こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

Lentetuin

2005-04-19 04:45:05 | 希望
3月24日から4月24日まで、図書館前広場でLentetuin(春の庭)をやっている。移動式の観覧車の手前には、大きなイースターエッグも見える。庭を仕立てて、花や芝生を植えて、春が来たことを喜ぶイベントだ。

観覧車の席にはガラス窓がない。それがグルグルと回るのだから、結構な恐ろしさだ。人を乗せるときには、運転を一時止める。だから、一番高いところで止まってしまうこともある。以前、スイスのバーゼルで家族一緒に観覧車に乗ったときには、教会の屋根の遥か上から景色を眺めて迫力満点だったことを覚えている。移動式だから、もちろん組み立てるわけだ。日本だったら、安全性の問題で許可が下りないかもしれない。

この日、見ていると、乗っているのはアベックが一組だけ。何度も回っているうちに、今度は逆回転していた。こんなに少ないお客さんでやっていけるのだろうか、と思う。でも何とかやっていけるのだろうね、きっと。

■観覧車の後ろに写っているのが、ルーヴァン大学の図書館。ルーヴァンは、第一次世界大戦、第二次世界大戦の2回にわたってドイツ軍の空襲にあい、図書館も大きな被害を受けた。国際的な援助のもとに建物が復興され、蔵書が整えられた。詳しい経緯は、『図書館炎上』という本に紹介されている。

Antiques Roadshow

2005-04-18 05:49:10 | 歴史
毎週日曜日の夜にBBC1でAntiques Roadshowという番組を放送している。今年25周年になるという人気番組だ。

2年前、シェフィールド大学に客員教授として4週間いたときに、ホームステーでお世話になったバーナード家の奥さんのパットが好きな番組だった。彼女の脇でいっしょに見ながら、イギリスには19世紀やそれ以前の古い家具や陶磁器、食器などを家に持っている人が多いのだなと感心していた。

あるとき、番組で「根付け」が紹介され、説明したことを覚えている。日本で「根付け」を大事に持っている人はどれぐらいいるだろうか。普段の生活で着物を着ることもなく、ましてや、キセルや印籠を持つこともない西洋人が、東洋の「骨董品」を大事に保管しているのは、オリエンタルなものへの憧れがあるのかもしれない。だが、自分たちの伝統的な文化財も同じように大事にしている。毎回地域を替えておこなわれる「品評会」には、多くの人がいろいろなものを持って集まってくることが、それを証明している。

Antiques Roadshowを見ていて面白いのは、持ち寄ってきた人が「骨董品」にまつわるストーリーを語るところだ。それぞれの品には、それ自体の古い歴史があるだけでなく、その品と出会った人の「小さな歴史」がある。さまざまなジャンルを専門とする鑑定人が、やさしい語り口で、そうした歴史を紐解いてくれるのである。


シェフィールド滞在記

古い物を大切にする

2005-04-18 01:16:30 | 歴史
昨日の日曜日、ルーヴァン大学図書館で開かれていたGevaar! Erfgoed dag(危険 遺産の日)という展示を見てきた。このポスターを見ても、どんな内容なのかちょっと見当がつかなかった。

図書館に行くと、15世紀の古い地図が展示してあった。糸綴じで本を作る人、カリグラフィーを書く人、同版画印刷をする人などもいる。「危険」という言葉と、そうした展示や職人の人たちとどうも結びつかない。

今日の展示の目的を図書館の係の人に質問したら、古い伝統あるものに関心をもってもらい、それを守って欲しいという意図だということがわかった。「危険」が意味するのは、新しいものに取って代わられる危険性がある古い技術や伝統なのだった。

来ている人たちは熱心に質問したりしている。オランダ語なのでわからなかったが、関心が強いように感じた。伝統を大事にしようとする気持ちが伝わってきた。

歴史の流れのなかで私たちは生きている。そのことを意識することの大切さを改めて感じさせられた。

ロンドンマラソン

2005-04-17 20:45:26 | 希望
ロンドンマラソンを見た。女子はラドクリフ(Paula Radcliffe)、男子はケニアのレル(Martin Lel)が優勝した。

