ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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満州事変の道

2020-01-16 17:13:40 | 日記


今回は、歴史記事です。

このブログでは、時折日本の近現代史について書いています。

以前三月事件について書きましたが……その続きということで、三月事件から満州事変にいたる半年ほどのことについて書きたいと思います。

張作霖爆殺事件以降、張作霖の息子である張学良と関東軍の間では緊張が高まっていました。

7月に、万宝山事件という事件が起こります。

日韓併合に反発した朝鮮の人たちが、中国側に逃れ、かの地で中国官憲と衝突。その衝突に日本が介入し、武力衝突に発展したという事件です。

ほぼ同時に、中村大尉事件というのもあり、張学良側との対立は深刻化していきました。

これらの行動が、昭和天皇の懸念を引き起こします。

三月事件以降、軍部の“下克上”が目に余るようになってきた。この連中は、何をしでかすかわからない。そこで、手紙を書き、関東軍に人を派遣して諫めようというわけです。

その意を受けた南次郎陸相が使者として白羽の矢を立てたのは、参謀本部第一部長の建川美次でした。

しかし、この建川美次という人は、小磯国昭や鈴木貞一らとともに、“国家改造”に前向きなグループに属する人でした。三月事件にも関与していて、つまりは関東軍にいる人たちと基本的に同類であり、人選が根本的におかしいわけなんです。
一説には、これで満州での行動を中止させられることをおそれた小磯国昭(当時は軍務局長)が、「建川でなければおさまらない」と主張して陸相にこの人選を提示したともいいます。
そして……結果として、これは最悪の結果を招くことになりました。

天皇の諌言を伝える使者として建川が派遣されてくるということは、事前に関東軍首脳部の知るところとなります。
そこで彼らはどうしたか。
普通なら、これはやばいからやめとこうとなるところでしょう。ところが、驚くべきことに――行動を思いとどまるどころか、「建川が来る前にやってしまえ」と、それをきっかけとして行動に移りました。天皇の書簡を見た後で行動を起こせば、天皇の意に逆らったことになってしまう。だから、手紙を見る前にやろうというわけです。こうして、満州事変が勃発しました。

昭和天皇が陸軍大臣南次郎に注意を与えたのが、昭和六年の9月11日。そして、満州事変が起きたのは、9月18日……
ある意味では、昭和天皇が関東軍をけん制しようとしてとった行動が、満州事変の引き金になったともいえます。

まあたぶん、建川が派遣されていなければ、それはそれで結局いつか同じことをしていたんでしょう。
ある関係者の証言によれば、鉄道爆破は9月28日に予定されていたといい、それがちょっと早まっただけのことなのかもしれません。
それにしても、“国家改造”などといっている人たちの思考回路は、根本的なところで配線が狂っているとしか思えません。
願望と妄想と現実との区別がつかず、自分の起こす行動がどういう結果を招くかを冷静客観的に考えることができず、しかも責任をとろうとしない。いや、責任をとる気がないからそういうことができるんでしょうが……ともかくも、組織を動かすような立場に絶対おいてはいけない人たちなんです。

ところが、昭和6年以降ぐらいから、そうした人たちが国家を動かすようになっていきます。
その決定的なステップとなったのが満州事変であることは、議論をまたないでしょう。というわけで、またいずれ折を見て、満州事変について書こうと思います。



イランについて

2020-01-14 16:20:03 | 時事



このところこのブログでは、米イラン間の緊張状態について何度か書いてきました。

それもいったんは落ち着いたということで……
ここで、イランという国について、ちょっと思うところを書いてみたいと思います。

イランという国は、今から四十年ほど前まで、パーレビ王朝という王権が支配していました。

第二次大戦後にモサデク首相という人が石油産業の国有化など改革を行なおうとしたところ、クーデターで倒されてしまったのです。
このクーデターの背後にはアメリカのCIAによる工作活動がありました。
これは、巷によくあるイルミナティみたいな陰謀論ではなく、一般的に知られていることです。CIAは、共産主義の拡散を阻止するべく海外での工作活動を目的として作られた組織であり、イラン政変はそのごく初期の仕事でした。

