシュートが本番で入る可能性はとても低いと言わざるを得ない。

健太「ただ勝負事なんで、勝負に負けてしまっては何も意味がないと。最後のセットプレーのところというのは、まあ前節もセットプレーから2失点してですね、選手たちもまあ気をつけてはいたという風に思うんですけど、まだその一瞬の隙を突かれてしまうという弱さはあるのかなと」(Sの極み 7月12日付)

内容は良かったにせよ、やはりこれはあまりにもダメージが大きい。
こうなると、古くから健太の応援横断幕に使われている文句ではないが、過去3年間、強いメッセージとカリスマでチームを引っ張り続けてきた「勝負師」の勝負運が下降気味になっていると思わざるを得ない。
やはり勝負師たるもの、自ら運と空気を引き寄せてナンボである。勝負運を引き戻し、その陰りを払拭するためにも、いよいよここからが勝負師の本当の正念場ではないか。周囲の声に対して対症療法的に振り回されるよりも、「この手」が有効だと信じているのならば、やはり「今の形」を最後まで粘り強く押し通すしかない。勝負事に特効薬などないのだから(いや、本当はあるけれども)、それもひとつの勝負の形である。軸が揺らぐことなく「自分たちのサッカー」を貫き通してきたからこそ、健太と若きプレーヤーは支持されてきたのだとオレは信じている。
名古屋戦のときにも同じようなことを書いたけれども、この日の神戸のプレーヤーたちが口にしているチームへの信頼や自信に満ち溢れた力強いコメントというのは、ほんの少し前に清水のプレーヤーが口にしていたコメントと同じはずだ。それは取り戻せるはずだし、ちょっとだけ取り戻して欲しいだけなのだ。
人間て、バカみたいな自信だけで十分幸せに生きていけるから。

パウロは京都戦の緩慢な動きからは信じられないほどアグレッシヴにプレーしたし、岩下や戸田、そして淳吾の負傷交代で入った兵働の闘志をむき出しにしたプレーもまったく遜色はなく、やはりチームの全体的なポテンシャルが落ちているとは思えない。笛吹けど踊らずならば全体の見直しも止む無しだろうが、決してチームの状態が悪く、内容も悪いとは思えない。1年半に渡ってチームを「支配」してきたフェルなき後の、この1ヶ月で「自分たちのサッカー」は再び見えてきたはずだ(何でこんなに中途半端な状態でおじゃんにする必要があるのか)。
あとは運でしかない。ならば運を引き寄せるための可能性と精度を高めるしかない。

今週木曜日の川崎戦を終えるといよいよリーグも折り返しを迎える。信じられないほど大混戦のJであるからして、上の見通しはまだまだ意外といいが、下の見通しももう絶望的になっちゃうぐらいにいい。今季、これまで何回かあった「契機」だが、さすがに今回の勝負所は逃して欲しくないものである。
木曜日は等々力、日曜日は日本平。ここからが面白くなるぞ。

まだツキがあった土曜日の午前中に購入したtotoを確認してみたら……自分の予想したtotoよりもBIGの方がハズレが少なかった…。予想の精度、低いなあ。

キープオン/「世界最速のインディアン」

2008-07-10 06:06:08 | Movie/Theater
世界最速のインディアン
The World's Fastest Indian/2005/ニュージーランド=アメリカ
監督:ロジャー・ドナルドソン
出演:アンソニー・ホプキンス、クリス・ローフォード、アーロン・マーフィー。クリス・ウィリアムズ
<ニュージーランドで年金生活を送る63歳のバートは、21歳のときに出会ったバイク“1920年型インディアン・スカウト”を心底愛していた。手作りで改良を重ねた愛車で、アメリカのユタ州、ボンヌヴィルの大会に出場し、世界最速記録を樹立することがバートの夢だった。苦労の末、旅の資金を調達し、周囲の人々に助けられながら、競技会場に到着した。ところが、インディアンは前代未聞のポンコツ車だと笑われ、出場資格なしと宣告されてしまう…。>
シネフィルイマジカ

