今回は、音楽記事です。
前回の音楽記事では、河島英五を取り上げました。
そこでは書き損ねましたが……彼はデビュー当初、「吉田拓郎の再来」といわれたといいます。
こうしてフォーク記事も河島英五のところまで行きついたので、ここでいよいよ、彼がその再来と目された吉田拓郎というレジェンドについて書いておきましょう。
これまでの音楽記事でも、何度か吉田拓郎さんの名前は出てきていました。
なにしろ、あの時代にはものすごいバイタリティをもって活動していた人なので、60年代、70年代のフォークの話をしていれば、名前が出て来ずにはいられないのです。シンガーソングライターとしてだけでなく、ほかのアーティストへの楽曲提供も多く、かまやつひろし、沢田研二、森進一、キャンディーズ……と、その対象はジャンルの垣根を超越しています。たしかに、日本のポピュラーミュージック界において一時代を築いた人物といえるでしょう。
そんな拓郎さんにとってメジャーの入り口になったのは、エレックレコードというレコード会社でした。
このエレックレコード、以前URCレコードのことを書いたときにちょっとだけ名前が出てきました。
URCと同様にDIY的なところから出てきた――とそこでは書きましたが、どのへんがDIYなのかというと、プロの作曲家ではない一般人の作った曲をレコードにする事業からはじまったという点です。
出発点となったのは、浜口庫之助の作曲講座という企画。その一環として受講生の作った曲をレコード化しようと考えたものの、素人の作った曲を大手のレコード会社が採用してはくれない。それならいっそ自分たちでレコード会社を設立して、作ったレコードは受講生たちを相手に売ればいい――ということで作られたのがエレックレコードです。現代の視点からみるとやや悪徳商法的な臭いを感じないでもないですが、そういうスレスレのとこから出てくる面白さというものもあったんでしょう。
そこからリリースされるレコードは、つまりはアマチュアが作ったものというわけで、そこにカウンターカルチャーの大衆性と結びつく部分があったのだとも思われます。
そのエレックレコードがフォークという新興のジャンルに目をつけ、新進気鋭のアーティストとして発掘してきたのが吉田拓郎さんでした。
拓郎さんは、広島で大学のフォークサークルを集めた「広島フォーク村」というものをやっていて、そこで『古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう』という自主制作のアルバムを出しています。
ここに、あの「イメージの詩」が収められていました。
これがエレックの目に留まり、シングル盤として発表されることになるのです。ただし、当初は本人に無許可だったために、拓郎さんの抗議を受けて新たに録音しなおしたということですが……
ちなみに、アルバム『古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう』には、以前このブログで書いた東京フォークゲリラの音声が曲と曲の間に収録されています。アルバムジャケットには「若者の広場と広場にかける橋――」という句が書かれているんですが、東京をはじめとした全国各地のフォークゲリラへのシンパシーがあったわけでしょう。
(※ちなみに、このアルバムを扱っているオンラインショップの作品解説で「1969年10月21日に新宿西口広場で起きた反戦フォーク集会の録音」などと書いているものがありますが、これは誤りです。以前書いたように、1969年10月21日には、新宿西口の「反戦フォーク集会」はすでに消滅していました。この解説は、前年1968年の10月21日に起きた新宿暴動とフォークゲリラを混同しているものと思われます)
「土地に柵する馬鹿がいる」は、拓郎さんが若いころに作った歌です。
成田三里塚闘争から着想を得て作ったといいます。
おそらく、公式な音源としては発表されていなんじゃないかと思うんですが……なぜあえてそういう曲をここで取り上げているかというと、それが拓郎さんの出発点であり、象徴的な作品だと思われるからです。
象徴的と思えるポイントの第一は、この曲に対して当時の音楽業界関係者が下した評価。
この歌が公式な場で歌われたのは、コロムビアレコードが主催したフォークコンテストです。