プロフェッショナルなランナーの走りは素晴らしい。それ以上に、素晴らしいのは多くの一般参加者が自分の主張をもって走っているように思えるところだ。着ぐるみやコスチュームを身にまとって走っている人がいる。走るのを楽しんでいるのだろう。ホスピスのチャリティー募金に多くの人が応じている。走ることを通して、自分の気持ちを誰かに伝えようとしているのだろう。

走ることはあるときは辛く、そしてあるときは楽しい。ロンドンマラソンの一般参加者の様子を見ていると、走ることのできる喜びを全身で表現しているように見える。

9時45分にスタートを切った男子の部では、最後尾のランナーがスタート地点に達するのに15分もかかかった。それだ多くの人が参加しているということだ。テレビのスーパーインポーズでは、ランナーたちの一言メッセージが流れている。こんなに大勢の人たちが思いを込めて走っているところに希望の光を見ることができるように思える。

ルーヴァンでの生活の様子はこちらでも紹介している。

街にはさまざまな言葉が行き交う

2005-04-16 23:10:52 | 居場所
ブリュッセルはEUの首都である。ルーヴァンは、そこから列車で30分ほどのところにある。田舎町であるが、耳をそばだててよく聞いていると、いろいろな言葉が聞こえてくる。

一番多いのがオランダ語。私はオランダ語の響きが好きだ。歌の旋律のように聞こえてくる。おしゃべりな人が多いから、特にそんなふうに思えるのかもしれない。

フランス語や英語、中国語なども聞こえる。テレビをつけると、ドイツ語、イタリア語、スペイン語のチャンネルも映る。こんな街でずっと暮らしていると、インターナショナルになっていくのだろうか。

若い頃に、一度、こうした雰囲気を味わっておくと、きっといいだろうなと感じる。自分の「海外デビュー」が40歳を過ぎてからだったことを思い出しつつ。

学生は週末には家に帰る

2005-04-15 21:28:36 | 居場所
ベルギーはとても小さな国だ。ルーヴァンから東西南北に向かう列車に乗れば、30分から1時間もすると、よその国に入ってしまう。オランダ、フランス、ドイツ、そして、ドーバー海峡の向こうにはイギリス。さまざまな国に取り囲まれている。

ルーヴァン大学には、世界中から留学生がやってくる。だが、大部分はベルギー国内の学生だ。日本だったら自宅通学できる距離だが、彼らはそうしない。学生用の安いフラットを借りたりして、親元を離れるのだ。

今日は金曜日。街の様子を見ていると、大きなリュックを背負った若者の姿が目に付く。週末に自宅に戻る大学生たちだ。洗濯物でも入っているのだろうか。それとも…。

日曜日の夕方になれば、また学生たちはルーヴァンに戻ってくる。そうして、行ったり来たりしながら、彼らは学生生活を送っているのだ。日本の学生とは、違う生活スタイルがここには存在している。

2005-04-14 05:05:31 | 時間
イースター休暇も先週で終わり、ルーヴァンの街にも学生が戻ってきた。学部生は18歳から21歳ぐらいまでだから、見るからに若い。自転車で走っている彼らを見ると、若さの特権みたいなものを感じる。

もう一つ思うのは、年を取った人が、若い人とちょっと違う顔つきをしていること。どちらかと言うと鉤鼻の、いかにも西洋人という顔つきの人が多いのだ。人間の顔は、一生のうちでそんなにも変わるのだろうか。

11年前に在外研究に来たときにも、同じことを感じた。そのとき書いた文章がある。まだ未発表なので、ここで紹介することにしよう。世代によって顔つきが変わっていくということは、人間が歴史的な時間の中で生きている証拠なのかもしれない。


顔は心の窓?