シネフィルイマジカで『世界最速のインディアン』。齢63にして、愛車の1920年製インディアンで1000cc以下のオートバイ陸上速度記録を樹立したバート・マンローを熱く描いた作品。
ニュージーランドからスピードの聖地を目指しアメリカを横断するバート。初めてボンヌヴィル塩平原(ボンネビル・ソルトフラッツ/Bonneville Salt Flats)に立ったバートはひとり語り始める。

「デカいことをしたかった。ほかの奴らに出来ないことを。それでここに来た。ここはデカいことが起こる場所だ。陸上のスピード記録はここで作られた。この場所でね。“ブルーバード”を駆ったマルコム・キャンベル、人類初時速483キロ突破。息子のドナルドは563キロで潰れたが、無事生き残った。ジョン・コップもここで時速643キロを達成。偉大な連中だ。ジョージ・イーストンと“サンダーボルト”、ミッキー・トンプソンと“チャレンジャー”……ここは神聖な土地なのだ。その聖地に今立ってる」

雄々しく語られるべき栄光の物語、そして人間がいる場所というのが聖地なのである。バイクとスピード(インディアン)への妄信とも言える深い愛情を、平原の風景と熱い言葉で描くこのシーンは実に美しい。
そしていつの間にか、トラブルに遭いながらも飄々とひとつの夢に向かって突き進むバートを演じるアンソニー・ホプキンスがオシム爺さんのように見えてくる(ナリも似ている)。

「整備不良だ」
「43年乗って俺は生きてる」
「年齢オーバーだ」
「バカ言え。顔にしわはあっても心はまだ18歳だ。走りを見りゃわかる」

残り時間を後ろから数え始めた途端、熱に浮かされたように少年の心を持つ中高年というのはいまどき少なくないが、バートはおそらく何ひとつ変わらないまま少年の心をキープオンし続けた。そして彼は自分の夢と信念を雄々しく(時々説教臭く)語るだけではなく、その夢を実現する優秀なエンジニアでもあった。オシム爺さんぽいでしょ。アンソニー・ホプキンスが脚本に惚れて出演を決めたというのもよくわかる。やっぱり深い愛情と熱い夢は持ち続けておいた方がいい。そのためのちょっとした努力と運さえあれば、変り者だろうが、貧乏だろうが、何とか生きていけるものだろう。

人間の価値は 誰がいつ決めるのだろう
どう生きたなのか どう生きてくのか?(仲井戸麗市

ということで。

そして参考資料。
「バート・マンロー スピードの神に恋した男」(ジョージ・ベッグ/中俣真知子他・訳)

大いなる結論/ジャーニー・オブ・マン

2008-07-09 06:13:58 | Documentary
ナショジオで「ジャーニー・オブ・マン 人類の軌跡」(2005年)。
人類はアフリカに住む1万人ほどの祖先から始まり、インドを経由してオーストラリアのムンゴ湖周辺でアボリジニとなり、中央アジアで枝分かれした祖先のひとつは厳寒のベーリング海を渡って北アメリカでナバホとなる。そしてカザフスタンではひとりの“純血”の男が登場し、ホスト役の科学者スペンサー・ウェルズ氏から彼の2000世代前の祖先がヨーロッパ人となり、アジア人となっていったことが告げられる。人類の歴史は壮大な旅の歴史である、というロマン溢るる内容。いくら説明しても「アフリカ起源説は認めん!」という立場を貫くアボリジニも清々しい。それが彼の地で過酷な旅路を刻んだ末裔の矜持というものだろう。
そんなこんなでスペンサー氏が最後にカメラに向かって訴える美しい結論も容易に想像できるというものだ。

