塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

帰化に見られる感触、ルーツの違い

2021-12-25 20:56:46 | 日記
 植民地支配と帝国主義。

 この20世紀の遺産は、サッカーにおいては「良い兆候」と見られることがあります。

 例えばポルトガル。

 ポルトガルはモザンビークを植民地にしていましたが、この政治的背景が存在しなければ、エウゼビオはポルトガルに住むこともなく、

 1966年ワールドカップ得点王
 1962年と63年のチャンピオンズ・カップ2連覇

 は無しえませんでした。

 しばしばフランスではセネガルやアルジェリアなど(不思議なことにカンボジアの事を考慮する様子がないのですが)、サッカーの国際親善試合で不穏な空気が生まれます。

 しかしこの植民地試合の遺産が

 1・パトリック・ヴィエイラ ツールはセネガルにあり
 2・ジネディン・ジダヌ ルーツはアルジェリアにあり

 という形で1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権の柚須陽で華開くとは、皮肉な結論といえます。

 現在の中東の地図は英国とフランスが勝手に決めた「サイクスピコ協定」によって締結され、イスラエルとパレスチナ問題は明らかに

 「バルフォア宣言」
 「フサイン・マクマホン協定」

 の2重契約にあると言えますが、両国がその点にどれだけの責任を背負う覚悟があるのかは、2021年の現在でも見えませんね。

 日本代表も例えばガンバ大阪に在籍数パトリックが代表帰化を希望すると言われています。

 それは日本がブラジルを植民地にしたわけでなく、日本人が日本政府の明らかな「プロバカンダ」でパラグアイやブラジルに入植した縁がまずあります。

 ただそれ以上に選手としてjリーグで戦ううちに、自然と帰化しても良いという気持ちが沸いてきたためです。

 国籍を変えること
 日本人になる事

 は僕らが考える以上に大きな決断です。

 だからこそ日本代表に帰化して戦った選手たちは、その考えだけでも物凄いことだと改めて感じます。
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毎日同じ献立ではいけませんか

2021-12-25 20:37:37 | 日記
 日本ではクリスマスに鶏肉を食べますが、この習慣は日本独特のものです。

 欧米各国では七面鳥を買い調理しますが、日本では七面鳥を口にする習慣がない、そのため鶏肉で代用したことが現在にまでつながっています。

 ちなみに米国では「メリー」クリスマスではなく「ハッピー・クリスマス」と呼び、異教徒(当然日本人の大半はここに該当します)に配慮するのが普通です。

 そう思うと「メリー・クリスマス」と連呼する我が国は、幼稚な慣習がはびこっているように思えますが、皆さんはどう感じるでしょうか。

 僕も昨日と今日は、両親が購入した骨なし鶏肉を食べましたが、僕は基本、毎日同じ献立で構わないのです。

 つまり、人々が「ご馳走」「おごっそう」と呼ぶ豪勢な料理やアルコールを口にしなくても平気ですし、そもそも外食やコンビニエンス・ストアで弁当を買うことはありません。

 せいぜい月に1回か2回、マクドナルドを利用しますが、皆さんが頻繁に利用するであろう店舗「やよい軒」「大戸屋」は近所にないですしね。

 僕がサッカー選手ならば、クラブハウスで摂る以外の食事は、やはり基本毎日同じ食事、食材にすると思います。

 それは生活習慣ということもありますが

 いきなり異なる食材を口にしてリズムが狂うことが好ましくない
 プロである以上、言い訳は許されないと思うのが基本

 だからではないでしょうか。

 代表にコックが帯同することも珍しくない時代ですが、一方で選手たちを価値観の相違、タフな環境に身を置くという理由でコックを帯同せず、現地の食事をそのまま食べるという指揮官の決断もあります。

 どちらが良いというわけではありません。

 ただ、僕の場合豪勢な食事はいりませんし、毎日同じ食材で構わないというだけの話ですが。
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人間主敵的経営を考えて

2021-12-24 22:12:08 | 日記
 クロスメディア出版「人間主義的経営 ブルネロ・クチネリ著」の中で、彼は次の言葉を述べています。

 「人間をないがしろにして品質は保てないのは明らかであり、この方法こそが利益を生み、人間の尊厳を回復する経済の在り方だと考えたからです」

 サッカーという競技は時に戦争を生み、時に坊領行為を生み、八百長や審判買収さえ生んできました。

 逆に言いますと、人間の尊厳さえ失う、失ってもいいから勝てばよい、それだけ夢中になる人物を生み出していいるのも、またサッカーなのですね。

 今後はこの人間的、という観点からブランドは新しい価値観を生み出す必要があります。

 例えばヒュンメル

 過去、Ⅴ・ファーレン長崎と契約していた際(現在はアンブロと契約)は、8月9日に向けて平和への祈りを込めたジャージを発案し、戦争とは何か、どうして起きてしまうのか、というテーゼを改めて僕たちに与え、同時に鎮魂の機会を与えてくれました。