都筑 学(中央大学)

 3月末から、在外研究でベルギーのルーヴァン大学に来ています。ルーヴァン大学は、ブリュッセルの近郊にある人口8万数千人のルーヴァン市にある、学生数2万数千人を誇る大学です。大学創設は1425年。メルカトール、エラスムス、トーマス・モアなどを輩出したヨーロッパでも古い部類に入る大学の一つです。心理学科は教育科学科、社会・文化人類学科と一緒に、心理・教育科学部を構成しています。2年間で基礎課程を終え、それに続く3年間の勉強でLincentiate(修士号)を取得することができます。
 ルーヴァンは大学とビールの町と言われています。ヨーロッパの古い町並みが美しい市内のあちこちには、大学の建物が点在しています。町中がキャンパスだと言ってもよいかもしれません。大学は9月26日から新年度を迎えました。町のあちこちに学生が溢れ、朝早くから夜遅くまでとても賑やかです。
 9月21日には、心理・教育科学部の卒業式があったので、式場に出かけて行ってみました。最初に、黒いガウンを羽織った教授陣が入場し、重々しい雰囲気で式は始まりましたが、中身は日本とたいして違いがなく、1時間半ほどで卒業式は終わりました。その時に気がついたのは、卒業生に混じって父兄の姿が多かったことです。日本では、大学の入学式・卒業式に父兄が来るのはかなり一般的になってきていると思いますが、ルーヴァンでも同じ光景を見るとは思わなかったので、ちょっとびっくりしました。式の後で、私が今お世話になっているレンズ教授に、そのことを話したら、ここ数年、卒業式に父親・母親同伴で来る学生が多くなったと言っていました。
 もう一つ、9月に入って目立ったことがありました。ルーヴァン大学の学生は、その大部分がアパートかカレッジに下宿して大学生活を送ります。そこで、新入生は授業が始まる前に、自分が暮らす部屋を決めたり、大学の登録をしたりしなければなりません。9月になると、市内地図を片手に町中を歩く青年を多く見かけるようになりました。その中には、母親や父親らしき年配の人と一緒の青年が相当の数いました。私が直接見たケースではありませんが、大学の事務所で、登録用紙に母親が記入している傍らで、ただボーッと立っている新入生の男の子がいたそうです。これまた、日本の様子と何やら似ているではありませんか。
 私の頭の中には、ヨーロッパやアメリカは個人主義の国で、小さい時から自立するようにしつけられているというイメージがあります。しかし、現実に自分が見聞きすることがらは、そのイメージとはやや違い、未熟な青年という印象の方が強く感じられます。学生たちの顔つきを見ていると、幼い顔立ちの人が多いような気もします。そう言えば、ルーヴァンに来て間もなくの頃、ベルギー人の顔つきのことで家内と話したことがあります。その時の疑問は、なぜベルギー人は若い時にはやさしい顔つきなにに、年を取るといかつい顔つきになるのかということでした。私は、それを聞いたときに、昨年の大会のシンポジウムで、シンポジストの一人の長野精二さん(日立金属(株)磁性材料研究所)が、新入社員の集合写真を年代別に比べてみると、最近の新入社員は顔つきが幼くなっている、と言っていたことを思い出しました。もし、そのことが普遍的な事実だとすれば、ベルギー人は年を取ると顔つきが変わるのではなく、ベルギー人も世代によって顔つきが違うということになるわけです。「40歳(?)になったら自分の顔に責任を持て」と誰かの有名な言葉があるように、精神のありようは顔つきにも反映するのだろうと思います。顔つきを判断する客観的基準はありませんが、このような面から青年の心に迫るのもおもしろいと考えたりしています。



私の名前はManubu?

2005-04-13 03:04:52 | 自己
名前は自分と他人を区別する符号のようなものとも言える、しかし、その一方で、自分が誰であるのか、自らのアイデンティティを示す重要なものでもある。

写真にあるのは、一昨年2~3月にかけて4週間Visiting Professorとして滞在したイギリスのシェフィールド大学の研究室にかけてもらったネームプレートである。3段目にProf.Manubu Tsuzukiと書いてある。このときは、「ああ、まちがっているなあ」としか思わなかった。

今回、ルーヴァン大学でu0018166というID番号をもらい登録してもらった。大学の職員名簿にも載っている。図書館のカードも作ってもらった。身分証明書は、まだ届いていないが、そのうち郵便で送ってくれるだろう。インターネットで検索してみると、やはりManubu Tsuzukiと書いてあるではないか。

この二つの誤りは果たして偶然の一致か、あるいは必然か。どちらかはわからないが、結局、ManabuもManubuも、発音するとほとんど変わらないので、書きやすいように書いたのではないかという結論に個人的には達したのだが…。