拓郎さんは、1966年、大学二年生のときに、ここに出場しているんですが、そこで歌ったのが、課題曲として選んだ「花はどこへ行った」と、自由曲として「土地に柵する馬鹿がいる」でした。
その結果は、三位。
微妙なところです。
全国三位というのは立派な成績といえるでしょうが、メジャーデビュー後の八面六臂の活躍を考えれば、釈然としないものがあります。その前段階の地方予選、中国大会のようなものがあるわけですが、そこでも2位で、優勝したわけではありませんでした。
ここに、これまでこのブログで何度か書いてきた、「先駆者は評価されない」という構図が見えるかもしれません。
「土地に柵する馬鹿がいる」は評判を呼んだようで、『平凡パンチ』誌は拓郎さんを「日本のボブ・ディラン」と評したといいますが……そのディランも、デモ音源をレコード会社の偉い人に聴かせたらすんなりデビューできたというわけではありません。3つほどのレコード会社から断られたすえにデビューしたのです。それは、たとえばビートルズも同様でした。また、ビートルズはデビュー前に地元のバンドコンテストみたいなものに出場しているんですが、それもやはり三位ぐらいの結果でした。そういったことを踏まえて考えれば、拓郎さんがフォークコンテストで優勝しなかったとしても、驚くにはあたらないでしょう。実際この時期、拓郎さんはあちこちのコンテストに出ていましたが全国大会で優勝ということはなく、レコード会社のオーディションを受けて落選したりもしていたようです。
ここで「土地に柵する馬鹿がいる」という歌そのものについて書いておきましょう。
先述したように、成田の三里塚闘争をモチーフにしていて、歌詞は次のようなものです。
土地に柵する人がいる
つながる大地のその上に
杭打ちつける馬鹿者は
一体何をする気だろう
たったひとつの柵のため
むこうとこちらにわけられて
挨拶でさえ許されず
近づくだけで殺される
土地に柵する人がいる
通ってゆけばそのままで
何てこともなかろうに
そこに柵をするなんて
一読、強いメッセージ性が感じられるでしょう。
音楽的な点でいうと、4分の5拍子を使っているというところが注目されます。
しかも、全編が5拍子というわけではなく、5拍子で歌うパートと4拍子のパートが交互に出てくる構成。非常に実験的であり、ギターの弾き語りでやるにはかなりのリズム感覚が要求される高度な曲といえるでしょう。それを完璧にこなしてみせることで自分の実力をアピールする意図が拓郎さんにあったのではないかと推測するむきもあります。
ただ、コロムビアのフォークコンテストという舞台においては、そういったメッセージ性や実験性がむしろ審査員に敬遠された部分もあるのではないかと私は想像しています。
メッセージ性、実験性というのは、あの時代のフォークがもっていたリアリティの真髄だと私は思うんですが……しかし、業界人がそれを評価するかは別問題。とりわけ、三里塚闘争を題材にしているというそのデリケートさに、運営側がある種日和ったのではないかとも思えるのです。
あるいは、そのあたりもディランと通じるところがあるかもしれません。
「土地に柵する馬鹿がいる」で使われているのは、ディランと同じ詞の手法でしょう。直接的には一つの事件に取材しつつも、そこからより普遍的なテーマが描き出されていくという……歌詞を読んでみれば、そこに歌われている問題意識が、三里塚闘争という個別の事象にとどまらない普遍性を持っていることがわかるでしょう。たとえばアメリカのトランプ前大統領のことを歌っているといっても通用する……そういう普遍性です。ただ、周囲はその題材として直接取り上げられた事件だけに反応してしまうということがあります。ボブ・ディランの場合、そういうセンシティブな歌があったために、アメリカの本家コロムビアレコードからアルバムの収録曲を差し替えるよう要請されたことがありました。日本のコロムビアレコードが「日本のボブ・ディラン」に対して同じような反応を示したのが、コンテストで3位という結果だったのかもしれません。
まあ、そのあたりは私のうがった見方にすぎないかもしれませんが……
ただ、事実として、拓郎さんはなかなかメジャーデビューのきっかけをつかめずにいました。
その埋もれていた才能を発掘してきたのが、先述したエレックレコードです。
