音もなく春の雨が降っています。
書こう、書こうと思いつつ、お友だちのところもなかなか訪問できないでいるのに、と後ろめたく、でも、今日は4月1日、新しい始まりですから、少し書いてみたく、パソコンをあけてみました。
朝日新聞では今日から夏目漱石の「それから」と沢木耕太郎「春に散る」という小説の連載がはじまりました。
夏目漱石ファンを自認していたのに、これまで再掲載されていた「こころ」も「三四郎」も内容をほとんど記憶していなかったという事実に愕然として、今日また「それから」の主人公が代助であったことも記憶になく、ほとほと情けないと落ち込んでいます。
まあ、でも、こんなものでしょう、わたし、って、と自らなぐさめというか、あきらめというか、「人間は健康のために生きているのではない」という言葉を思い起こして気を取り直し、生きていくことにいたします。
そして、その気を取り直すのがうぬぼれにつながるのだと、あらためて感じたことがあります。
朗読ボランティアをやめても、やはりいつかまた、何かのお役に立ちたいと朝日新聞の「天声人語」は声を出して読む習慣にしています。もっとも、正確なアクセントを調べたり、とかはしていませんが。
今日は漱石と沢木耕太郎を読んでみました。うん、なかなかいい、これなら、もし目の不自由なかたから依頼があっても初見で読めるかも、なんて。
でも、おそらくはそうでないと、自覚しなければならない事実がついこの前のことでした。
1年半ほど前から始めた英会話スクールでの先生が開催する、春休みの「東日本大震災へのチャリティ英語会」(今年で4回目)のプレゼンターをすることになり、こんな機会はもう2度とないだろうから、と引き受けたのでした。
”新たなチャレンジで輝いている中高年の皆さんによる簡単な英語のプレゼン”
テーマはクィーンエリザベス号航海記、このブログに掲載したものをかいつまみ英訳し(なにしろ50年ぶりの英作文、この作業が大変でなかなか出来上がらず)出来上がりを先生に校正してもらいましたが、なんだか意味が違うようになった気がしたり、どの写真をどこに挿入するか、とかで、スピーチの練習はかなり差し迫ってからはじめたのでした。
何度か声を出して読んでいるうちに、なんとなく上手になったような気がして、どんなかなぁ、と録音してみたのです。
うー、(~_~;)このままではひとさまの前でさらすわけにはいかない、と思うくらいのひどいものでした。
いつも間際にならないとできない性格、でも、いつもなんとかなってる、と思うイヤなうぬぼれ性格、直りません。
どんな姿勢でどんな調子だったか客観的に、とiPadもICレコーダーも用意していたのに、なんだか誰にも頼めずじまいにプレゼンがはじまり、終わってしまったのでした。。
”本当に”輝いていたであろう高校生の時の英語弁論大会での1位の賞状を断捨離で捨ててしまったのをいまさら悔んでいます。(でも、悔んではいますが、押し入れにしまったままの賞状なんか、あっても無くっても同じことなのだとも思っています。)
ともあれ、かけがえのない経験をさせてもらえたわけですから感謝しなくては。
少々落ち込んでいますが、また”輝ける”中高年に復活しなくてはなりません。