なお、このブログでmunubuとしているのは、manabuがすでに登録されていたからという理由です。manabuもmanubuもmunubuも、同じ発音かも。

シェフィールド滞在記

未来は過去から生まれる

2005-04-12 02:43:40 | 希望
「過去のことを水に流す」と言う。友だち同士のわだかまりをいつまでも根に持つのはよくないことがある。だから、水に流して、一から出直した方がよいのだ。

しかし、決してそうしてはならないものがある。たとえば、戦争のこと。ドイツと日本は同じ敗戦国だが、大きく違うことがある。それは、過去の「負の遺産」に立ち向かおうとする姿勢だ。ドイツ国民は徹底して、過去と向き合い、それを胸に刻んで生きようとしている。

ヴァイツゼッカー元大統領の「荒れ野の五十年」の演説は有名だ。過去を忘れようとしても、過去がなかったことにしようとしても、それは無理なのだ。なかったことにするのではなく、それを忘れずに教訓として、未来に生きること。それが私たちの生きる使命なのだと思う。

古いことにこだわり続けたい。そこから未来が生まれるのだから。

五月山の桜@桜花ブログ

トイレにも部屋番号が…

2005-04-11 22:41:14 | くらし
心理学部の01.10というのが私の部屋だ。日本だと1階の10号室となる。しかし、こちらでは、ファースト・フロアは2階。正面玄関脇の階段を上った一番最初の部屋となる。学生があまり来ない静かな場所にある。元々、学部長の部屋だったのも頷ける。

面白いのは、トイレにも必ず部屋番号が付いていること。たとえば、グランド・フロア(1階)からファースト・フロア(2階)に上がる踊り場には男子トイレがあり、それは01.11。いつでも、どこでも、私は「どこにいる」ことがわかるようになのか?なぜ付けてあるのか、その理由はわからないが何とも不思議なことである。

もう一つ、トイレの朝顔の高さが非常に高いのもカルチャー・ショックを受けることの一つだ。これは男性の人に体験してもらうしかないが。

将来の夢

2005-04-10 22:39:29 | 希望
小学6年生のとき、将来は医者になりたいと思っていたことがある。国語の教科書に出てきたパスツールに影響を受けたらしい。そんな夢を抱いていたことをずっと忘れていたのだが、あるときたまたま出てきた文集を見つけて、そういう夢をもっていたのだと改めて感じたものだった。このエピソードは、希望の心理学の第2章で紹介してある。

子どもの頃の夢は、たわいもないものかもしれない。しかし、夢をもつとは、未来に何かを賭けることだと思う。夢には、生きるエネルギーのようなものがたくさんつまっているのだと思う。

教育学者の子安潤さんが、小学生の興味深い教育実践を紹介している。教室で子どもたちに、「1.自分の好きなこと2.自分の失敗・成功の経験、3.将来の夢」をカードに書いてもらい、その後に、誰がどのカードを書いたのか当てるゲームだ。名づけて「私だけが知っている」。詳細は、こちらで

確かに、それぞれの子どもの夢には個性が反映されている。また、お互いの夢や好きなことなどを知るのは、とても大切なことだ。子どもたちが、面白がっている様子が目に浮かぶようだ。もしかすると、大学生でも、こうした「ゲーム」が意味を持つかもしれないなどと思ったりした。


KOYASU am BLOG

葬儀と結婚式

2005-04-10 00:49:02 | 時間
昨日はローマ法王、ヨハネ・パウロ2世のお葬式。CNNもBBCも、朝からずっとその映像を流していた。ローマ市内に集まった弔問客は500万人というから、ものすごい数だ。

そして、今日はイギリスのチャールズ皇太子の結婚式。元々は8日に予定してあったのが、法王の葬儀と重なるので一日延期された。今日のニュースは、ずっとその映像ばかり。ウィンザーの公会堂の周囲には、大勢の人が集まっていた。

葬儀と結婚式。どちらも人生のなかで、大切な出来事だ。世界中が注目するような葬儀と結婚式が連続したのも何かの偶然なのか。「人生って、こんなふうに、あれこれあるものなのだな」と思わずにいられない。

