ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち

2019-11-10 17:34:14 | 日記


福岡市美術館で行われているギュスターヴ・モロー展にいってきました。



モローは、いわゆる象徴主義を代表する画家のひとり。
サロメを描いた『出現』が有名ですね。
撮影スペースに設置されたパネルにも、その絵が使われています。



“象徴主義”というのは、19世紀後半ぐらいに出てきた傾向ですが……以前紹介したラファエル前派ともいくらか関係があります。
ラファエル前派の画家であるエドワード・バーン=ジョーンズは、象徴主義に影響を与えたといわれているのです。

一見したところではあまりつながりがありそうでもないんですが……両者をつなぐ一本の糸として、ゴシック的な部分があるのかとも思います。

たとえば、『出現』の背景部分に描かれている彫刻。



この画像はグッズ販売で買ってきたクリアファイルのものですが……彫刻部分の線描がはっきり見てとれます。
今回のモロー展で紹介されていたところによると、これらの彫刻はゴシック様式、あるいはさらにさかのぼってロマネスク様式のものをモデルにしているそうです。そういうものを集めた博物館のようなものがあって、モローはそこで模写してきた彫刻を『出現』に描きこんだというのです。

ゴシックの、雑然の美……そのあたりが共鳴するところでしょうか。それはまた、近代工業文明へのアンチテーゼという点でもベクトルを共有しているのかもしれません。

しかし、もちろん違いもあります。
ラファエル前派はどちらかといえば、あくせくした都会の暮らしはやめて田舎でスローライフ的なことを志向しているように思えますが、象徴主義は退廃の美という側面があるように感じられます。

今回のモロー展の一つのテーマは「ファム・ファタル」ということですが、ファム・ファタルとは、「運命の女」=「死をもたらす女」。アダムとイブ以来の、男を滅ぼす存在としての女ということです。

この点に関していえば、ラファエル前派と象徴派は、武者小路実篤と谷崎潤一郎ぐらいに開きがあるんではないかと思えます。

それは、キリスト教的道徳観念が色濃く影響しているラファエル前派と、その向こうがわのギリシャ神話にまで取材しているモローの違いでしょう。

今回のモロー展に出された絵をみていると、モローは、ゼウスやヘラクレスといったギリシャ神話のモチーフも描いています。
性愛に関して奔放でおおらかなギリシャ神話の世界にまで踏み込めば、キリスト教的道徳にとらわれない美がそこに広がっているということでしょう。
これもまた、ラファエル前派とはまた違った意味で、19世紀後半という時代に世に出たがゆえのことと思えました。



Beck, Bogert and Appice - Superstition

2019-11-08 16:37:46 | 音楽批評
今回は、音楽記事です。

以前クリームについて書いたところ、同系統のバンドであるベック、ボガート&アピスについて書いてほしいというコメントをいただきました。
そこで今回は、Beck, Bogert and Appice について書きましょう。

 

中心人物は、いわゆる三大ギタリストの一人と目される、ジェフ・ベック。
そこに、ベースのティム・ボガート、ドラムのカーマイン・アピスという二人が加わったスリーピースバンドです。
バンド名は、この三人の名前をそのまま並べたもの。
洋楽のバンドでは、エマーソン、レイク&パーマーみたいにこういう名前がたまにありますが、日本語でいったら「田中、佐藤、そして鈴木」みたいなことになるわけで……ぞんざいな響きがしないでもありません。

代表曲は、やはり Superstition でしょうか。
いうまでもなくスティーヴィー・ワンダーの名曲をカバーしたものですが、オリジナルとはだいぶ印象がかわってます。

ジェフ・ベックのギターももちろんですが、リズム隊もまた個性的。

ドラムの手数の多さ、ベースの動きの激しさは、たしかにクリームに勝るとも劣らない。ともすれば、いささかまとまりを欠いているようにさえ感じられますが……

この、前に出るベースが、ジェフ・ベックは気に食わなかったようです。

ジェフ・ベックは非常にこだわりが強く、一緒に演奏するメンバーに対しても非常に要求が多い人です。彼のやっているバンドはジェフ・ベック・グループというふうにいわれているんですが、しょっちゅうメンバーが変っているのも隊長のこだわりゆえでしょう。早い話が、気に食わないメンバーはすぐにとっかえてしまうわけです。第一期ジェフ・ベック・グループのボーカルをつとめたのがかのロッド・スチュワートなわけですが、ロッドのボーカルさえジェフ・ベックは気に入らなかったみたいです。

