オーシャン東九フェリーで有明に着いてからのお話です。
今回東京入りしたのは日光街道を漕ぐため。
まずは有明からスタート地点の日本橋へ移動する必要があります。
ただ、あんまり都市部で鉄道を使うのもよくないのかな…と思ったり。
まだ6時なのでゆりかもめとか空いてそうですが、鉄道で行くと乗り換えが要るしなぁというのもあって有明から自転車を借りて進むことにしました。
私はHELLOCYCLING大好きで今回の日光街道サイクリングもHELLOCYCLINGを使うことを前提に考えているわけです。
日光地区にHELLOCYCLINGステーションが設定されていて乗り捨て利用が出来てかなり親切(?)なんですよね。
ただ、東京都市部の中心近くではドコモバイクシェアに押される感じで結構少ないんですね。
総武緩行線と東北本線を境に上野や浅草の周辺はHELLOCYCLINGのエリアですがその他は結構疎らです。
元々旧五街道サイクリング拠点基地として日本橋兜町にステーションが設定されており、私もご利用させていただいていたのですが残念ながら消えちゃったんですよ…
さて、最初に借りたドコモバイクシェアですが、相変わらず状態がひどい個体が多いですね。
1枚目の画像でもわかりますが、前輪の泥除けとかひどいことになっちゃっています。
まあすぐにHELLOCYCLINGに乗り継ぐしいいかと漕ぎ出すものの空回り。チェーンが外れてますねこれは…
もう知らんとすぐに返却処理して借り直し。超短時間で返却すると料金の請求がないのは親切ですがそれにしても状態が悪い気がします。
サービス開始から結構立っていて老朽化が進行しているのもわかりますが、HELLOCYCLINGと比較して東京のドコモバイクシェアはちょっとひどい状態の個体が多すぎる気がしますね。
ただ、恐らく置き換えも進行しているんでしょうね。カゴが樹脂製の借り直した個体は綺麗で満足でした。
6:00 有明駅前を出発。
有明から日本橋へ向かいます。あれが話題のオリンピック会場ですか。
6:18 勝鬨橋
可動橋であった頃の機器室や信号機が残っているのがかっこいい。
子供の頃の両津勘吉が勝鬨橋を無理やり動かすエピソード好きなんですよね。勝鬨橋といえばこち亀ですよ。
6:40 日本の道の原点。東京日本橋が見えてきました。
東海道・中山道を漕いだ時はゴール地点としていましたが今回は日本橋をスタート地点としています。
日光までは峠もなく終盤少し山がありますがほぼ平坦な道のりといっていいですし、やっぱり江戸から日光参りをする向きで漕いでおきたいなぁと思いまして。
この時間だとまだ人は少なめなんですね。テレワークが進んでいたりとかそういう事情もあるのかもしれませんがちょっと意外でした。
さて、ここから日光街道を漕ぐ前に…
HELLOCYCLING日本橋兜町ステーション跡地を参拝し道中安全をお祈りしておきます。
日光街道を漕ぎ始めてすぐですが、小伝馬町近くの十思公園でドコモバイクシェアを返却。
東海道を漕いだ時に泊まった東横イン東京日本橋がこの近くで実はこのポートは使ったことがありました。
ここから歩いて3分ほどでHELLOCYCLINGステーションに乗り継ぎが可能です。
…が、これはひどい状況ですね。一応借りられる状態みたいですが。
早々にHELLOCYCLING相互間で乗り換えて100%個体を引き当てねばなりません。
6:59 イトーピア岩本町一丁目ビルステーション出発
7:11 浅草橋駅
ちょうど千葉から来るあずさ3号が見られました。狙ってないのにこれ見られたのは結構運がいいのかも。
7:23 京成パーク蔵前第1ステーションで返却。
利用時間20分で140円と都心部シェアサイクルとして一般的な利用をしてしまいました。
あくまで車両交換のために来たわけですが、折角なのでやよい軒で朝ご飯を食べていくことに。
小雨がぱらつく天候だったので温かいお味噌汁が染みわたります。
7:40 PAL蔵前ステーションを出発。
返却したところと違って大通りから1本入った場所で、かつマンスリーマンションの建物1階駐車場内にステーションがあるためか綺麗な個体がそろっています。
