紀の川市内で実証実験が続けられているHELLOCYCLINGを活用し、野上電鉄の廃線跡を走ってきました。
まずはレンタルするために打田駅へ。227系1000番台が登場してから初めて乗りましたが、和歌山地区の電車も綺麗になりましたねぇ。
8:50 打田駅からレンタル開始。
紀の川市内のステーションは和歌山線沿いの打田・小河・名手の各駅と貴志川線の貴志駅に設けられています。
これを活用し貴志川線と和歌山線を乗り継げるのは面白いですね。
タイトルで既にばれてはいるのですが、私は今回まっすぐ貴志駅へ向かうのではなく、旧野上電鉄の廃線跡を漕ぐのが目的です。
一番距離を短くするには、貴志で借りて貴志で返すのがいいのですがそれでは面白くなかろうと(?)打田駅までやって来たのでした。
農耕車注意の看板も見られるような、わりと長閑な道を行きます。
「山」って、斬新な地名ですね。
こっちのトラクターは蒸気機関黎明期みたいな見た目していますね。
和歌山市に入りました。
六十谷駅で特急くろしお3号を撮影。この列車は283系オーシャンアローが充てられる列車で…ん?
オーシャンアローじゃ、ないですね。
どうやら、この日は検査か何かで287系に差し替えとなる日だったようです。無念。
せっかくなので六十谷駅でちょっとだけ撮影。
223系0番台のリニューアル車両をちゃんととったのも初めてだった気がします。だいぶ印象変わりますね。
和歌山駅の1つお隣、田中口駅はかなり趣のあるいい感じの駅でした。やって来たのはうめぼし電車。
この先竈山駅周辺までは貴志川線に沿って進みました。
竈山駅では、さっき田中口で見たうめぼし電車が折り返してやってきました。
竈山から南へ向かう道が出ているのですが、折角なので1駅お隣の交通センター前駅にも寄り道していくことに。
運転免許センターの目の前にあるからという理由でつけられた斬新な駅名。免許更新にこれは便利そうです。
ここには交通公園も併設されており、ここには現在の阪堺電気鉄道で使われていた車両が保存されています。
和歌山市街地からひたすら南へ。
この日の気温は30度越えとかなり厳しい条件でした。無理をせず休憩多めで進みます。
黒江駅周辺の公園で保存されている南海和歌山軌道線の車両。
オデコの大きなライトが愛らしい車両です。
12:24 海南駅に到着。ここから終点の登山口駅へ向け廃線跡を漕いでいきます。
ちなみに、始発駅は海南駅から80mほど進んだところにあった日方駅。特に痕跡はなく広い空き地があるのみでした。
国鉄の海南駅のほうがあとからできたのですが、日方駅から若干離れていることから「連絡口」という乗り換え専用駅(日方駅構内扱い)を作って対応していました。
そんな連絡口駅があった場所を過ぎると、野上電鉄線は大きくカーブを描いて進路を東に取っていました。
海南駅前に残るこの緩やかなカーブ、廃線後25年以上が経ちますが残っているもんなんですね。
海南駅を出るとすぐに整備が行き届いたサイクリングロードが出現します。これこそ旧野上電鉄の廃線跡。
昔駅だった場所には広場も整備されています。
特に幡川駅跡は往時の電車のイラストがあってかなりいいポイントだと思いました。
野上電鉄ってどうしても末期のどうしようもない荒れ果てた感じばっかりが語られがちですが、一応地元からは愛されていたってことなんですかね。
木製の架線柱の取り換えのために補助金を使ってコンクリの架線柱を買ったものの植えず転がしておいたり、新車(おさがり)を導入しようとしたら重量オーバーが判明して使えず寝かせておいたり、乗降客がいなければ駅を通過していたり、ワンマン化を拒んだり、経営改善の努力を行わず補助金に頼りきりになっていたり。
そして、一番駄目だったのが閉塞の取り扱い。鉄道の安全を担保する閉塞装置の取り扱いがあまりに杜撰だったことが知られています。
通行手形が無いと進入できないという仕組みで衝突を防ぐはずなのに、取り忘れや置き忘れがあったそうです。
非自動閉塞の仕組みは結構シンプルで、この先に行くにはこの通行手形を持っていないと駄目ですよというもの。
通行手形が1つしかなければ衝突事故を防ぐことが出来ます。正しく運用されていれば…
日本の鉄道は左側通行、左側運転台が多いのでこの通行手形をなるべくスムーズに受け渡しが出来るようにとはす向かいにホームが設置された駅も全国に存在しました。