じごくのそうべえは死に損なったけど無事に生き返り、ダスティン・ホフマンはキャサリン・ロスを結婚式の途中で奪っていく。現実には、そんなことは滅多にあり得ないかもしれないけれど、そんなハプニングを内包しているのが人生というものだろう。

住居表示

2005-04-09 02:01:42 | 土地
ルーヴァン市内の真ん中に市庁舎が建っている。ガイドブックで「石のレース」と紹介されているとてもきれいな建物だ。ヨーロッパの古い街は、必ず中心に市庁舎があり、市内と市外を区別するリング(昔の城壁の跡)がぐるりを周囲を取り囲んでいる。市庁舎からリングまでは15分ほどだ。私が現在住んでいるベゲーノフはリングから数分、市庁舎まで10分ぐらいのところにある。

今日、昨日見つけた本を借りにGodgeleerheid図書館に出かけた。Sint-Michielstraat 6にあるというので、市内の地図を広げて探してみる。市内の通りには全て名前が付いている。それは、どんな小さな通りでも例外がない。私の家の前の通りもBovenstraatという名前がある。

Sint-Michielstraatは歩いて5分ほど。聖ピータース教会の横の道を入る。Godgeleerheid図書館はマリア・テレーザ・カレッジの中にあった。入り口には、6という数字が書かれてあった。図書館は建物の奥深いところにあって、神聖な感じ。いかにも古そうな大きな本を読んでいる人がいる。どの本も借りることができないという。結局、お目当ての本は書棚になく、手ぶらで帰ってきた。

ヨーロッパの古い街に行ったら、まず地図を手に入れる。そして、行きたい場所の通りの名前を確認する。番地が奇数だったら、市庁舎から見て左側、偶数だったら右側を探せば、行きたい場所は見つかる。とても合理的なシステムだ。

プライド

2005-04-08 19:24:30 | 希望
昨日借りてきたストットランドの本の1~3章を読む。希望とは、達成できる見込みが強い目標だと述べてある。達成できそうもないと、不安が生じるとも書いてある。同時に、あまりに簡単に達成できるような目標に対しては、あまり動機づけが高まらない。

ストットランドは動機づけ研究で有名なアトキンソン(レンズ教授は若い頃、ミシガン大学にポスドクで留学し、アトキンソンのもとで研究生活を送ったことがある)を引きながら、人間がいかに行動するかは、成功の見込みだけでなく、自分のプライドがどれぐらい高まるかが鍵になると述べる。

「孤高を保つ」「武士は食わねど高楊枝」など、自らのプライドをかけて、人は行動することがある。ストットランドの希望理論は、アメリカ流の行動重視の心理学に基礎づけられたものである。でも、希望を取り扱おうとする限り、人の精神生活を抜きにしては論を進めていけない。プライドという概念を引っ張り出してきたストットランドにも、その傾向を見て取ることができるだろう。

希望について語るとき、達成できそうもないものを求め続ける人間の意志がどこからやって来て、その人に何をもたらすかをきちんと把握できないといけないとだろう。

図書館で本を借りる

2005-04-08 13:57:19 | 希望
心理学部の図書館に行った。元々は研究室などのある建物に同居していたのだが、数年前に歩いて2~3分のところに移っていった。1階には本、地下1階には雑誌が置いてある。

本の検索はコンピュータでおこなう。これはどこの大学でも同じだ。PsycLITの検索もできる。学生が7~8人、何やら検索している。タイピングの測度がやたらと早い人がいる。

私も、hope & psyhologyとキーワードを入れて検索してみる。すると、StodlandのThe psychology of hope がヒットする。ストッドランドは臨床的な視点から希望について論じた人だ。名前はこれまでにも知っていたが、実際に本を手にするのは初めて。ついでに、Kaplan(カプラン)が書いた同じタイトルの本も借りてきた。

キーワードにhope & futureと入れると、The future of hope: christian modernitiy and postmodernityという本が見つかった。これはGodgeleerheidの図書館にある。オランダ語の辞書が手元にないのでよくわからないが、神学部ではないかと推測。希望はもともとキリスト教的な思想から生まれたものだ。今度、Sint-Michielstraatにある図書館まで借りに行ってみようと思う。



<心理学≠カウンセリング>から再び教育を考える