こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

トゥーマイ

2005-04-07 03:46:31 | 希望
現在開かれている愛知万博で、中部アフリカのチャド発見された700万年前の猿人サヘラントロプス・チャデンシスの複製が展示されている。

この猿人はトゥーマイという愛称呼ばれている。これは、この地域で乾期の直前に生まれた子どもに付けられる名前。「生命の希望」を意味している。

希望の心理学』の第一章で、私たちの希望が人類史的に見ても、永遠と続く歴史のなかに位置づけられる一例として、このトゥーマイのことを紹介している。

今回、トゥーマイの顔が復元された。発見者のミシェル・ブルネ教授がネイチャー誌に発表したものだ。科学的な論争は続いているらしいが、私は人類の希望の源がトゥーマイにあると考えたい一人である。

*トゥーマイの復元写真は、asahi.comに掲載されていたものです。

バカンス

2005-04-06 12:33:23 | 時間
先週と今週はイースターの休暇。大学の授業も休みで、学生もほとんどいない。ルーヴァン市内も人が少なくのんびりした感じ。

昨日、理容店を営む知人のイヴェットさんを訪ねていったら留守。従業員の女性に聞いたら、彼女は来週の土曜日までバカンスだという。きっとご主人のカレルさんといっしょにスペインかどこかに出かけていったのだろう。

バカンス(vacance)はフランス語。複数形で休暇の意味。空席、欠員、不在、空白の意味もある。英語のvacancyにも、古くは休暇の意味があったようだ。しかし、今は、主に後者の意味で使われる。

バカンスとは、文字通り、いつもの場所にいないことを指す。自分のスケジュールにしたがって、それぞれが休んでいく。そして、バカンスが終わると、人々はまた空っぽになった仕事場に戻ってくる。そのとき、身体も心もリフレッシュしているのだ。

身体という言葉は、もともと「空」(から)を含んでいる。立川昭二の『からだことば』という本に確かそう書いてあった。だから、私たちは、ときどき、空っぽにしてエネルギーを身体に蓄える必要があるのだと思う。バカンスは、そんな働きをしているのだろう。

ちなみに和歌山弁では、「からだ」のことを「かだら」と言うそうだ。

親切

2005-04-05 19:01:20 | 時間
ルーヴァンでは、心理学・教育科学部にある動機づけと時間的展望研究センターのウィリー・レンズ教授のところでお世話になっている。写真は、建物の入り口。

レンズ教授は、とても気さくで親切な人だ。ペルーから来ているリエナというドクター・コースの院生に言わせると、「ウィリーはいつでもアベイラブルだ。他の先生は……」となる。いつ会いに行ってもきちんと対応してくれることを意味しているようだ。先ほどもわざわざ電話をかけてきて、「頼んでおいた表玄関の鍵が準備できたから取りに来たらいい」と言ってくれた。

「情けは人のためならず」なのだと思う。この慣用語は、今では、「人に情けをかけるのはよくない」と誤用されている。本来は、「人に親切にしておけば、いつかはそれが自分に回り回ってくる」の意味だ。功利的に考えて親切にするのはどうかと思うが、でも、人には親切にしたいものだ。そして、そうした時間の共有を大事にしたい。

火災報知機の工事

2005-04-04 23:03:04 | 時間
朝そろそろ出かけようとしていたら、火災報知機を設置する工事に数人のワークマンがやってきた。音が出てうるさいというので、早々に出かけることにする。

昼休みに、食事をしようと思って部屋に戻ってきたら、この状態。ベットやテーブル、冷蔵庫の上に、大きな布がかけられている。こういう芸術もあったなあ、などと思う。

結局、部屋で食事をすることができなかったので、外のカフェでピザを食べる。

今、住んでいるベゲーノフはユネスコの文化遺産に登録されている歴史的な建築物。部屋の天井の太い梁(はり)を見ると、1649という刻印が押してある。古い建物を保存していく思想がきっちりと確立されているのだ。周囲との統一などお構いなしに奇妙な形や色の建物が建てられていく日本とは大違いだ。

鳥の声

2005-04-03 21:35:08 | 希望
朝の5時頃になると、コマドリが鳴き始める。チュチュッチュチチチ~というような感じの鳴き方だ。文字で書き表すのは難しい。興味のある人は、こちらのサイトで確認できる。

かつて、チェロ奏者のパブロ・カザルスは、1971年、国連でカタルーニャ地方の民謡「鳥の歌」を弾いた後に、「故郷では鳥たちがピース(平和)、ピース(平和)と鳴くのです」と語った。カザルスは、第二次世界大戦後に誕生したフランコ将軍の独裁政権に抗議して、演奏をずっと休止していた反骨の音楽家である。

私たちは、鳥の声にさまざまな意味を込めてとらえることができる。鳥たちの声に、希望の春の訪れを願わずにはいられない。願い続けること。それが私たちにできることであり、そして、それが結局は世の中を動かしていく力となっていくのだと思う。


時差ボケ

2005-04-02 12:12:16 | 時間
ベルギーと日本の時差は7時間。こちらに来て4日目を迎え、時差ボケもやや軽くなってきた。それでも、朝3時頃に目が覚める。日本では10時で、いつもなら大学の研究室で仕事をしている時間だ。夕方の17時頃になると、今度は眠くなってくる。そのとき、日本は午前0時。いつもすでに寝ている頃だ。

ヨーロッパから見ると、日本は極東(The Far East)の国。ベルギーと日本の間にある7時間の時差が、その距離の遠さをあらわしている。

今、私は自分の身体で、その距離を実感している。この苦しさも、あと数日で終わることを祈るばかりだ。

歩くということ

2005-04-02 04:11:59 | 時間
人間は歩くスピード以上の早さで移動すると、それだけで疲れるらしい。自動車や新幹線や飛行機に乗って旅したときに、自分では何もしていないのに、何となく疲労を感じるのはそのせいらしい。

ここルーヴァンでの私の生活は、どこに行くにも歩いて行くのが基本だ。少し波打ったようなレンガを敷き詰めた道をテクテクと歩く。一番最初にルーヴァンに来た1992年のときに、足にマメを作ったのを思い出す。それほどに道はデコボコしている。

歩いていると、いろいろなことに気が付く。今日も大学に行く途中で、三階建ての建物の最上階の窓に消防署の梯子車のような電動梯子を立てかけて、家具を降ろしているところを見かけた。そんなふうにして、荷物を搬出するのだとわかった。

歩いていると、時間がゆっくりと流れる。日本と比べると、歩き方もみんなゆっくりなような気がする。そうした時間の流れを大事にしたいと思う。

ルーヴァンでの生活が始まる

2005-04-01 10:15:09 | 居場所
3月30日から在外研究でベルギーのルーヴァン大学に来ている。昨日は、市役所に行って住民登録をしてきた。1994年度にも、在外研究に来ていたことがある。市役所では、そのときの記録が電子化されて残っていた。そのことにちょっと驚いた。

住まいはGroot Begijnhofという大学の宿舎。写真のとおりの建物だ。前回は右側の84/3(2階)に一年間住み、今回は左側の86/1に半年間滞在する。

住民登録の手続きは、日本で言うところの住所変更届けのようなものだった。警察でのチェックをした後で、正式なIDカードを発行してくれるという。

ルーヴァンは、今回を含めて5回目の訪問になる。自分にとって、第二の故郷のような気がする大事な場所だ。