五木寛之さんの本、「人間の覚悟」を速く読んで、次の本を楽しみたいと思い、本の読み方としてはおかしいのかも知れませんが、最後のページを先に読んでしまいました。
五木さんが考えている「人間の覚悟」とはどういうものかは、最初のページに出てきて、考え方としては理解できるのですが、どうもすっきりしませんでした。
でも、五木さんが考えている『覚悟』がようやく分かりました。「人生は孤独で、憂いに満ちています。」から始まる最終章のページにその答えが書いてあるのです。
キリスト教の司祭が「人生は雑事とともに終わっていく」のだと言ったそうです。雑事とは、教区委員会とか奉仕活動とかのことで、司祭さんは、信仰に生きる人間が朝から晩まで山のようなこの雑事に追われて人生が終わってしまっていいのかという疑問と嘆きを言っているのだと思います。
また、、五木さんは、物書きとして整理整頓(雑事)の話をされて「夜半のミミズクみたいに自分の部屋の中を見まわしながら、人は混沌の中で生きている、すっきりと脱出する方法などないのだ、そう考えるようになりました。」といっています。
それでも、、「どんなに雑事に追われ、何もなしえずに死んでいくのだとしても、、大河の中の一滴だとしても、人が生きることには壮大な営みがある。」のです。
小生も自分の仕事を振り返ってみると、対人関係の調整や情報などの「雑事」に時間をとられて、それが本来の仕事だと勘違いしていたところがありました。
そんなちっぽけな人生でも、自分にとっては壮大な営みなのです。だからこそ、「天上天下唯我独尊」なのではないでしょうか?
小生は、この言葉の意味を「天上天下を通じて我のみが尊い」と解釈していましたが、決してそういうことではないのですね。
五木さんは次のように言っています。
『ブッダが「天井天下唯我独尊」と言ったように、自分は誰も変わることができないたった一人の存在だから尊いのです。
そのことは、上り坂の時代でも、下り坂の時代でも変わりません。この先が地獄であっても、極楽であっても、です。
生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。
そう覚悟しているのです。』
と結んでいます。
「生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。」か!
毎日、仏壇に線香をあげて仏様に手を合わせていますので、明日からは、そう念じながら拝むことにしたいと思います。