ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』

2019-06-01 21:16:33 | 小説
パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』という小説を読みました。

以前書いたように、現在私はミステリーの古典を読むキャンペーンを個人的に実施しており、その一環です。

原題は Strangers on a Train
P. ハイスミスのデビュー作です。

彼女の作品としては、『太陽がいっぱい』の映画版を見たことがありましたが、小説を読むのは恥ずかしながら初となります。

私が読んだのは2017年に新しく出た河出文庫版ですが……解説を書いているのは拙著の帯にもその言葉が引用されている評論家の千街晶之さんです。

その解説で千街さんは、ハイスミスについて、「自分がミステリ作家だと認識していなかったらしい」と述べています。
なるほど、たしかに読んでいるとそういうふうに感じられました。謎解きというよりも、登場事物の心理描写とか、そういったところで読ませる作品でしょう。
訳者である白石朗さんのあとがきによると、アメリカの作家がこの作品に関するエッセイを書いていて、そこで「ドストエフスキーやニーチェ思想のモチーフ」を指摘してるんだそうです。
ドストエフスキーというのは、よくわかるような気がします。ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』なんかも、形式上はミステリー的な筋立てになっていて、そこに文学性や哲学性が垣間見えるという、そういう感覚でしょう。私個人の感想としては、カミユの書いた小説を読んだときのフィーリングに近いものを感じました。いずれにせよ、哲学とかそういう方向をむいているんだと思います。

さらに解説からの引用となりますが、この作品はハイスミスの実質的デビュー作だそうです。
それまでに2作ほど長編を書いたものの、出版社に出版を断られたといいます。
まあ、そんなもんでしょう。
JKローリングスは『ハリーポッター』を出版するまでに10以上の出版社に断られたそうですが、かのビートルズもレコードデビューするまでに5つのレコード会社に契約を断られたといい……ヒットするものというのは、そういう扱いを受けることがしばしばあるわけですね。

さて、それまで出版を断られていたハイスミスが、この『見知らぬ乗客』でデビューするわけですが、その決め手となった要素は何なのか?
千街さんは、“交換殺人”という趣向がそれではないかとしています。
消してしまいたい相手がいる二人の人間が、対象を交換して殺人を行う。殺害の実行者は被害者とはなんの関係もない人間なので、動機や人間関係をいくら探っても捜査線上に浮かび上がってこない――というやつですね。今のミステリー界ではそう珍しいものでもなくなっているでしょうが、この作品は、ミステリー史上において最も早く交換殺人を扱った例だということです。

まあ、最終的には真相が発覚してしまうわけなんですが……しかし、この『見知らぬ乗客』では、その部分がかなりあっさりしているようにも感じられました。
本格ミステリーであれば、探偵役がいかにしてその真相に気づき、犯人を追い詰めるかというところが焦点となるわけですが、この作品では、そこがかなりさらっと描かれている印象です。やはり、そういう意味で、純粋に“ミステリー”という作品ではないですね。文章そのもので読ませる作品というか……そういう観点でみると、白石朗さんの訳が実にしっくりします。はじめは人を殺すつもりなどなかった主人公が、強迫観念に駆られるようにして殺人にいたるまでが、圧倒的な筆力で描かれています。それはまさに、カミユの『異邦人』に匹敵するレベルといえるのではないでしょうか。
この作品が発表されるや、かのアルフレッド・ヒッチコックが目にとめて映画化を決断したといいますが、それもうなずけます。本格系とはまた別枠ですが、ミステリー市場に残る傑作といえるでしょう。