mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

苦手な勉強、その名は「歴史」

2010年01月14日 | 旅行記

 先日、かみさんがNHKのBSだと思いますが、日本と朝鮮の密接な関係を描いた歴史・文化番組だったと思います。

 特集のようで、放映が夜遅いこともあり、ビデオに撮ったものを昼間に見ました。

 小生は、あまり見るつもりはなかったのですが、「ついつい」つられて見てしまいました。

 番組の構成としては、NHKのアナウンサーが司会をして、日本と韓国の学者が解説やコメントをするものでした。

 小生は、先ほど申し上げたように、あまり興味はなかったのですが、モンゴル帝国が2度に渡って日本を攻撃してきたことや、その時の政府であった鎌倉幕府(北条家)の対応、そして朝鮮の対応などが描かれてました。

 その時の日本政府の驚きや対応、モンゴル帝国の強大さなどを見て、「あぁ、そうか、すごいものだ!」と感嘆したのですが、NHKさんのネライは、この時を含めて朝鮮と日本の関係がいかに深いかを言いたかったのかも知れません。

 モンゴル帝国と言えば、西暦で1200年代のはずですが、それ以前の朝鮮半島の情勢は、どのようになっていたのでしょうか?

 学生時代に習った「高句麗」「百済」「新羅」と日本はどのような関係なのかな?

 などと、かみさんの韓流好きに触発されて少し勉強したいところですが・・・

 などと考えていましたら、ちょうど良い資料が小生のパソコンに入っていました。

 それは、2009年2月13日の読売新聞朝刊の記事ですが、タイトルが「7世紀の日本・百済・新羅」となっています。

 

 韓国で古代朝鮮の寺院跡の発掘調査が進み、同時期の日本との密接な関係が明らかになってきた。6世紀以降、活発な技術交流が行われていたことが裏付けられたほか、7世紀には巨大な仏像を競うように建立したことも分かった。国家の意志が強く働いた寺院を比較研究することで、当時の東アジア情勢の解明が進みそうだ。

                     6~7世紀の東アジア情勢

      中国・朝鮮半島                         日本

 552                                 仏教伝来(538?)

 562 任那の日本府滅ぶ

 589 隋が中国統一

 593                                 聖徳太子が摂政

 600                                 隋に使い(随書倭国伝)

 607                                 隋に使い(日本書紀)

 610 隋による高句麗遠征

  ~

 614

 628 唐が中国統一

 630                                  遣唐使派遣

 644 唐による高句麗遠征はじまる

 645                                  大化改新

 660 百済滅ぶ

 663                     白村江の戦い

 668 高句麗滅ぶ

 672                                  壬申の乱

 676 新羅の統一時代はじまる

 古代朝鮮の百済にあった弥勒寺跡(韓国・益山市)で先月、仏塔に付随する石塔の心礎から、二重の舎利容器と金板が出土。金板の銘文から、639年に七重塔もしくは九重塔が建立されたことが判明した。

 「日本書紀」によれば、この年(舒明天皇11年)、日本初の国営寺院・百済大寺創建の詔が出されているが、この寺にも九重塔があったことが吉備池廃寺(きびいけはいじ奈良県桜井市)の発掘調査などで明らかにされている。

 さらに、新羅でも6年後の645年、皇龍寺(韓国・慶州市)に九重塔が完成している。

 日本・百済・新羅で仏塔の建立が相次いだこのころは、7世紀はじめに始まる隋・唐による高句麗遠征から白村江の戦い(663年)へと、半島情勢が極度に緊迫した時期にあたる。

 弥勒寺跡での発見について今月7日、韓国国立扶余文化財研究所の金洛中・学芸室長が報告した東北学院大(仙台市)のシンポジウムでは、巨大仏塔建立”ブーム”の理由について「国威発揚を各国が競った」「各国国内で国家の威信を示した」など、様々な見方が出された。同大の佐川正敏教授(東南アジア考古学)は「(この現象は)決して偶然ではない。戦乱の情勢下、複雑な各国関係を考えるうえで、今後、さらなる研究が必要だ」と指摘していた。

 弥勒寺など7世紀の寺院にとどまらず、百済の古都である韓国・扶余周辺などで6世紀の寺院の発掘も飛躍的に進んでいる。その成果によって、経典や仏教だけでなく、寺院建築や仏像づくりの技術者も百済から伝えられたという「日本書紀」の記述も裏付けられ始めている。

 昨年12月、九州国立博物館で開かれたシンポジウムでは、工房や寺院跡などで、奈良・飛鳥と共通性を持つ異物や遺構の発見が相次いでいることが報告された。

 益山市の王宮里遺跡(6世紀後半~7世紀前半)では、大規模な工房跡から、飛鳥時代の工房跡、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の遺物とそっくりの砲弾型の坩堝(るつぼ)などが出土。また、扶余の王興寺跡は、一昨年出土した舎利容器の銘文から577年の創建と分かり、588年着工とされるわが国最古の本格寺院、飛鳥寺への影響も指摘された。

 「日本書紀」には577年(敏達天皇6年)、百済王が造寺工、造仏工を日本に献上したと記述されている。韓国国立扶余博物館の尹龍熙(ユンヨンヒ)・学芸研究士は「百済の仏教工芸技術がこの年に日本に伝わり、飛鳥文化成立に大きな役割を果たした」との見方を示した。

 日本に仏教が伝来し、定着していく6=7世紀。国家体制の整備にともなう仏教寺院の位置づけ、伽藍配置の変遷など、解明すべき問題は多い。日本の研究だけでなく、韓国考古学の進展が、今後、大きな力になりそうだ。

 という記事ですが、これを読みますと、「なるほど、なかなか面白い!よし勉強してみよう!」という気にはなりませんか?

 お前はどうなのか?といわれそうでが、これが、なかなか難しいことで「日本史も苦手、まして世界史は!」という小生には「どうにもなりません。」というのが正直なところです。

 でも、海外旅行には、その国の歴史や文化を理解して訪問すべきだと思っていますので、その「努力」だけはしたいものです。