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フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

2022-03-06 16:36:59 | 小説



最近このブログでは、ロシアによるウクライナ侵攻に関する記事を連投しています。

前回は日本漫画協会の声明を紹介しましたが……今回は文学記事として。

取り上げるのは、ロシア文学の巨人ドストエフスキーです。



今回のウクライナ侵攻で、ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』がクローズアップされています。

たとえば、イタリアの大学で『罪と罰』の講義を削除するというような話がありました。
ミラノのビコッカ大学というところで、そういう方針が決められたとかで……ただこれは、担当者が強く反論したために方針は撤回され開講されることになったそうです。
まあ、さすがに『罪と罰』の講義を削除というのは行き過ぎでしょう。
先日の記事では、ロシアが軍事行動を続ける限りありとあらゆる制裁を受けるのはやむをえないと書きましたが、ロシアの文化を否定するべきではありません。

そしてもう一件、ウクライナ侵攻をめぐるニュースで『罪と罰』のタイトルを目にすることがありました。
それは、国連総会における一幕。各国の代表がスピーチしていくなかで、ポーランドの代表が『罪と罰』になぞらえてロシアを批判しました。
「ラスコーリニコフは、自分を特別な存在だと考えて罪を犯し、そしてその罪自体から罰を受けたのだ」と。

これは、『罪と罰』の内容に踏み込んだ言説といえるでしょう。
そう。まさにこの作品は、プーチン大統領にむけられたような内容となっているのです。


一応説明しておくと、『罪と罰』は犯罪小説です。
主人公のラスコーリニコフが、金貸しの老女を殺害するのですが……この殺人は、“踏み越える存在”はありうるかという思考実験でした。
つまり、偉大であるために他者を犠牲にすることが許される存在はありうるのか――ということです。自分がそのような存在であるかということを試すために、ラスコーリニコフは殺人を犯しました。
その第5部。理解者であるソーニャに己の罪を告白するシーンで、ラスコーリニコフはこういいます。(以下、引用は亀山郁夫訳・光文社古典新訳文庫版より)

今になってわかるんだ、ソーニャ、頭も心もつよくてしっかりした人間だけが、やつらの支配者になれるってことがさ! いろんなことを思いきってやれる人間だけが、やつらのあいだじゃ正しいってことになるんだよ。よりたくさんのものに唾を吐きかけられる人間だけが、やつらの立法者になれるんだ、だれよりも正しいものは、だれよりもたくさんのことを思いきってやれる人間だけさ!

人間などシラミのようにつぶしてしまえる、そういう存在こそが、権力を持つ資格がある……ラスコーリニコフを捉えたのは、そんな思想です。権力は「身をかがめてそれを拾いあげようとする、勇気ある者だけに与えられる」のであり、彼にとっては、老女の殺害が「勇気をもって身をかがめること」だったのです。

ぼくは知る必要があったんだよ、一刻も早く知る必要があった。自分がほかのみんなと同じシラミか、それとも人間か? 自分に踏み越えることができるのか、できないのか? 身をかがめて拾い上げられるか、あげられないか? ふるえおののく虫けらか、それとも資格があるのか……

踏み越える存在はあるか――
この問いに対するドストエフスキーの答えはニェット(否)だったと私は思います。

ラスコーリニコフは、「ぼくはほんとうにひと思いに自分を殺してしまった」といいます。
できるかどうかを思い悩み、苦しんでいる時点で、自分は“踏み越える存在”ではない。一匹のシラミにすぎない――彼がたどりついたのは、そういう結論でした。

そこには、ドストエフスキー流の実存主義があり……案外それは日本に古くからある思想と通底するものがあるんじゃないかと私は思ってます。
日本の民族的ルーツの一つはロシア東部にあるらしいですが、そういったことも関係しているかもしれません。

そのへんについて話すと長くなりますが……ここで、ドストエフスキーのもう一つの代表作『カラマーゾフの兄弟』の一節を引用しましょう。四兄弟の次男イワン・カラマーゾフが弟のアリョーシャに対して語るせりふです。

もしも子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな。

プーチン大統領がロシア文化から学ぶべきだったのは、まさにここでしょう。
子どもたちの苦しみを糧として得られる真理などない。その先に、誇るべき国家の姿などありえないのです。

『罪と罰』のラスコーリニコフは、“踏み越える存在”の例としてナポレオンを挙げていますが、そのナポレオンは、ほかならぬロシアへの遠征に失敗して転落していきました。いまプーチン大統領が歩んでいるのは、まさにその道ではないでしょうか。

プーチン大統領に申し上げたいのは、あなたは“踏み越える人間”などではないということです。
あなたも、所詮はただのシラミです。
しかし、せめて、己の犯した罪と、それによって流れた血のために、思い悩み苦しむシラミであってほしい。そうであれば、まだ救いがある。
では、どうすれば救われるのか……最後に、ソーニャがラスコーリニコフに与えた助言を紹介しておきましょう。

いますぐ、いますぐ、十字路に行って、そこに立つの。そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀して、みんなに聞こえるように「わたしは人殺しです!」って、こう言うの。そうすれば、神さまがもういちどあなたに命を授けてくださる。





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