mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

般若心経4

2010年01月27日 | 本と雑誌

 般若心経も4回目となりました。「続々々」というタイトルでも良いのかな?なんて思いますが、どういう表現がよいのでしょうか?

 さて、本論を続けます。

 無無明(むーむーみょう) 亦無無明尽(やくむーむーみょうじん) 乃至無老死(ないしーむーろうしー) 亦無老死尽(やくむーろうしーじん) 無苦集滅道(むーくーじゅうめつどう) 無智亦無得(むーちーやくむーとく) 以無所得故(いーむーしょーとつこー)

 この経に対する「名取芳彦(ほうげん)流」現代語訳は、

 「よく人は年は取りたくないと言いますが、年を取るというのはある意味では成長するということ、死にたくないとい言いますが、それは死んだ後のことがわからないからでしょう。生まれる前と死んだ後に行くところは同じだから安心していいのです。元いた場所に帰るということなのです。

 私たちはいろいろなことにこだわり過ぎるからいけないのです。こだわるということは、そこにじっとしているということです。じっとしていたのでは他の素晴らしい世界を知ることもできません。心を自由自在にしていきましょう。」

 小生などは、「年は取りたくない」という気持は、まだ薄いと思いますので、今のところ「気が若い!」ということでしょうか。でも、「成長」はしていないようです。

 また、「死にたくない」に関しては、それほど意識したことがありませんが、「行くところが同じだから安心しろ」という話は、「生きている」現世は、生まれる前と死んだ後に行くところと違うということになります。

 小生は、現世に執着する人間で、しかも、生まれる前と死んだ後の世界がどのようなものか理解できないものですから、この説明では安心できないのですが、いかがでしょうか。

 さらに、「いろいろなことにこだわるな」と言われても、なかなかそれが出来ないのが人間ではないでしょうか。

 では、こだわる物は何か?ということになりますが、「愛情」「お金」「名誉・地位」「仕事」などなどだと思います。

 小生などは、海外旅行や園芸、おいしい食べ物などということになりますが、全て自分のためのものであって、社会的に何の役にも立たないものばかりで、誠にお恥ずかしい限りです。

 今日は、かみさんが友達と東京に遊びに行きました。

 小生も、これから「美味いもの」でも食べに行きたいと思いますが、「美味しいものにこだわる」のは「食べ物がない世界中の貧しい人達」からみれば、とんでもない話で、それは、般若心経の教えに背くということでしょうか?

 まぁ、それほど「こだわって」はいませんが、豊かな国に生きていることへの感謝の気持ちだけは持ちたいものです。