mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

パリ:世界遺産セーヌ河岸

2010年04月01日 | 旅行記

 昨日に続きまして、パリのセーヌ河岸の続きをレポートします。

 「世界遺産一度は行きたい100選」には「中洲を経て対岸へ」という見出しがついていますが、昨日お話しした市庁舎北のマレ地区については、大きな心残りがあります。

 そして、もっと残念なのは、マドーレーヌ教会の石段からの眺めを体験しなかったことです。

 自分の恥はこのくらいにしまして、セーヌ中洲の話に移りたいと思います。

 『セーヌ中洲のサン・ルイ島に渡ると、17世紀のたたずまいを残す高級住宅街となる。芸術家や哲学者に愛され、ワグナーやボードレールが住んだローザン舘やルソー、ヴォルテールが滞在したランベール舘、透かし彫りの尖塔がそびえるサン・ルイ・アン・リル教会がある。』

 それにしても、シテ島は知っていましたが、「サン・ルイ島」というところがあるのも知りませんでした。シテ島のことも「どうして川に島があるのか?」と疑問に思い、「セーヌ川の中洲に違いない」、と推理したのです。小生の感覚では、「島」は海に浮かぶものという観念がありすぎたのですね。

 ところで、このサン・ルイ島の位置は、地図で確認するとシテ島の隣になっています。

 「どうしてシテ島に行って、サン・ルイ島は連れていってくれないのか?」と旅行社を非難したくなりますが、これがツアー旅行の泣き所かも知れませんね。自由時間があるはずですから、事前に勉強しなかった自分にも問題がありそうです。

 パリの自由時間をどう過ごしたか、ですか?1回目は、右も左も分からない迷い子ですから「不安」が先で、そんな心の余裕はなかったですね。2回目は、自分で地下鉄を使って「オルセー美術館」に行ったり、コンコルドに行ったりしましたが、セーヌ河岸全体を眺めるような発想は思いつきもしませんでした。

 さて、続いて「シテ島」ですが・・・

 『隣のシテ島は紀元前3世紀に人々が住みついたパリ発祥の地。1163年から200年もかけて建てられたノートルダム寺院は、フランスカトリックの総本山である。1864年にほぼ今の姿になった初期ゴシック建築の最高傑作で、ナポレオンの戴冠式も行われた。怪獣像シメール越しに見る明るいグレー一色のパリの街並みと眼下のセーヌの流れがパリを感じさせてくれる北塔にはぜひ登りたい。』

 シテ島には「バッチシ」行きましたので、この島にある建築物は「よーく」覚えております。

 特に、ノートルダム寺院の印象は、小生の心に強く焼き付いております。だが、しかし・・・

 広場から見ただけで、建物には登っていないのです。「まったく肝心なところがぬけてるようね!」

 しかし、なぜ昔の人は中洲に住み始めたのでしょう?その答は、多分「水」だと思います。 

 次に、同じくシテ島にある「コンシェルジュリー」ですが、ここは「むごい歴史」を思い出す建物です。

 『3つの塔がそびえる14世紀建造のコンシェルジュリーはマリー・アントワネットが処刑された1793年10月16日までの2ヶ月半、独房に幽閉された牢獄である。』

 と、100選ではコンシェルジュリーを簡単に説明していますが、断頭台の露と消えたマリー・アントワネットを思いますと、言葉にならないのかも知れませんね。

 小生も、当時を思い起こすような「暗い」建物(中も暗い)に人形がおいてあり、「こんなところにアントワネットがいたのか!」という心が落ち込むような暗い感慨が残っています。

 さて、コンシェルジュリーの隣には裁判所がありますが、ここはルイ9世が建てた元王宮で、その中庭にある「サントシャペル」が素晴らしいものです。

 ここは、午後に訪れたいところだとアドバイスしています。その理由は、『「聖なる瞳」と呼ばれるパリ最古のステンドグラスが柔らかな陽を受けて最も美しく見えるからだ。』そうです。

 ここに行きますと、皆さん、上を見上げてステンドグラスの美しさを鑑賞しています。

 これでパリのセーヌ河岸の3回目のレポートを終わります。