岡崎公園前で借りたときも思いましたが、こういう奥まったホテルとかの敷地内のステーションって優良個体がピカピカで揃ってることが結構ある気がします。
スカイツリーの上部が曇っていますね…天気はこんな感じです。
浅草寺の参道も実は日光街道の一部。自転車なので中央ではなく商店の裏にあるアスファルト敷きを進みます。
このあたりでは国道4号線の愛称として日光街道が用いられているみたいですね。
まあ私は日光までこの自転車で行くんですが?という謎の気持ちになりながら。
南千住では線路を越えるため歩道橋を押して進む必要があります。
東京の鉄道は多くが高架化地下になっていますがここは隅田川貨物駅の入口なので出来ないんですね。
F級電気機関車が交互に並んでいる光景は惹かれます。
本日二度目の隅田川越え、千住大橋も歴史を感じるいい橋です。
川幅で言えば隅田川より圧倒的に荒川のほうが広いのですが、あちらは1900年代に入ってから作られた荒川放水路。
元々の荒川が今の隅田川なのでこの川幅でも千住大橋なわけです。ちなみに荒川放水路の橋は千住新橋となっています。
千住新橋を越えた先で国道4号線から逸れ、少し西へずれたところに「旧日光街道」という親切な通りがあります。
梅島駅を経由し、旧日光街道は国道4号線と並行するようにまっすぐ北へ向かいます。
この先、埼玉県との県境である毛長川の手前で国道4号線と交差し谷塚駅の西側を進んでいきます。
ただ、ここで道を間違え国道4号線に合流するものと勘違いしております。
8:58 すぐに線路に当たりました。
ここで道を間違ったと気付きましたが折角なので休憩がてら撮影をしていくことにしました。
この地点は複々線区間でやってくる列車も多く、また竹ノ塚方がカーブしていて国道4号線を潜るため下り勾配になっているのがいい条件だと思いました。
朝9時台なので比較的回送が多いですね。
日比谷線直通と半蔵門線直通が複々線で並走する、これが撮れたのは大変満足です。
9:24 草加宿清水本陣跡
日光街道草加宿といえば外せないポイントがありますよね。草加松原です。
綾瀬川に沿って綺麗な松原遊歩道が整備されています。これは素晴らしい。
10:19 春日部市に入ります。
春日部駅前のあたりが粕壁宿本陣跡。
結構都市部なのに旧宿場を思わせるものが多いのがいいですね。
北関東に来るとマックスコーヒーが流通してきますよね。
それはよく知っていたのですが、ドクターペッパーも関東ローカルなんですね。
味の好みが分かれるといいますが私はルートビアや黒松紗士が好きな人なのでそこまで抵抗はありません。
11:11 杉戸宿
交差点名に本陣の名が残るのっていいですよね。跡地前って表記は珍しい気がしますが。
11:40 お腹が減りました。折角なら地域ローカルなグルメを楽しみたいと思いまして。
杉戸高野台駅の近くにありました。これが有名な山田うどんですか。
曜日ごとの日替わりメニューにしました。
~永遠のアイドル~は大袈裟な気がしますがその通りですよね。うどんももちろん美味しかったです。
幸手市内の日光街道の掲示はいい感じですね。味のある日光街道の丸い看板と幸手宿の幟がいいですよね。
街路灯の装飾や表記のフォントも飾らないながらしっくりきます。
幸手~南栗橋を走る東武電車。
水田が広がるのどかな場所ですがここまで地下鉄直通の電車がやってくるのはギャップがあっていいですね。
南栗橋駅の近くで国道4号線に合流、側道を行きます。ここで東北新幹線と交差。
12:53 栗橋宿
栗橋宿を出ると利根川を渡ります。
昔はここ栗橋に関所が設けられ、箱根や碓氷と同じく入鉄砲出女を取り締まっていました。
天竜川などと同じく江戸防衛を目的として利根川には橋は架けられず、渡船で結ばれていたとのことです。
ただ、徳川家康が日光参りをする際には船を53席並べ上に板を渡して舟橋を形成していたそうです。力技がすごい…
埼玉県を越え、ついに茨城県に入ります。
13:06 利根川を越えてすぐのところには中田宿が設けられていました。