しかし、野上電鉄はそういう構造ではなかったので、駅に停車してから編成長だけ歩いて受け渡す必要がありました。
それをめんどくさがり、低速走行しながら運転席を離れ受け取りを行うという荒業を行っていました。
当然そんなことが許されるわけはありません。安全上かなり大きな問題です。
これが発覚したのが、鉄道雑誌に~旅情あふれるタブレット交換~みたいな感じで取り上げられたこの光景。
投稿者に告発の意図はなかったはずですが、閉塞のルールを破っていることが指摘され野上電鉄は怒られます。
その結果、鉄道施設の撮影禁止令を出しました。お前らが撮るからいけないという感じで高圧的な態度だったらしいですね。悪いのはどっちだ…
廃線が近づくとギャラリーも増えてきてしまい、撮られるのを避けて通行手形の交換を勝手に省略していたなど…伝説は数多いものです。
正直、ここまで安全軽視のどうしようもない鉄道は完全に中身を別物にして再生させるのでなければ廃線にしておいて正解だったと思います。
漕いでいて思ったのですが、意外と勾配があるんですね、目視で分かる程度の勾配を鉄道が越えるのは結構大変なはずです。
重根~紀伊阪井の山越え区間にて。この掘割の感じはいかにも廃線跡って感じです。
上に架かる橋は鉄道現役時代からありそうな雰囲気ですね。
貴志川を渡って紀美野町に入ると廃線跡は道路に姿を変えます。やたらと広い歩道のあたりに線路が通っていたのでしょうか?
野上駅跡地を過ぎ、終点の登山口駅跡までは全区間が道路に転用されているため痕跡はほぼ残っていません。
まあ、サイクリングロードも言うほど痕跡を感じられるものではありませんが。
ただ、終点の1つ前の下佐々駅跡周辺には野上電鉄で活躍した車両が保存されています。
まずはこちら、どうやら私有地らしいのですが外からよく見えるように展示していただいているのがありがたい限りです。
屋根付きで廃線跡の道路からもよく見える位置に保存されており、かなりいい待遇の保存車両なんじゃないかなぁと思います。
野上電鉄モハ27形。元阪急の車両だそうです。
車両の足元には起終点のキロポストも残されています。
終点登山口駅の11.4キロポストと、起点日方駅の0.03キロポスト
普通であれば起点は0キロポストとなるはずなのですが、ここは元々日方駅より北に30mほど伸びていてそこを起点としていたことからこうなっているみたいです。
起点がずれちゃうと全部書き換えなきゃいけなくなるので0スタートじゃなくするという例は他にもあるのですが、0.03kmという刻み方は珍しいです。
基本的にキロポストって0.1km単位で設定されるはずなので、なぜ0.03kmポストを設けたのかはよくわかりません。
先程の車両のすぐ近く、紀美野町くすのき公園という所にも野上電鉄の車両が保存されています。
こちらは元阪神電鉄のモハ31形。こちらも屋根付きで廃線跡の道路からよく見える位置に置かれています。
台車周りなど時代を感じる装備はさっきのモハ27形と同じですが、こちらの車両に備えられた採光窓はかなり個性的ですね。昔の電車感が凄いです。
13:34 終点の登山口駅跡地に到着。
ここは大十バスの車庫になっているようですが、往時のホームは今でも辛うじて残っていました。
鉄道廃線跡を活用して整備されていた道路ですが、鉄道の終点がここだったことからか旧登山口駅跡のすぐ先で終了しています。
さて、後は貴志駅へ返却しに行くだけです。
旧動木駅跡のあたりから北上すると約6kmで貴志駅にたどり着けます。意外と近いんですよね。
山1つ越える感じなので勾配はきつかったのですが、アシストを贅沢に使って快適に越えられました。やっぱり電動アシスト自転車は強いです。
14:08 貴志駅に返却完了。
流石に炎天下のサイクリングは堪えました。
貴志駅は無人駅ですが、駅舎内に素敵なカフェがあります。
駅長たまがデザインされたかわいらしいアイスを頂きました。美味しかったです。
炎天下はもう少し対策すべきですね、熱中症になりかけた気がします。
これからの時期で自転車漕ぐには万全の対策をしなくては命にかかわります。万全に対策して挑んでいこうと思います。
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