ロック探偵のMY GENERATION

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国家総動員法

2024-12-08 23:33:53 | 日記


今日は、12月8日。

真珠湾攻撃によって、太平洋戦争がはじまった日です。
ということで、毎年恒例となっている、近現代史シリーズ記事です。

前回このジャンルでは、昭和12年の盧溝橋事件をとりあげました。
時系列に沿って、今回は昭和13年に進みましょう。


昭和13年という年は、前年にはじまった日中戦争が泥沼化の様相を見せ始めた時期でそんななかで出てきたのが、悪名高き国家総動員法です。

その名のとおり、戦争の長期化を見据えて、国家の総力を戦争に振り向けるための法制度。
ちょうど、いまロシアがウクライナに侵攻し、泥沼化の末に戦時体制に舵を切ったというふうに考えると、理解しやすいでしょう。
人や物資の調達だけでなく、価格の統制といった経済的側面や、言論の統制もそこには含まれており、まさに国民生活全般に影響するものでした。

戦争なのだから、総力戦体制にするのは当然という考え方もあるかもしれませんが……ここで問題になるのは、内閣が議会に諮ることなく物資を調達できるとしたこと。これは、立法府としての国会の権能を侵すものであり、「立法と行政を一体化する」ということにつながります。
当時日本の同盟国であったドイツのヒトラー政権が作った全権委任法も、同様に立法と行政を一体化させるものでした。そのうえ憲法に違反してもいいとしていたドイツの全権委任法ほどではありませんが、日本の国家総動員法も、全体主義国家の基礎になってしまったとはいえるでしょう。立法権と行政権が切り離されていなければ、その国家は不幸な目に遭う……モンテスキューの警告していたことが現実となるわけです。

後の大政翼賛会もそうですが、これが近衛政権下で行われたというのも、問題の根深さを感じさせます。

国会での審議段階では、足元で進行中の日支事変(日中戦争)にこの法律は適用しないというのが近衛内閣の基本姿勢でした。
ところが、ひとたび法案が可決成立すると、その直後に国家総動員法は一部発動されてしまうのです。
つまりは公約違反。
一般には、法案を成立させるために政権側が嘘の説明をしたというふうにいわれますが、近衛政権の側からすると、軍部の圧力でそうせざるをえなかったということになります。このへんはなかなか複雑で人によって味方が分かれるところではあるでしょうが……法案の成立からその実施に至るまでの過程で、軍のごり押し圧力が相当に働いていたことは間違いありません。国会で政府側委員として法案の説明に立った軍務局長がヤジを飛ばした議員に「黙れ!」といったという有名なエピソードがありますが、法案の発動に際しても、陸軍の情報部長が国家総動員法発動の必要性を説く談話を勝手に発表するということがありました。軍の独走に政治の側が引きずられていくというおなじみの構図が、ここにも見えるのです。
見ようによっては、国民に人気があり、(当時の基準でいえば)進歩的ともみられていた近衛文麿を隠れ蓑にして、軍が自分たちの望む軍事独裁政権を実現させているようでもあり……そう考えるならば、後の大政翼賛会もまさに同じでしょう。


話は変わりますが、先日、韓国で戒厳令が発動されるという騒動がありました。
非常事態とか緊急事態に対応する法制度というものは、一歩間違えれば、権力者に恣意的に使われてしまうおそれがある……そういう危険性を感じさせるできことでもありました。
一部報道によれば、尹大統領は、軍の情報機関に与野党の政治家を逮捕するよう指示し、情報機関の責任者がその命令を拒否すると、更迭してしまったのだとか。選挙に敗れ、スキャンダルで窮地に追い込まれた指導者が、そういう無茶苦茶なことをやってしまう……おそろしいことです。


緊急事態のための法制といえば聞こえはいいかもしれませんが、日本でもドイツでも、立法と行政が一体化した体制は延々と続くことになり、その末に国家は焦土と化してしまいました。その歴史を考えれば、この手のシステムがいかに危険かということは意識しておく必要があるでしょう。