川を隔てて至近距離に栗橋宿があるので要らないような気もしますが、これは月の半分ごとで役割を分担していた合宿の形態ですね。
東海道の脇街道・佐屋街道の岩塚宿-万場宿とかと同じですね。
古河市内の宿場にはスタンプが設置されているのが地味に嬉しいところです。
旧日光街道は古河駅の2kmほど南で東北本線(宇都宮線)と交差します。
この踏切から子が肩を向くとかなりいい感じのカーブを描いていますね。これはいい。
先を急がねばと踏切を渡ったところすぐに閉まったので待ってみると貨物列車がやってきました。
タンク貨車の貨物列車かっこいいですよね。
13:45 古河宿
14:30 間々田宿
14:57 小山駅
この日中に宇都宮まで行ければいいやと思っていたので15時ごろに小山というのはかなりいいペースです。
雨もやや強くなってきましたしコーヒーブレイクしてから再出発。
16:01 新田宿(羽川)
17:03 本日のゴール地点である宇都宮市に突入
このあたりから飴がどうしようもなくなり雨合羽を着用。ここまではユニクロの防水パーカーで凌いでいたのですが流石に限界です。
17:17 雀宮宿仮本陣
仮本陣というのは初めて聞く名称ですね、本陣-脇本陣-旅籠という一般的な宿のランク分けは知っていますがこんなのもあるんですね。
本陣が大名専用、脇本陣も基本的には大名専用なものの本陣が埋まっているときの予備みたいな立ち位置で空いていれば一般人も宿泊が可能でした。
それに対し仮本陣というのはあくまで臨時の宿泊施設という性格だったようで、名主の家を混雑する時期のみ大名の宿泊施設に活用するっていうことであっているかと思います。
他の街道で仮本陣というものを一切見かけなかったのですが、日光参りに活用される特性から繁忙期的なやつがあったんですかね?
家康の命日である4月17日に参拝する行程となっていたらしいので、それに合わせて大名の宿泊を受けていたんじゃないかなぁと思います。
このあたりが一番雨がひどかった気がします。早くホテルでお風呂入りたい…
国道4号線100kmポスト
おおよそ日光街道に沿った国道4号線の100kmポストということで、日本橋からだいたい100km漕いできたといっていいでしょう。
いままでは日光街道の名称が多く用いられていましたが、宇都宮が近づいてくると「東京街道」という愛称がついているんですね。
まあ確かに現在の宇都宮からしたら日光に行く道というよりは東京と繋がっている道という役割ですからね。
17:42 日光線と国道4号線の交差点の近く
ここにはSUBARU宇都宮工場があります。
古くは富士重工でしたがブランド名のSUBARUが会社名に変わったんですよね。
そんなSUBARU宇都宮工場の正門前にはこんな素敵な素敵なモニュメントがあります。
この地にて鉄道車輌を製造す 1946年-2003年
最後に製造された車両は甘木鉄道AR300形、同時期には伊勢鉄道イセⅢ形や真岡鉄道モオカ14形が製造されていましたが途中から製造メーカーを変え、移管先の新潟トランシスや日本車両に切り替えられています。
SUBARU工場前にこんなモニュメントが pic.twitter.com/XwF6zS2iQW
— もとりゃま(*´﹃`*)ゞ (@motoryama7011f) June 4, 2021
偶然見つけた素敵なモニュメント、Twitterに投稿したら予想外に伸びました。2,000fav越えとか過去一なのでは…
18:08 宇都宮駅に到着。まだ明るいうちにホテルにチェックインできるというのは今までの旧五街道サイクリングと比べるとだいぶ生ぬるい気がしますね。
頑張れば日光まで1日で行けるとは思いますが、一切観光が出来なさそうなので宇都宮1泊チャートとしたのでした。
今回泊まるのは駅ビルに入っているJR東日本ホテルメッツ宇都宮。結構お洒落なデザインしてますね。
配置はかなり変わっていますね。廊下の天井に業務用エアコンとか配管が見えていますし元々は駅ビルのテナント階だったものをホテルに改装した感じでしょうか?