BB&Aに関していうと、自分の引き立て役に徹しないベースが我慢ならなかったようです。

これまでにも何度か話に出てきたように、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックを“三大ギタリスト”といったりするわけですが……この三人のなかで最もギタリストとしてのテクニックが卓越しているのは、おそらくジェフ・ベックでしょう。
求道者的ともいえるストイックさで、その長いキャリアにおいて常に新たな表現を模索してきた人です。そんなジェフ・ベックなので、もうとにかく、俺のギターを聴け! という、そこが出発点なわけでしょう。ベースはおとなしくベースラインを追ってろ、しゃしゃり出てくるな……とまで思ってるかどうかはわかりませんが。

ともかく、ベック、ボガート&アピスは、オリジナルアルバム一枚出したきりで消滅。
1972年~1974年と、その活動期間は、クリームと同じく2年間にすぎませんでした。

惜しいといえば惜しいことではあります。ロック革命=ベース革命という図式からすると、BB&Aもひとかどのレジェンドになれただろうに……まあ、「知る人ぞ知る」的な意味合いでは、十分レジェンドになっているともいえるんですが。

ただ、BB&Aがクリームほどの存在感を持てなかったのは、時代背景の違いもあるでしょう。

BB&Aが活動していたのは、1970年代の前半から半ばごろにかけて。

この頃にもなるとロックの初期衝動の時代はもう過ぎ去っていて、60年代風ロックは克服されるべき対象のようになっていた部分があると思います。その克服がパンクによってなされるのは70年代後半のことで、BB&Aの活動期間は、そこに至るまでの真空地帯というか、ある種の凪のような時期に重なっています。その時代においては、カーティス・メイフィールドのカバーなんかはもう“時代遅れ”とみなされていたんじゃないでしょうか。
時代背景といった部分を抜きにした評価がなされるには時間が必要で……そういう意味で、めぐりあわせが悪かったのかもしれません。

本田美奈子. 「アメイジング・グレイス」

2019-11-06 22:11:08 | 音楽批評
今日は11月6日――

これは何の日かというと、本田美奈子.の命日です。

そこで今回は、音楽評論記事として、本田美奈子.について書こうと思います。

(本田美奈子の名前表記は、死去した時点で正式には「本田美奈子.」。ドットがついているのは、「モーニング娘。」とか、「藤岡弘、」みたいなことでしょう。ファンとしてはこだわりたいところですが、文章としてわかりづらくなるので、以下「本田美奈子」と表記します)

この機会にカミングアウトしますが、実は私、隠れ本田美奈子ファンなのです。
小説を書くときにBGMを流すんですが、彼女の曲はよく聴きます。あのイノセンスというか、ピュアな感じをなんとかとりいれたいと思うんですね。
拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』では、ホテルの館内で流される7つの曲が登場しますが、そのうち3つ(「ジュピター」「ソルヴェイグの歌」「アメイジング・グレイス」)は、本田美奈子がとりあげているものです。ついでにいうと、彼女はツェッペリンの「天国への階段」もカバーしていたりして、そういう意味ではトミーゆかりのアーティスト(?)なのです。

本田美奈子のVEVOチャンネルから、Oneway Generation の動画を貼り付けておきましょう。
まだアイドル感が前面に出ていますが、十分に非凡さを感じさせます。

本田美奈子. - Oneway Generation

もう少しロック方面のことでいうと、彼女は、このブログでたびたび名前が出てくる忌野清志郎の作った曲を歌ってもいます。
また、クイーンのブライアン・メイにその歌唱力を認められ、曲を作ってもらったりということも。ブライアン・メイは、彼女がこの世を去った後に、その早すぎる死を惜しんで追悼アルバムに参加してもいます。

そのブライアン・メイがギターで参加したのが、アメイジング・グレイス。
本田美奈子のキャリア全体をとおしても、代表曲といえるでしょう。

 

数年前に映画になったので結構知られていると思いますが、この歌は、もと奴隷商人であったジョン・ニュートンの手になるもの。かつては盲目だったが、いまでははっきりと見えている――という歌です。自分はかつては奴隷の売買という誤ったことをしていたけれど、その過ちに気づいた、と。そして、実際にニュートンは奴隷貿易廃止のための運動にたずさわり、その成就を見届けてこの世を去りました。

ここに、本田美奈子がみずからの半生を重ね合わせている部分もあるのだと思います。
といっても、別に若いころに悪事を働いていたというわけではありませんが……

若いころの本田美奈子は、結構アーティスト気質というか、とがったところや負けん気の強さがあったそうです。アイドル時代に結構きわどい衣装でステージに出ていたりするのも、そういうことのようで……たぶんに、「私はただのアイドルじゃない!」みないなところがあったんでしょう。アイドルとしてそこまで大ヒットしなかったのは、そのあたりが理由かもしれません(これは別に非難してるわけではなく、私にとってはむしろプラス評価になる部分)。
あるときからクラシック的な方向に進出していくんですが、『ミス・サイゴン』のときには、共演者たちが自分を陰で馬鹿にしている(と、少なくとも本人は感じていた)ということがあって、あるとき舞台装置の事故で足の小指がつぶれた状態でそれでも演じ続け、共演者たちを愕然とさせたという壮絶な逸話も残っています。
しかし、クラシック路線に本格的に進むようになってからの彼女は、そういう肩に力の入ったような感じも抜けて、自然体で歌えるようになったみたいです。
そういうところに、「アメイジング・グレイス」を重ね合わせているのかと思います。

