大震災、そして原発事故の後、SIONは「今、必要なのは音楽じゃない」と言い切った。初めて読んだとき、その言葉に違和感を覚えたのは事実だ。SIONはこの現実に“ミュージシャンとして”向き合わないのか、と思いちょっとがっかりしてしまったのも確かだった。だからこの25周年ライブが改めて行われたことは嬉しかった。
この日は3人のゲストが登場した。その中のひとりにBRAHMANのTOSHI-LOWがいた。
「SIONの歌はSIONにしか歌えない」と言いつつ、彼は彼なりの「俺の声」を歌った。
福島原発で1号機が爆発し、続いて3号機が爆発した後、茨城に向かったTOSHI-LOWは大混雑する反対側の車線――つまり“福島”から逃げる人々を見た(TOSHI-LOWは水戸市出身)。そのときに車の中で流した一曲がSIONの「俺の声」だったという。
スーパーマーケットでミネラルウォーターを買い占める爺婆じゃないんだよ。パニックを起こしかけてカタストロフィの現実から逃げている人たちなんだ。これはショッキングな場面だったと思う。
そしてその現実はまだ続いている。
オレたちはどうしたってこの無責任な社会から逃れられるわけがない。ましてや音楽を自己表現に選んだ人間たちが“現在”に背を向けて活動を続けるのは困難だろう。「今、必要なのは音楽じゃない」=今、音楽に何ができるのか。それでも社会や現実の中でピンボールのように跳ねているだけ(のような)の“俺の声”を発し続けずにはいられない。
だからこそ、この日の「俺の声」は最高に心揺さぶられた。TOSHI-LOWはいい男だったなァ…。
SIONというのは基本的にマイナス、もしくはプラマイゼロの人生を歌う人である。そして極めて個人的な現実を歌い続けてきた人である。しかしマイナス、もしくはプラマイゼロだからこそ、その言葉はポジティブになる。そして、そのリアルな視点はいつでも社会を映し出してきた(時には反動的なほど)。
「ガード下」、「俺の声」、「マイナスを脱ぎ捨てる」が今回のクライマックスだったかな。個人的には2009年に川村カオリに捧げた「鬼は外」のような熱さを彷彿とさせた「ガード下」がベスト。あれは「2011年(現在)の俺」ですよ。
20周年記念のときにはナカスでがっつりと取り上げさせてもらった。それから5年、25周年のSIONは変わっていないと言えば変わっていないのかもしれないけれども、いや、やはり“現在”に生きているシンガーだと改めて思った。
それにしてもロングヘアのSIONは若く、かっこよくなった。
25周年おめでとうございました。
徳永英明も25周年みたいですけど。
<MUSIC DAY2011 GO!GREEN SIONデビュー25周年記念SPECIAL LIVE 2011.5.4SHIBUYA-AX>
●SION WITH BUN MATSUDA
01.午前3時の街角で
02.それさえあれば
03.(新曲)
04.紅(GUEST:SAICO)
05.夜しか泳げない
06.がんばれがんばれ
07.ガード下
08.(新曲)
●SION & THE CAT SCRATCH COMBO
01.住人
02.強くなりてぇ
03.Valentine
04.狂い花を胸に
05.俺の声(GUEST:TOSHI-LOW)
06.調子はどうだい
07.あそこへは
08.(新曲)
●SION WITH THE MOGAMI
01.街は今日も雨さ
02.通報させるくらいに
03.2月と言うだけの夜
04.SORRY BABY(GUEST:花田裕之)
05.からっぽのZEROから
06.石塊のプライド
07.Hallelujah
08.新宿の片隅から
09.マイナスを脱ぎ捨てる
●ENC1
01.お前の空まで曇らせてたまるか
02.風来坊
03.燦燦と
●ENC2
01.そして あ・り・が・と・う
02.砂の城
03.このままが