部屋の中は結構広いですね。これは旅籠じゃなくて本陣ですわ。
今日の移動はこんな感じ。かなりまっすぐ北上してきたんですね。
この日の晩御飯はホテルの下層階へ。宇都宮餃子みんみん。
焼餃子と水餃子を両方頂きましたがかなり美味しかったです。やっぱ宇都宮といえば餃子ですよね。
東海道を漕いだ時に浜松の五味八珍を食べた時も美味しかったので2大都市の甲乙はつけがたいところです。どっちもうまい。
そんな感じでおやすみなさい。
ゴールの日光までは40kmほどなので比較的朝はゆっくりしてられますね。
平坦区間が主だったので雨脚が強くなるまでほぼアシストは使っておらず、残60%でecoモードなら45kmほどは行けます。余裕ですね。
〈翌朝〉
7:04 宇都宮駅の朝です。
今日は雨の心配もなさそうでコンディションは万全です。
7:14 奥州街道との追分
ここは東武宇都宮駅に近い場所で、JR宇都宮駅のへ至る道でちょっと奥州街道単独区間を走っていたんですよね。
国道119号線に沿って北上、国道4号線は奥州街道に沿って分かれていきました。
このあたりまで来ると看板の表記が「日光」から「日光の社寺」に変わりました。
日光までの距離も表記されていますが、Googlemapでの計算と一致しません。
どうやら、「日光」が示すのは日光市役所のある今市までの距離を示しているみたいです。
距離の部分がシールで訂正されているのは、2006年に今市町などを合併し(新)日光市となったのに合わせて元々日光駅エリアを指していたものを直したってことなんでしょうかね?
徳次郎のあたりから日光街道は松並木が始まります。
この雰囲気、どことなく箱根峠の三島側にかなり雰囲気が近い気がします。
雰囲気はいいんですけど、歩道が1段高いところにあるせいで道路と交差するたびに急な坂を上り下りするためアップダウンが凄いことになりますし、並木の根っこで路盤は結構ボコボコですし…
そんな道でオフロード走行していると、超絶エモいレンガ造りの構造物を発見しました。
文字が右から左に書かれている時代のもの…これは凄そうです。
宇都宮市水道 第六接合井
今市の浄水場で浄水された水道を戸祭町の配水場に移す際に26kmで240mの下り勾配を利用しています。
平均すると勾配10‰以下なので鉄道基準だと全然緩いのですが、配水するにはちょっと傾斜がありすぎて排水管への負担が大きくなっちゃう場所があったらしく、水圧を下げるためにこの接合井が設けられました。
多くが昭和24年の今市地震で多くが倒壊してしまった中、この第六接合井は地震に耐えて今まで形をとどめており、登録有形文化財に指定されています。いいものを見た。
8:02 徳次郎宿の設けられていた徳次郎(とくじら)に到着。
ここはわずか3か月前、令和3年3月1日から徳次郎(とくじら)に改められたタイムリーな場所です。
交差点の看板は真新しいシールが貼られています。
不思議な地名「徳次郎」何と読む? 「その読みは違う」の声 難読に変更の動き
元々の宿場町は「とくじら」でしたが、何故か1954年に宇都宮市に編入されたときに徳次郎町が「とくじろうまち」として登録されてしまい…
それに合わせて高速道路のインターチェンジも「とくじら」から「とくじろう」に改められるということになりまして。
しかしながら、伝統的な読み方は「とくじら」なわけで。
そんなわけで要望が出され、全国的にも珍しい行政上の読み方の変更が行われたということらしいです。
こういう時によく出てくるのが米原町(まいはら)なのに米原駅(まいばら)が置かれ、市になった時に駅名に合わせた米原市(まいばら)ですよね。
鉄道で言えば尾久(おく-おぐ)とか真鶴(まなづる-まなつる)、造田(ぞうだ-ぞうた)とかがありますがそれと一緒で自治体名でもこういう読み違いってあるんですね。
日光市に入ります。杉並木の雰囲気がかなり素晴らしい。
今市が近づくと杉並木保全のため自動車は杉並木の横の別の道を通るようになります。
この廃道っぽさがまた素晴らしい。これぞ日光街道って感じですよね。
一里塚では基本的に榎や杉の大木が植わっていますが日光杉並木の一里塚は周りに合わせて杉が植えられています。
この看板に日光東照宮の名前があるってことは、日光杉並木の管理も日光東照宮が行っているってことなんですかね?
