ちょっと前のことになりますが、今月の9日、長崎原爆の日ということで「長崎の鐘」という歌についての記事を書きました。
そこで、作曲者として古関裕而の名前が出てきました。
せっかく朝ドラモデルの話題になったところでもあるので……今回も、同じ古関裕而作曲で戦争の惨禍を歌った歌として、「ひめゆりの塔」という歌を紹介したいと思います。
作詞は西条八十。
沖縄戦で犠牲になったひめゆり学徒隊のことを歌った歌です。やはり、この8月にはそういう歌が響いてきます。
首途(かどで)の朝は愛らしき
笑顔に 母を振り返り
ふりしハンケチ 今いずこ
ああ 沖縄の 夜あらしに
悲しく散りし ひめゆりの花
生まれの町も もえさかる
炎の底に つつまれて
飛ぶは宿なきはぐれ鳥
ああ 鳴けばとて 鳴けばとて
花びら折れし ひめゆりの花
黒潮むせぶ沖縄の
米須の浜の 月かげに
ぬれて淋しき 石の塚
母呼ぶ声の 永久(とこしえ)に
流れて悲し ひめゆりの花
もちろん犠牲となったのはひめゆり学徒隊だけではなく、ほかにも同じように犠牲となった学徒隊があり、犠牲となった一般市民がいます。
捨て石とされた沖縄……
本土の防壁とされただけでなく、住民を無視した軍の行動のために多大な犠牲を出しました。
そして戦後は米軍基地を押し付けられ、辺野古の問題ではまるで嫌がらせのような仕打ちを国から受け、今またコロナ禍でも政府の方針によって大きな被害を受けている……
戦後史を俯瞰してると、ひめゆりの塔が訴えかけるメッセージは、決して遠い過去のものではないのです。