今朝ニュースの中で油蝉が鳴いてた。山中湖でも今朝から油蝉が鳴き始めた。
前回の「字余り」の巻は、為になった。
「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る 中村草田男」の句の定型バージョン、「毒消しやわが詩多産の夏来る」はなんか物足りないと感じた。自分の句が物足りないのはこれかと思った。切れ字を使って定型に収めようと思う余り、俳句がつまらなくなってるのか。勉強になった。
そして、今朝の「俳句が苦しくなったら」の巻。2011年以降、俳句を苦しいと思った事が無いので私には関係ない、と思ったら、私の名が呼ばれたので、おっと思った。何故、私が俳句に苦しまなくなったか改めて考えてみた。2011年NYから帰国して、松山で俳句ガイドをやり、正岡子規のエッセイを改めて読んだ。日記文学が益々好きになり、日記俳句が好きになった。下手でもいい。三十年後の自分を喜ばす俳句を作ろう。以来、賞に落ちても何とも思わなくなった。審査員は未来の自分だから。
「時間や社会に囚われず、幸福に五七五をひねる時、つかの間、私は自分勝手になり、自由になる。誰にも邪魔されず、気を使わず、俳句を作るという孤高の行為。この行為こそが現代人に平等に与えられた最高の癒しと言える。」
私はこれでいい。自分癒し俳句。若者は真似しないで下さい。
「」内は、『孤独のグルメ』冒頭ナレーションのパロディ。パロディって、本当に面白くて為になる。子規さんの俳句を学ぶきっかけに、この本は中々いいと思う。