9:19 下今市駅に到着。間に合った。
9:30 鬼怒川線大谷川橋梁に到着。目的は下今市9:33発のSL大樹でした。
お立ち台という感じではないですがまあいいでしょう。
これを撮ることを目的に宇都宮の出発時間を考えていたのですが結構ギリギリでした。
東武鉄道という私鉄の路線ながら、日本国有鉄道の車両がやってくるの普通にやばいですよね。
流石というか、ぶっ飛んでいます。
その後、JR直通特急の253系や東武6050系も撮影出来ました。
元々はSL大樹だけ撮ってすぐに日光へ向かうつもりだったんですが、ちょうどSLが来るときに散歩できたおっちゃんに話しかけられてたんですよね。
観光列車に手を振るのが習慣になっている沿線の方って結構いろんなとこに居ますよね。
そういう方いますよねぇって相槌打っておこうって思っていたのですが、この方SL大樹を追ううちにSL事態に興味を持ったらしくやたらと詳しくて。
こんど導入するC11は元私鉄所有機だから1号機っぽい番号だったんよねとか、電車ごっこで両手を同時に動かすけど実際はロッドに周期差があるからあれは違うんよねとか、C53流線形は写真がほとんど現存していないんよねとか。
結構盛り上がってしまいました。なんでこんなに詳しいんだこの人は…
最終的には日本の鉄道黎明期に輸入されていたマレー式蒸気機関車の足回りがかっこいいとか、ユニオンパシフィック鉄道最強の蒸気機関車ビックボーイがやばいとか話し合ってました。
なんでビックボーイ知ってるんだ…やっぱりあの人も61denden氏の動画の視聴者なんですかね?
【迷列車で行こう】山脈の巨大蒸気 - Big Boy -
そんなわけで最終的にはユニオンパシフィック鉄道のビックボーイがかっこよすぎる件について話していました。
気付いたころにはSL撮影から30分が経過していました。そろそろ先へ進まねば。ありがとうございました。
杉並木も日光東照宮が近づくと舗装されておらずより一層旧街道の雰囲気を感じられます。
横に流れる川の透明度も凄いですね。
10:47 JR日光駅に到着。
ここにはHELLOCYCLINGステーションがあるので充電が減った個体を車両交換。
この先はそこそこ坂があるのでフル充電個体で遠慮なくアシストを効かせたいわけですよ。
東武日光駅前を経由。日光軌道線の車両が置かれています。
この先の坂は結構険しく60‰と普通鉄道には厳しめですが路面電車だとどうにか越えられそうな勾配ですね。
日光東照宮の手前、最後の宿場町が鉢石(はついし)でした。
傾斜が写真で見て分かるっていうのは鉄道や自転車にとっては結構きついんですよね。
こういう土地には電動アシスト自転車が生きます。
11:08 神橋に到着。日光街道のゴールは日光坊中、いわゆる「日光の社寺」です。
このためどこがゴールというのは正直よくわからん気がするのですが、一般に旧街道は橋を起終点としていますしここがゴールという認識でいいでしょう。
旧五街道制覇状況マップに日光街道を追加するとこんな感じ。
やっぱり東海道や中山道と比べると短いですが結構主張してくる距離ですね。
これで五街道のうち3つを制覇。半分を越えたと考えると感慨深いものがあります。
まあ、東海道・中山道が長すぎるので距離ベースだと恐らくかなり早い段階で半分は越えていると思いますが。
日光東照宮も見ていくことにしました。ほう…これがかの有名な東照宮。
ギランギランした雰囲気が久能山と同じく徳川家を感じます。
有名な三猿も見られました。結構脇のほうに居るんですね。
なかなか見ごたえがありました。
ただ土曜日ということもあって、思ったより人がいますね。遠足の小学生がいたのもあるんでしょうが。
密は避けて手短に見学することとしました。
11:55 東武日光駅に戻ってきました。
ロッジ感のある外観が素敵ですね。大きな三角屋根は中央線沿線の下諏訪や木曽福島に近い雰囲気があります。
せっかく日光に来たんだから、お弁当を買っていくことにしました。
美味しそうなお弁当は多いのですが、駅弁マークが入っている公式の駅弁はないんですね…って思ってましたが普通に考えてここ私鉄の駅ですもんね。
JR系の常識が通じないのも私鉄のよさですよね。お弁当の温めサービスまであるとは思わず嬉しかったです。
栃木牛めし弁当と湯葉さしを買ってきました。うまい。
そんなわけで東武特急リバティに乗って都心方面へ戻ります。
この続きは次回…
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