そして現在もなお進行中のプロジェクトが、<ジェノグラフィック・プロジェクト>オフィシャルサイトのアトラスを見るだけでもひとまず刺激的ではある。

で、美しい理念に対しては、当然のように生臭い批判が元からあったわけで、「われわれは、医療業界の利益につながる遺伝子マーカーを探しているのではない」てな反論はしていたものの、案の定、今年春のレポートでは、イタリアの遺伝学者氏の「この研究成果は今後、疾病の研究を含めた(後略)」云々なるコメントも違和感なく挿入されてしまっている。人間ってヤツァ、一度知っちゃったら行くところまで行かないと止められなくなるもんね。もちろん生々しい話になりかねないのはまだまだ先の話なのだろうけれども、こういう人たちは、誰もが批判や反論できないような“正論”や“正義”を発明してでも、きっと止まらない。理念が反転してしまう瞬間というのは怖いものだ。

そして、参考資料。
「アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路」(スペンサー・ウェルズ/和泉裕子・訳)
「イヴの七人の娘たち」(ブライアン・サイクス/大野晶子・訳)

時間切れ/第15節札幌戦

2008-07-08 14:30:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
西澤「良いグラウンドなんですけど、まあボールが全然走らなかったんで、ちょっと絡まる感じはありました」

和道「まあでもいろんなグラウンドあるから(苦笑)……まあでも球は走んないですよね、どう見ても。(中略)長いし、まっすぐ転がらへんし」
Sの極み 7月6日付)

遡って土曜日。
スカパーで「札幌対清水」。結果は同じドローなのだが、水曜日の鹿島戦のドローにあった充実感、燃焼感はそこにはなく、あまりにも凹んだのでゲーム終了後にすぐ寝た。こういうときは寝るに限る。好ゲームのあとに凡ゲームを繰り返すように、チームの調子に波があるのは今季に限ったことではないけれども、そんなチームも4年目を迎えているわけで、何でこの期に及んで同じ失敗を繰り返すのか、それがよくわからない。

西澤「(3点目を)取ったらもうね、まあゲームは終わってたと思うし。チャンスはあったと思うし。それをチームとして決め切れなかったっていうのは、まあこっからゲームを重ねていく上で反省として活かしていきたい」

和道「相手の得点の6割だかそれぐらいがセットプレー絡みなんで、『気をつけよう』って話はしてたんですけど(中略)良いボールが入ってくるのも、もうビデオ見てわかってたし、中でしっかり弾かないと」
Sの極み 7月6日付)

わかっているなら、わかっているなりにやれることをやるべきだ。
それが成長というものではないか。
それができないならば、実はわかっていないと思われても仕方がない。
プレーヤーがプレーでその成長を証明できる時間は短い。彼らの志の問題かもしれないけれども、<信頼>を今年のテーマにするのならば、信じている人間を失望させるようなプレーはすべきではない。
リーグは折り返しに近づいている。ケツに火がつく前に走り出さなきゃ時間切れになるぞ。

次は12日、日本平で神戸戦。

スセリさん

2008-07-08 13:52:03 | LB中洲通信2004~2010
月曜日。
下北沢・楽園で公演中オオタスセリさんの取材。袴田さんと劇場に入るとスセリさんどころか、すでにこの日のトークゲストである永六輔さんはいるは、プロデューサーの木村万里さんはいるは…永さんにコメントぐらいは頂きたいと思っていたのだけれども、インタビューにも参加していただいて急遽、短いながらも豪華な対談になった。またこの楽園という小屋が、かつての渋谷ジアンジアンを思い出させるようなスペースで、ジアンジアンの思い出トークも少々。
9月号に掲載予定です。

