mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

般若心経5

2010年01月28日 | 本と雑誌

 昨日に続いて般若心経の現代語訳と小生の独り言をお伝えします。

 まず、今日お伝えするお経は(昨日の続き)

 菩提薩堹(ぼーだいさつたー) 依般若波羅密多(えーはんにゃーはーらーみーたー) 故心無罣礙(こーしんむーけーげー) 無罣礙故無有空怖(むーけーげーこーむーうーくーふー) 遠離一切顚倒夢想(おんりーいっさいてんどうむーそう) 究竟涅槃(くーきょうねーはん) 三世諸仏(さんぜーしょーぶつ) 依般若波羅密多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこー) 得阿退耨多(とくあーのくたー) 羅三藐三菩提(らーさんみゃくさんぼーだい)

 とありますが、それにしてもこの漢字がなかなか表示されません。「竟」という字は、「ひっきょう」と打って表示されましたが、先生が表示したかなは、「ぎょう」としてありましたので、調べても調べても表示されませんでした。本当に根気がいる作業ですね。でも、漢字を探していて面白いことに気づきました。漢字の意味が何となくなく分かって来るのです。

 まぁ、それはそれとして、現代語訳は、次のようです。

 「仏さまたちは皆、物事やその働きを心静かに観察する智慧を使って、そこから共通の法則を見つけだしました。それを見つけ出すと、心が自由自在になれるのです。何かを怖がることもなくなり、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」などと夢見るようなこともなくなります。それはそれは素晴らしい心の広がりを持ち、充足感に満ち満ちたどっしりしたものです。」

 というものですが、物事や働きの共通の法則を見つけられない小生などは、心が自由自在ではないということですね。昨日の続きからすれば、その原因は、「何かにこだわっている」からということになるのでしょうか。

 また、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」という思いを抱くことが度々あるのですが、仏の心(素晴らしい心の広がり)に到達することは、とても出来ないということでしょうね。

 では、今日はこの辺で。