mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

孔子人間一生の心得:第四章【顔淵・子路編】

2010年04月03日 | 本と雑誌

 今日は久しぶりに渋沢論語をお伝えします。

 第四章の【顔淵・子路編】の副題は刺激的な言葉で飾られています。

 ともに生きるに足る友、切り捨てるべき友!

 というものですから、刺激的でしょう。

 さて、その中身ですが、「1 孔子の最高弟・顔淵にしてこの“日頃の戒め”あり!」として、次の孔子の言葉が書いてあります。

      顔淵仁を問う。子曰く、己に克って礼を復(ふ)むを仁となす。一日(じつ)己に克っ

      て礼を復めば、天下仁に帰す。仁をなすは己に由(よ)る。而して人に由らんや

      と。顔淵曰く、その目(もく)を請い問う。子曰く、非礼視ること勿れ。非礼聴くこと

      勿かれ。非礼言うこと勿かれ。非礼動くこと勿かれと。顔淵曰く、回不敏と雖(いえ

      ど)も、請うこの語を事とせんと。[顔淵]

 そして、渋沢栄一は次のようにコメントしています。

 「顔淵は孔子の門弟三千人中の高弟七十二人の中で最高の人である。年は孔子より三十七歳若かったが、徳行家で孔子に次ぐ人と称せられ、「亜聖」の名があったほどの人である。

 顔淵は『論語』におよそ二十一回登場する。その懸命さをたたえるものが四、子貢・子路と並び称したものがそれぞれ二、学問好きをたたえたものが二、仁を語るものが二、その死を悼むものが五、顔淵が孔子をたたえたもの、門人がその徳行を記したものがおのおの一回ある。そのほか顔淵が問を発して孔子がこれに答えたものがこの項と[衛霊公編]にある。なかでもこの項の問答は「克己復礼」の重要な教訓である。」

 としていますが、顔淵さんの優秀さは分かりますが、これでは孔子と顔淵のやりとりの意味が分かりませんね。と思ったのですが、次のページに載っていました。

 『顔淵が孔子に対して、

 「仁とはいかなるものですか」

 と質問した。すると孔子は仁の実体とその応用をあげて説明した。

 「自分の欲望に打ち勝ち何事にも礼を踏まえて行う。これを仁という(仁の体)。

 一日でも自分の欲望に打ち勝ち、礼を踏まえて行えば、人々はすべてその仁にすがる。

 その影響の迅速なことは、早飛脚で命令を伝えるようなものである(仁の効)。

 そして、仁はもともと自分の心の中にあって、よそから借りてくるものではない。だからお前が仁を実践しようと欲すれば、仁は直ちに成立する。いつでもどこでもこれを成し得る(仁の応用)。』

 と二人のやりとりを解説していますが、これでも抽象的で分かりづらいですよね。

 でも、安心しました。渋沢がこれに解説を付けています。まず、

 「仁はこのように、きわめて広大なものである。これを大にすると天下国家を治める道となり、これを小にすると一家を斉(ととの)え一身を処する道となる。その徳は天地に充満して草木禽獣すべて仁のもとに息づくのである。」

 としています。でも・・・仁が素晴らしい、と言っていることは理解できますが、どうしてそうなるのか?また、それ以前に仁とは何かが分かりません。

 という疑問に答えるように渋沢は、次のように述べています。

 「人に対してやさしい指示をするのも仁の一つである。不幸な人に同情するのもそうである。上を敬い下をいつくしむのも仁だ。(「慈しむ」と漢字で書いて欲しいな!)すべて人間が私利私欲に打ち勝って、その言動が礼にかなっていきすぎがなければ、それがすなわち仁であるが、とかくわれわれは、ことを行うに当たっては、理知と感情の発動が必ず伴うものである。だからつねに節度よろしく、自分の従うべき標準を定めておかなければならないのであるが、実際にその理知と感情の均衡がよくとれて、万事に節度ある人は、きわめてまれである。どうしても喜・怒・哀・楽・愛・悪(憎)・欲の七情の発動によって、理知がくらまされてしまうのである。」

 と、「仁」を詳しく説明しています。この説明で「仁」というものを理解できますか?良く読むと、喜怒哀楽など七情の発動で理知がくらまされない人が「万事節度ある人」で「仁がある人」と言いたいようです。

 小生などは、最近、喜怒哀楽などの発動が激しくなったと、かみさんに指摘されています。また、仕事をしていたときは、職場ではこらえていても、家に帰ったりしたときや、酒を飲んだりしたときに喜びや、悲しみ、怒りなどがこみ上げてくることがありました。

 この仁の続きが三ページほどあるのですが、疲れてきましたので、次の機会の紹介したいと思います。