  優しい愛の手のひらで
  今日も私は歌おう
  なにも知らずに生きてきた
  私はもう迷わない

というところですね。

こうして彼女は、“アイドル”の領域を飛び越えて、「誰も寝てはならぬ」「ジュピター」など、クラシックの名曲に日本語詞をつけて歌うというスタイルになります。

しかし、そんな彼女を、病魔が襲います。

はじまりは、2005年の1月。
神戸での震災チャリティ・コンサートを控えるなか、本田美奈子は謎の高熱に襲われていました。それでも、震災で被害を受けた人たちが待っているからあくまでも休みはしないという姿勢でしたが……しかし、そのなかで白血病があきらかになるのです。

入院生活を余儀なくされた本田美奈子――ある日その病棟に、本田美奈子の歌に詞を提供していた作詞家の岩谷時子が骨折で入院してきました。
無菌室から出られない本田美奈子ですが、岩谷時子を励ますために、音声メッセージのやりとりをはじめるのです。

このやりとりが、だいぶ前にNHKのドキュメンタリーとして放送されました。
ここで、その内容を、かいつまんで紹介したいと思います。

岩谷時子は、戦後日本歌謡曲を代表する作詞家。
ピーナッツの「恋のバカンス」や、岸洋子「夜明けの歌」、加山雄三「夜空の星」など、実に様々な歌に詞を提供しています。このブログでずっと書いているゴジラシリーズでも、『地球最大の決戦』に出てくる「しあわせをよぼう」という歌は岩谷時子の作詞。特に怪獣映画に興味があったわけでもないでしょうが、活動領域が広すぎて、もうそういうところにまで名前が出てきてしまうわけなんです。

その岩谷さんは、本田美奈子とは深い縁がありました。

本田美奈子の歌声に、惚れ込んでいたのです。越路吹雪のために、エディット・ピアフの「愛の賛歌」に訳詞をつけたということがあるんですが、越路吹雪の死後封印していたその日本語詞で歌うことを、本田美奈子にだけ許したといいます。
そうしたこともあって、本田美奈子がクラシック路線にむかっていったときに岩谷時子は多くの詞を提供しています。本田美奈子のほうもまたその詞に深い感銘を受けていたようで、本田美奈子自身の書いた詞からも、その影響はみてとれます。互いにリスペクトし、信頼しあう間柄だったのです。

そのため、本田美奈子はボイスレターを送ったのでした。

メッセージには、歌もつけられました。
最初は、「アメイジング・グレイス」。
そして、ルイ・アームストロングのWhat a Wonderful Worldに岩谷時子が詞をつけた「この素晴らしき世界」。

  素敵だわ みんなで祝えるこの夜
  生きているわ 世界は
  夜空には星降り しあわせな昼と夜
  私は思う 素晴らしいと
  この世界は素晴らしいと

サッチモの名曲を日本語詞で歌う本田美奈子。
そのメッセージを受けた岩谷時子は、その返事のなかでこう言います。

「あたしたちは自分の不幸せは考えないで人の幸せだけ考えて元気で生きていきましょうね」

こういうことをいえてしまうというのがすごいことです。
まさに、歌詞の内容そのままに生きている、そんな二人です。

グレゴリオ聖歌に詞をつけた「祈り」に添えたメッセージで、本田美奈子は「心にいっぱい傷を負ってしまって自分が生きているのもつらくなっちゃうような子供たちが最近増えていると思う」として、そんな子供たちに岩谷時子の詞になる歌を聴かせたい、といいます。

このメッセージに対して岩谷時子は、「あなたも私も、宿命を持って生まれてきたと思う。力をあわせて、なんとか幸せに、周囲も幸せに、なるように頑張りましょう」と返しました。

影の部分さえ光にしてしまう、底抜けなまでのポジティブです。
そこにおいては、病苦さえも一つの“試練”となります。
自身の白血病について、「幸せになるため、人の苦しみがわかるようになるための痛みだ」と本田美奈子はいうのです。

文字にして書くと、なんだかあまりにきれいごとすぎるようにも感じるかもしれませんが、実際の音声を聴くと、そんな感じはしません。それは一つには、本田美奈子という人はまさにこういう人であり、こういう歌を歌ってきたということもこちらの頭にあるからでしょう。