今日のスセリさんの公演、当日券が若干あるようです。

取材後POSYで打ち合わせ。

無情の世界/「水俣-患者さんとその世界-」「e-dreams」

2008-07-06 08:44:35 | Documentary
NHK-BSで、土本典昭監督追悼企画『水俣-患者さんとその世界-』。
今回放送されたのは完全版で2時間47分もの長さ。モノクロームの異様な暗さ(光と陰)と、この時代のドキュメンタリー特有の尋常ではない対象への迫り方で3時間近い時間、映像の中へ視聴者をぐいぐい引きずり込んでいく。土本作品はアフガン物しか実際に観たことがなく、水俣はテレビで短い資料映像を見掛けるか、資料でしか読んだことがなかったのだけれども、さすがに傑作に違わないエネルギッシュな映像。こういう作品を観ると、山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局から購入した60年代以降の日本ドキュメンタリー映画史のカタログを引っ張り出してきて、観なきゃいけないニッポンのドキュメンタリーに思いを馳せたりする。

一企業と個人の関係などというものは<水俣>の昔と大して変わったとは思えないし、むしろ状況はますます複雑怪奇に悪化している。
この世はマトリックスの世界なんですよ。

続いてヒストリーチャンネルでアメリカのITバブルの光芒を描いた『e-dreams~IT長者になれなかった男』。
<アメリカのインターネットベンチャー「Kozmo.com」スタートからの急激な成長、そして突然の終焉までをお届けする。(中略)20代半ばにして一流企業を辞職し、わずかな貯えと豊富なアイディアの全てを注いでインターネット企業「Kozmo.com」を創立。2億5000万 ドルもの投資を受け、IPOを目指してビジネスシーンに旋風を巻き起こしたのだが…。>(ヒストリーチャンネル
ネット販売サイト「Kozmo.com」を立ち上げた若き在米韓国人起業家ジョセフ・パークとヤング・カン。立ち上げから驚くべき急成長、IPOを目前にした狂乱のパーティーでの絶叫、そしてあっけない崩壊と、カメラはずっとジョセフに密着する。これが(おそらくジョセフたちと同じアジア系)ディレクターが意図したストーリー……なわけはないのだが、ひとりの青年が体験した、わずか3、4年の、文字通りバブルの光芒を切り取った面白い作品になっている。DVDサイトでホリエモンがこの興亡についてコメントしているのもとっても皮肉。

やっぱし、この世はマトリックスの世界なんですよ。
結局、事業に失敗した彼らは「他人に任せたのが失敗だった。自分がすべて決断すればよかった」と悔やむ。しかしマトリックスの世界に「自分」などあるはずがなく、所詮AIマシン軍団に操られる(飼育される)存在でしかない。もはや20世紀末にいたってマトリックスは完成しているのだ。その残酷で無情の世界(You Can't Always Get What You Want!)で「自分」を保つには、もはやアンダーグラウンドに潜行するか、「自分」の目が行き届く範囲の家内手工業でマトリックスの世界とつきあっていくしかないのよ(以上、『e-dreams』と『マトリックス』と『ザ・コーポレーション』をごっちゃにして書いてますが)。

さて今週から北海道で洞爺湖サミットが始まる。サミットといえば反グローバリゼーション。近年はアンチグローバリゼーション勢力の反対運動が恒例になっている。
あれ、要するにマトリックスと戦ってる人たちなんですよ。

マトリックス話はまた改めて続きます。

ナミさんDAY

2008-07-04 03:46:21 | Music
発送作業をして急いで初台に向かう。
ということで、初台のThe Doorsで<DAED FLOWER Presents 南正人 初台ライブシリーズVol.1 ナミさんDAY>。7月3日ということで<ナミ>さんDAY。
事前にナミさんと成田ヒロシさんとロフトの加藤さん(40代代表)には挨拶したものの、30代以下の参加者の人達は名前も知らずに、事前の打ち合わせはほとんどなしで19時過ぎに第一部<ビートを語る>がスタート。進行のナミさんとヒロシさんのトークを中心に、他の参加者はビートとの出会いについて、ほとんど一言ずつで応える形で<ビートを語る>序章みたいな感じ。まあトークライブは継続的にできればもっと面白いと思うんだけど。その後のライブは猛烈に盛り上がってましたが。