ここもまた、重要なポイントだと私には思えます。
素人相手のいささか胡散臭い商売から出発し、本人に無許可で勝手にレコードを出してしまうようないい加減な会社だったからこそ、拓郎さんという才能を見出したともいえるんじゃないでしょうか。
本来なら“大人の事情”で世に出ないはずのものが、そういういい加減なところから出てくる。ジャンルの草創期ゆえに起きる奇蹟――それが、吉田拓郎というアーティストだったのではないか。そんなふうにも思えるのです。
そして、そんなふうに出てきた拓郎さんが進んだ道の先にあるのが、フォーライフレコードという挑戦でした。
1975年、同じくエレックに在籍していた泉谷しげるさんらと共に、みずからレコード会社を作ってしまうのです。
アーティストがみずからレコード会社を設立するという……その手の話は、これまで何度か書いてきました。エレックを持ち出すまでもなく、拓郎さんは本格的にDIYを実践しているわけです。
フォーライフレコードの創設メンバーに名を連ねたのは、井上陽水、泉谷しげる、小室等、そして吉田拓郎――まさにその時代におけるフォーク四天王ともいうべき存在でしょう。
すでにビッグになっているアーティストたちで作った会社なので、URCのような草の根的、アングラ的DIYとはやや趣旨が違いますが、ともかく、音楽界に風穴を開けようという心意気があったものと想像されます。
ただ、その試みは、当初から壁にぶつかります。
プレス工場にレコード製造を拒否され、さらにはその先の流通ルートを確保することもできないという事態が生じたのです。既存の大手レコード会社が裏から妨害したのか、あるいは流通業者側の忖度なのか……そのあたりはよくわかりませんが、こういうところで「土地に柵する馬鹿」が立ちはだかってくるわけです。まさに、「土地に柵する馬鹿がいる」の普遍性です。フォークやロックというのは、つまりは「土地に柵する馬鹿」との戦いだということなんでしょう。しきたりが形成される前の秩序の破れ目から登場した吉田拓郎というアーティストは、その戦いを宿命づけられていたともいえます。
そしてその最前線にあったのがフォーライフレコードだったと思われますが……それが成功裡に終わったかといえば、なかなかそうはいえないというのが実際のところじゃないでしょうか。
プレスや流通ルートの問題は、キャニオン・レコードが協力するということでひとまず解消されましたが、その後フォーライフレコードの運営が順風満帆だったとはいえません。当初「100億円の旗揚げ」と鳴り物入りでスタートしたものの、売り上げは低迷していき、経営悪化の末に、2001年事実上倒産することになりました。
これは、拓郎さんがどうこうというよりも、その戦うべき相手があまりにも巨大だったということでしょう。
このブログで何度も書いてきたことですが、日本では“世間”というものがあまりに強大で、フォークやロックといったカウンターカルチャーを呑み込んでいってしまいます。そんな日本の“世間”は、吉田拓郎や小室等といったアーティストにとってあまりに狭苦しかったということでしょう。
最後に、デビュー曲である「イメージの詩」の一節を引用しておきたいと思います。
というか、拓郎ファンの方ならお気づきのとおり、すでに引用しています。
先述した広島フォーク村の自主制作アルバムのタイトル『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』というのは、「イメージの詩」の一節なのです。
そのフレーズの後には、こう続きます。
なぜなら古い船も新しい船と同じように新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを
この歌詞もまた普遍的なメッセージですが、それが通用しないのが、日本の‟世間”です。
土地は柵だらけで、古い水夫が臆面もなく新しい海に出ていってあえなく座礁ということが、日々繰り返されています。
古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう――吉田拓郎というアーティストが発したメッセージは、半世紀たった今も、彼が戦ってきた当のものへの告発として響き続けているのです。