夢野久作の『犬神博士』を読みました。
不思議な能力を持った少年が、各地を放浪したすえに、福岡で炭鉱をめぐる抗争に巻き込まれるという物語です。
あの『ドグラ・マグラ』の圧倒的な吸引力に比すれば、いささか物足りないところはありますが……
しかし、福岡県民としては、福岡県の地名がいろいろと出てきて、親近感もわいてきます。また、作中にドグラマグラという言葉が出てきてにやりとさせられたりもしました。
この作品においてまず注目されるのは、女装の少年という主人公像ですね。
古来日本では、世直しとして美少年が活躍します。
江戸時代にそういう都市伝説めいたものがあり、歌舞伎なんかでも、そういう演目がよくあるそうです。天草四郎なんかも、感覚としては同じでしょう。そういう点で、『犬神博士』は日本古来の世直し観を反映しているのです。
また、作中には玄洋社が登場します。
夢野久作ファンならご存知のとおり、彼の父親は右翼の大物で、玄洋社の頭山満とも関係がありました。そういったことも背景にあるわけでしょう。
描かれるのは、役人の横暴と、それに抗する玄洋社の壮士たち。
ここには、考えさせられるところがいくつもあります。
玄洋社の壮士たちというのは、早い話がやくざみたいなものです。しかしでは、そのやくざが悪で官憲が正義なのかといえば、そうとも言い切れない。官憲たちは、炭鉱を自分たちのものにしようとしている。それに抗う壮士たちの側にも理があるのではないか?
さりとて、ではその壮士たちの理は何かというと、これから清・ロシアと戦争をするときに炭鉱は大きな利益が出る。それを官吏が独占していいのか、ということなのです。それはなんだかなあ、と思わされます。まあ、そのあたりのことを現代の価値観でジャッジしても仕方がないといってしまえばそれまでですが……
しかしここには、深い問題意識があるといえるかもしれません。
全体主義的な国家が国民を抑圧しようとするとき、それに立ち向かえるのはアウトローな存在ではないのかという……
この作品が書かれたのは昭和六年ごろ。
三月事件があり、満州事変があり、十月事件があり……この国がどんどんきな臭い方向に向かいつつあった時期です。
『犬神博士』には、その空気が反映されているともいいます。
まさに、日本が抑圧的な空気に覆われつつあった時代――夢野久作は、そこに“世直し”の必要を痛感していたのではないでしょうか。
現実の歴史をみれば、世直しどころか軍部とそこに連なる狂信的集団の相次ぐ活動によって、日本は軍事独裁国家化し、崩壊してしまいます。やはり、現実の世界は、物語のようにはいってくれないということなんでしょうか……
作中に「人民がしてならぬ不正な事で、役人だけがしてよいという事はただの一つもない」という言葉が出てきますが、これはまさにそのとおりでしょう。
そういったところをみていると、この『犬神博士』は、まるで現代日本にむけたメッセージのようにも感じられました。