で、今回はトークライブは、ナミさんの<右脳>で選んだという、各世代の人間が呼ばれた。ステージに上がったのは20代、30代、40代、60代、それぞれふたりずつ(だったかな)。途中に70代の飛び入りも参加。正直言って20代、30代はやっぱし若いのだ。で、ナミさんとヒロシさんたち60代ももう何かを潜り抜けた感じですっかり若かったりする。ああいう場所に立つとどうみても40代って一番老けているんだよ。何よりもまず髪の毛が短くなっていくのだ(あくまでも、薄い、ではない)…我ながらオヤジ臭いなあ…いや別に長髪にしても、髪の毛をオレンジ色にしても構わないんだけど。
そして若い彼らは<ビート>を、それでも自分のリアルとして語る(語ろうとする)。
これ、実に大事なことなのだ。

2006年12月号で特集したナミさんの言葉で一番好きなフレーズを思い出した。
<みんな、いかにその時間をワイルドに、ご機嫌に、ハイに通り抜けていくか。それだけしか考えていなかったと思うよ。中途半端に遠い未来だとか、そんなこと考えていなかったよ。>

最近は<中途半端に遠い未来>に足を絡め取られてる感じ、するよなあ…トーク後は、とっても地味に凹んでたりした。まあそれがオレのリアルって言えばリアルだし、オレにとっての<ビートの現在>だったりするんだけれども。
で、ビートって何だ?
9月号でレポート予定。ライターって仕事はこういうときは実に便利だ。

参加者のみなさん、お疲れ様でした。

8月号到着

2008-07-04 02:34:54 | LB中洲通信2004~2010
中洲通信8月号到着。
今回の特集は競馬評論家で、伝説のギャンブル作家の塩崎利雄さんをメインに「祭のあと」。塩崎さんの作品は、毎週日刊ゲンダイに掲載されている<ウィークリー馬券小説>「止まり木ブルース」を除けば『極道記者』のみ。しかしその渾身の作品(実は、ご本人はそうでもないらしい…)が日本を代表する賭博小説、ピカレスクロマンと評価されている。当然フィクションではあるものの『極道記者』の松崎から「止まり木ブルース」の健坊へと綿々と続く男の生き様は塩崎さんそのものだったりするのだ。昨年刊行された『実録極道記者』をベースに話を伺いました。
その他、ポスターハリスター笹目浩之さんの演劇ポスターインタビュー、ナンシー関大ハンコ展レポートなど。

池袋から神楽坂の事務所へ寄り、編集部分は本日より続々発送中。

石丸さん再取材

2008-07-04 02:18:10 | LB中洲通信2004~2010
昼過ぎから池袋でアディーレ法律事務所、弁護士の石丸幸人さん取材。以前取材した内容に付け加えるように話を頂く。オフィスの中での取材だったのだけれども、開業して4年ほどというのが信じられない勢いを感じる。これも“正義”のニーズに応えた結果ということか。石丸さん自身からは所謂野望のような生々しい印象は受けないのだけれども…それも彼のキャラクターなのだろう。
9月号特集は石丸さんをメインに<正義のミカタ>(仮)。

それがサッカー/ナビスコカップ準々決勝第一戦 鹿島戦

2008-07-03 09:09:41 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
原稿が間に合わなかったので、結局スカパーでナビスコカップ準々決勝第一戦「鹿島対清水」戦。
まあ当然異論はあるだろうけれども非常に興味深く面白いゲームだった。言ってみれば2006年のエコパ浦和戦に近い超絶ディフェンシヴな内容なのだけれども、岩下、山ちゃんのサイドは上がらず、テル、ホンタクのボランチはスペースを埋めまくり、実質1トップの一樹ですらハーフラインをほとんど超えることなく、ほぼ完璧に中を締め上げる。苦し紛れのクロスを入れられても和道、アオがとにかく弾き返すというのは2006年以来、清水のストロングポイントなのでほとんど問題がない(むしろストロングポイントを再確認、再認識した)。時間を追うごとに鹿島が焦れて不完全燃焼を起こしているのは明らかな展開で、90分が終わった時点での燃焼度は間違いなく清水の方が高かっただろう。180分のうちの90分(しかもアウエイ)という意志を貫き通した点は評価すべきだ。