 ヒュンメルが性的少数の方々(LGBTという言葉、無駄に消費されている気がしませんか)を支援しているように、

 「人が人らしく生きる」
 「私は人間だと唱えたキング牧師」

 という、「らしさ」を選手支援とともに構築している点が、ヒュンメルの個性ではないでしょうか。

 例えばミズノ

 リビルディング・プロジェクトを構築する中で、水島武蔵やカレカ。リバウドなど過去の契約選手に再度敬意を払いながら、同時に丹精込めてスパイクを製造する自社の従業員たちへの敬意が感じられることは、老舗ならではないでしょうか。

 カレカとモレリアと1986年ワールドカップ
 リバウドとウエーブカップと2002年ワールドカップ
 中村憲剛とモレリアと川崎フロンターレ

 というような連想ゲームは簡単に成り立ちますが、成り立つまでの地道な作業を忘れてはいけません。

 ブルネロ・クチネリは古都ペルージャからやや離れた農村に誕生しましたが、ぺルージャが今でも中田英寿へのまなざしが温かいことは皆さんもご存じですよね。
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過酷な条件に耐え抜いて

2021-12-24 21:14:34 | 日記
 どんなトッププロスペクト(超有望株)と呼ばれる選手でも、大リーグでプレイするには基本マイナーリーグからスタートします。

 ルーキーリーグから1A,2A,、3Aと場数を踏み「コールアップ(大リーグへの招集)を待つわけですが、一気に最短距離を駆け抜ける選手もいれば、マネーボールを広めた人物「ビリー・ビーン」のように、大リーグ確実と考えられる選手でも、マイナーで引退という事例もあります。

 日本では福岡ソフトバンクホークスが3軍を常備し、中米市場に目を向け17歳のメキシコ人選手を獲得するはずです。

 これには選手も

 「日本のチームから声がかかるなんで考えもしなかったよ」

 と大乗り気でして、ホークスの目線は明らかに大リーグの向こう側を見ています。

 そのマイナーリーグですが、支給されるミールマネー(食事代)が少なすぎる、過酷すぎる遠征のためチームが寮生活用の準備を始めると言います。

 確かにあれだけの国土を持つ米国をバス移動(運転手の疲労も相当でしょうがね)は本当にしんどいですよ。

 三浦知良がサントスと契約する前、マツバラやキンゼ・デ・ジャウーに在籍していた際も、飛行機ならば簡単な距離も、一日かけでバス移動した話も有名ですが、では日本の地域リーグやJ3はどうなのでしょうか。

 AC長野パルセイロのホーム「長野Uスタジアム」の快適さは有名ですが、よく指摘されることに

 「スタジアムは立派でもね」
 「J3の門番だよ」

 という点がありますが、恵まれすぎているから昇格できないというある種の逆説が、選手の負担になっている点があるような気がします。

 また日本代表でなくとも、欧州の2部クラブや主要国以外で場数を踏み、給料の遅配や金額の交渉などを自ら行う選手もいます。

 日本では「ブラック企業」という呼び名がすでに定着しましたが、この無節操さが選手、会社員を鍛えるという側面は、何とも言いようがないのですが。
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動物愛護の観点からスパイクを見て

2021-12-24 20:52:14 | 日記
 本日はまずお詫びをせねばなりません。

 僕が昨日掲載した「岩手グルージャ盛岡新スポンサーはケレメに決定」と記すべき点を「盛岡」ではなく「森岡」と変換、掲載していたことがわかりました。

 本当に申し訳ないと反省しております。

 また、わざわざご指摘くださった「カン様」にも御礼申し上げます。

 実はご指摘があるまで変換の誤りがあることに、僕は全く気付いていなかったので本当にありがたい事だと痛感しました。

 改めてお詫びいたします。

 本題に入ります。

 原書房から刊行された「世界を変えた100のポスター下巻」を購入したのですが、172ページに「PETAポスター」という題目があります。

 「動物の倫理的扱いを求める人々 PETA(ピタ)は、動物の福祉を旗印に企業を追求して成果を上げていることでも、見るものをぎょっとさせる狙いのポスター・キャンペーンでも知られる」

 とあります。

 この団体は1972年に、米国メリーランドのイングリット・ニューカークによって設立されましたが、当時はサッカー・スパイク。野球スパイクにアメリカン・フットボールのスパイクも、本革しか素材がなかったと思います。(合成皮革はあったかもしれませんが)

 つまり、米国では1970年代から既に、動物愛護というよりも動物が生きる権利が浸透していた形になります。

 1972年といえば、ペレとセレソンが3度目のワールドカップを制覇し、遂にジュール・リメ杯の永久所持を認められてから2年しか経過していません。

 プーマもアディダスもより有名選手との契約を求めていたでしょうし、選手に快適さと怪我を防ぐスパイクを提供できるかを検討していたと思います。

 逆にサッカー・ブランドは常に

 「動物保護との対峙」

 を求められながら、今後も製品づくりを行う必要があるように感じます。
 

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