たとえば「ジュピター」に岩谷時子がつけた詞はこんな感じです。

  やがて明るい朝がおとずれ
  地球の上の夜が明けるわ
  あなたはほほえみ浮かべ
  あしたから新しい人生よ

  かなしみ知らない人はいない
  嘆き乗りこえてゆく平和な世界を
  みんな手をつないで生きていこう

あまりのストレートさに聞いているほうが気恥ずかしくなってくるような歌詞ですが、本田美奈子の歌声で歌われると、不思議に説得力があるのです。

38歳の若さでこの世を去った本田美奈子――
ブライアン・メイが見送ったフレディ・マーキュリーといい、神さまは、素晴らしい才能を手元に置いておきたくなって、天に召してしまうのか。そんなことを、考えさせられるのです。

Cream, Sunshine of Your Love

2019-11-04 16:48:51 | 音楽批評
今回は、音楽記事です。

前回は、ロバート・ジョンソンについて書きました。

そこからのつながりで、ジョンソンの「四辻ブルース」を Crossroads としてカバーした Cream について書きましょう。

クリームは、エリック・クラプトンがやっていたバンド。
クラプトンにくわえて、ベースのジャック・ブルース、ドラムのジンジャー・ベイカーという3人組です。クラプトンは、そのときすでにヤードバーズなどの活動で名うてのギタリストとして知られており、そのヤードバーズ脱退後に参加したのが、クリーム。1966年に、『フレッシュ・クリーム』でデビューし、そこから一気に大物バンドになります。

しかし、その活動は長くは続きませんでした。

ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーはもともと仲が悪かったそうですが、エリック・クラプトンも、そこをうまく調整していくような人徳を持った人ではありません。とにかく3人とも前に出るタイプで、ライブでは、ほかの二人に気づかれないようにこっそりと自分の楽器のボリュームを上げるなんてことがあったといいます。で、3人ともそれをやってるので結局バランスはあんまり変わらないという……

そんな感じだったので、メンバー間の確執で解散するまでにそう時間はかかりませんでした。

1968年、わずか二年の活動で、クリームは解散。

その後一時的に再結成したことはあったようですが、本格的に再結成することはありませんでした。ジャック・ブルースは2014年にこの世を去り、先日ジンジャー・ベイカーも死去したことで、いまや存命なのはクラプトンだけに。さすがにもうクリーム再結成はないでしょう。

 

サンシャイン・オブ・ユア・ラブは、彼らの代表曲といっていいでしょう。

独特なコード進行が耳に残ります。そこはかとなく、サイケデリック風味も感じさせます。
ブルースとサイケデリック……60年代後半のロックにおける最重要キーワードです。そういう意味でも、クリームはまさに当時のロックンロール最先端にいました。

そして、クリームの音楽性において注目すべきは、ジャック・ブルースのベース。

クリームといえばエリック・クラプトンのバンドというイメージが強いと思われますが、実はジャック・ブルースがボーカルをつとめる歌も多く、決してクラプトンが中心というわけでもないのです。

以前、ロック革命とはベース革命だったのではないかということを書きましたが……それは、60年代ぐらいにロック史に大きな影響を与えたバンドの特徴は、ベースにあるという意味です。

その最たる例がビートルズのポール・マッカートニーということになりますが、フーのジョン・エントウィッスルなんかもそうでしょう。そして、クリームのジャック・ブルースも然りです。
ベースが単にベースラインを追うだけでなく、ときにはギターのように奔放に動く。程度の差はあれ、上に挙げた三人全員にいえることでしょう。それがリスナーに、こいつら何か違うと思わせることになったのではないかと。

そういう点からしても、クリームはロック史上に大きな足跡を残したバンドなのです。

本福寺 五重塔ライトアップ

2019-11-02 21:59:44 | 日記
基山にある本福寺というところにいってきました。

この寺には五重塔があり、今日ライトアップイベントが行われていたのです。

このお寺は、真言宗の一派の総本山だそうです。
山の奥深くにあり、夜景がきれいでした。自分のスマホのスペックでは今一つ伝わらないですが……


こんな感じの堂もあります。


本当は別の場所に行くつもりだったんですが、基山駅でたまたまポスターをみて、ちょうど今日ということでこちらへ。

ライトアップにあわせてイベントをやっており、バンド演奏やダンスなどが披露されていました。

ライトアップの瞬間をSNSなどで拡散してくださいと主催者側も仰っていたので、画像を載せておきましょう。





塔の前で演奏しているのは、近くにある高校の生徒たち。

カウントダウンし、ライトアップと同時に演奏がはじまります。

青春ですね。若さのあふれる演奏でした。


この塔は、浅草にある浅草寺の五重塔とまったく同じ設計で造られてるんだそうです。
ライトアップイベントは来年もやるそうなので、興味のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。

ただ、細い山道が一本しかなく道がかなり混雑していたので、そのあたりは注意が必要かもしれません。