小笠原「あれはないでしょ」
岩政「理解できない。こんなサッカーをしてきて、第2戦では後悔させる結果を出したい」
スポーツ報知 7月3日付

そんなことは知ったこっちゃないです。
開幕前からナビスコカップ決勝トーナメントではグループを一位で通過し、鹿島と戦うことをひとつの目標としていた健太の戦い方を「あれ」だの、「こんな」だの言われる筋合いはまったくない。少なくとも今の時点で言われる筋合いはない。ましてやゲーム中ならともかく、終了後までもフェアネスを欠いたプレーヤーになんか言われたくない。だから前から言っているのだ。鹿島との戦いはサッカー観との戦いなのだ。
ただし今度は健太もこのままでは終わらないだろう。来月の日本平が楽しみになってきた。

告知

2008-07-03 08:23:54 | Music
ナミさんと成田ヒロシさんのビートトークになる模様。
お時間のある方はぜひいらして下さい。
「最初の考えが最高の考え」ということでオレは何も考えてませんが。

=DAED FLOWER Presents= 南正人 初台ライブシリーズ Vol.1 ナミさんDAY
■出演者 
南正人(ゲスト有り)
第一部:トークタイム=ビートに迫る=
司会進行:南正人
ゲスト:20代、30代、40代、50代、各世代より
第二部:南正人ライブ
※珍しく何かを企んでいるらしい。
■OPEN18:00~START 19:00 
■前売¥2500/当日¥3000

心の問題/世界最強の男

2008-07-02 01:47:04 | Documentary
ナショジオで「世界最強の男」(原題:Superhuman)
構成は「ステロイド(Steroids)」「超人(Strongman)」の二部構成。トレーラーを曳いたり、レンガや氷を砕いたり、手錠(ホンモノ)を軽々と引きちぎるストロングマンコンテスト出場者を科学的に分析する「超人(Strongman)」は、エンタテインメントする筋肉をわかりやすく解説する。
一方、どちらかというと本題である「ステロイド(Steroids)」はヘヴィだ。
例えば子ども用の人形。60年代はより普通の人間に近い筋肉を再現していた人形が90年代になると数倍の(つまりストロングマンコンテスト並の)筋肉を持つ人形が目立つようになる。もちろんフランケンシュタインや超人ハルクのようなモンスター級の筋肉を持つアイコンは昔からいたはずなのだが、90年代以降はよりその傾向が顕著になっていると分析する。筋肉にはそれほど興味はないが、漫画やアニメに登場する女の子キャラが揃いも揃ってロリ顔で爆乳なのも、要するにそういうことなのだと思うのだ。
人間は判りやすくないことに耐性を失い続けている。
人間が判りやすかったりした時代などないのだが。
またヒットした新書『人は見た目が9割』を例に引くまでもなく、新書も<タイトルが9割>で売れるわけで、シチメンドクサイ個人の内面よりも見た目一発が推奨される。そういや90年代は「心の時代」とか言われてたような気がするけれども、すっかり今やシチメンドクサイことは何でもかんでも「心の闇」で済まされてしまう。またそれ以上踏み込まないことが暗黙の了解でもあるのだ。これでは、判りにくいこと、それ自体が悪の根源と言わんばかりである。

番組中に登場する医師はステロイド常用者のこんな発言を引く。
「スーパーマンになれるのにクラーク・ケントのままで満足できるはずがない」
ステロイドや薬物にまつわる事柄は、すべてが「心の問題」であるのは言うまでもない。

あ、もはやレーザーレーサーも何となく「心の問題」だと思いますが。