今回は、ひさびさに近現代史ネタの記事を書こうと思います。
このカテゴリーとしては、前に満州事変前夜というべき動きについて書いてきましたが、ここでいよいよ満州事変です。
今月の憲法記念日の記事で、戦前の日本の暴走について書きましたが、その暴走の最たるものが、満州事変でしょう。それ以前から“下克上”の動きはあったわけですが、それはいうなれば助走でしかありませんでした。その助走を止めなかったために、いよいよ軍や民間右翼の活動家たちは埒を破って本格的に暴走し始めます。満州事変は、その踏切ラインのようなものといえるでしょう。
満州事変は、1931年9月18日、柳条湖における満鉄の線路爆破によってはじまります。
よく知られているように、これを中国側から攻撃されたと言い張って、関東軍は軍事行動を開始。
そこから、満州国建国へとむかっていくわけです。
発端となった鉄道爆破は、「爆破」といっても、ほとんど被害のないものでした。
実際、爆破の後にその地点を何事もなく列車が通過しているといいます。意外なことに、レールの一部が欠損していても、直線部分を高速走行している場合であれば勢いで通過できるんだそうで……実行者たちもそれを知っており、列車に被害が出ないよう計算して爆破したのだとか。
なんだその微妙な気遣いは……という話です。
意識をむけるところが根本的にずれてるわけです。
そんな計算をするぐらいなら、自分たちの行動がどういう結果を引き起こすかをきっちり計算しておくべきだったでしょう。
彼らの常軌を逸したところは、随所に見出すことができます。
前に書いた決行前倒しの件もそうですが、ほかにもたとえば、決行するかどうかをじゃんけんできめたなんて話もあります。
もっとも、この点に関しては、割り箸を倒して占いをやったという話も。
いわゆる“国家改造主義者”たちの証言は、他の資料と食い違いがあったりしてそのまま真に受けていいのかわからない部分が多々ありますが……いずれにせよ無茶苦茶であることに変わりはないでしょう。
出発点がそんな感じなので、その後の経緯もひたすら滅茶苦茶です。
たとえば、錦州爆撃。
張学良の拠点を爆撃したもので、これがさらに日本の立場を悪化させることになるわけですが……これに関しても「事態を悪化させてしまった」のではなく、はじめから「悪化させる」つもりでやったのだという証言があります。
国際連盟の枠組みのなかに日本政府はあくまでもとどまろうとしていましたが、そんな政府の「弱腰を粉砕するために」、わざと連盟を挑発するような行動をとったというのです。
実際、彼らの目論見はあたり、国際連盟は日本に対する態度を硬化させ、これが国際連盟脱退につなっていきます。
きわめつけは、朝鮮軍の行動です。
朝鮮軍――といっても、その当時日本に植民地だった朝鮮半島に駐留していた日本軍という意味ですが――彼らも、この関東軍の暴走に呼応して動きます。
当時朝鮮軍のトップを務めていた林銑十郎は、国家改造主義者の一味でした。
そもそも、関東軍が行動を起こした背景には、この林銑十郎ならば自分たちに呼応して動いてくれるという目算があったといいます。
果たして、その期待通りに林銑十郎は行動を起こします。独断で鴨緑江をわたり、関東軍を援護するのです。中央からは明確に止められていたにもかかわらず……これはあきらかな越権行為であり、天皇の統帥権を侵犯してもいます。
ところが――当時の若槻内閣はこれらの暴走を追認してしまうのです。
「やってしまった以上、しかたがない」というのが、その言い分です。
結局のところ、関東軍と朝鮮軍の暴走は、閣議決定というかたちで事実上事後承認されてしまいます。
これがもう、滅茶苦茶でしょう。
右翼も左翼も関係ありません。純粋に、組織統治の問題として、信じがたいことです。
いっぽうで天皇主権といいながら、主権者であり軍の全権を掌握する天皇の判断もスルーして、閣議決定というかたちでそれをやってしまう……ここから、日本は壊れていくのです。
その背後には、国民の支持があったことも否定できません。
柳条湖事件後の関東軍の進撃を、国民は熱狂的に支持してしまいます。これがあったために、軍の上層部や政治家たちが関東軍の暴走を積極的に止められなくなった側面はあるでしょう。
関与した人たちは、処罰されるどころか、その後地位を高めていきます。
小磯国昭や、先述した林銑十郎などはこの後総理大臣になっているわけですが、これがもういかれているとしかいいようがありません。こんなことがまかりとおっていたら、国が破滅するのはある意味当然でしょう。
ここから得られる教訓は、無茶苦茶な行動を「もうやってしまったことだからしょうがない」で認めてはだめだということでしょう。
無茶苦茶な行動は、たとえすでにやってしまったあとであろうときちんと無効にしてしまわなければならない。そうしないと、追認がさらなる暴走を招き、制御不能な状態に陥ってしまうということです。
どうも日本では、「もうやってしまったことを咎めても仕方がない」という考え方が強くあるように思えるんですが、これが実は、日本的無責任体制を支えているものなんじゃないでしょうか。