モサデク政権が倒れた後のイランでは、モサデクと対立していた国王が「白色革命」と呼ばれる改革を行います。
これには反発する国民も多く、弾圧が行われました。
こうしてイランは、強引に資本主義の側に引っ張り込まれ、親米派の国として富裕層中心の社会となったのです。

その王政を打倒したのが、1979年のイラン・イスラム革命でした。
弾圧にもかかわらず、王権に対する国民の反発は強く、アメリカの支援がありながらも持ちこたえることができなかったのです。

この革命は、後にいろんな影響を及ぼしています。

イランに渡るはずだった米軍機がイスラエルの手に渡り、これがいわゆる「オシラク・オプション」につながり、また、革命に付随して米大使館占拠事件が発生。52人の大使館員を人質にとり、この「52」という数字は、先日トランプ大統領が「イランの52の地点を攻撃する準備をしている」というところにつながっているといいます。そして、人質の身代金をめぐって、後にレーガン政権を揺るがすイラン・コントラ事件と呼ばれるスキャンダルが持ち上がることにもなりました。

イスラム革命後にイラン・イラク戦争が勃発するわけですが、そのときアメリカは「敵の敵は味方」理論でイラクを支援していました。「アメリカはサダム・フセインを支援していた」といわれるのは、そういうことです。

イスラム革命は、その名が示すとおりイスラム体制樹立を目指すもので、これは欧米の価値観と対立する部分を持っていました。
ホメイニ体制は欧米の文化も敵視し、ロックもそのなかに含まれています。
クラッシュが Rock the Casbah という曲をやってますが、これもそういう背景を踏まえたものといわれます。

The Clash - Rock the Casbah (Official Video)

この曲がイスラム革命を風刺したものだとすれば、そこには前に紹介したRUSH「2112」と同じモチーフを読み取ることができるでしょう。
そうなると、宗教と自由との関係、普遍主義と相対主義……といった、いろいろなことを考えさせられます。「ラーガ」というイスラムとはまったく関係のない言葉が出てくるのは、ある種のゆがんだオリエンタリズムではないのか――といった批判もありうるでしょう。

ともあれ、イスラム体制がロックを敵視したために、ロックの側もイスラム原理主義には敵対的です。
ロックをやってる人は戦争には反対ということが多いと思いますが、相手がイスラム原理主義となると微妙にブレてきたりするのも、そういうことだと思われます。
クラッシュの Rock the Casbah は、後の湾岸戦争中に一種のキャンペーンソングとして扱われたことがあったそうですが……ジョー・ストラマーも、これは大いに不本意だったといいます。
ラッシュの「2112」は、近未来を舞台にした一種の比喩であり、やはり現実の戦争をそれと同じように考えることはできません。

たしかに、政教分離や社会的な自由という面で、イスラム体制に欧米の価値観と相いれない部分があるのは事実でしょう。
しかし、イスラム体制が確立するまでには、アメリカという大国の身勝手なふるまいがあったということもまた事実です。

自分に都合の悪い体制を転覆させ、その体制がクーデターで打倒されると、今度は敵対する隣国(イラク)を支援する。そして、そのサダム・フセイン体制が自分にとって都合の悪い存在になると、今度はそちらを攻撃する……こんなことを繰り返していれば、中東に平和が訪れないのも道理です。

トランプ大統領の不干渉主義は、そんなふうに海外の政権にあれこれ干渉しないという点では、いいことなのかもしれません。
今回の緊張状態でトランプ大統領がさらなる武力行使に踏み切らなかったのも、つまりはそういうことでしょう。
偽善的な行為が嫌いだからこそ、アメリカの歪んだ正義にもとづいた行動はしないという……ねじれねじれて一周して、結果アメリカ以外の世界にとってはいいことになってるんだと思います。
ただ、このあとどう転ぶかはまだ未知数な部分が大きいですが……




『しくじり先生』からのトランジスタ・ラジオ

2020-01-12 17:45:26 | 日記


昨夜テレビの『しくじり先生』を観ていたら、武田真治さんの回でした。

そこで、ひきこもり状態に陥っていた武田さんを救ってくれた恩人として、忌野清志郎の名前が出てきて、驚かされました。

このブログではたびたび名前が出てきて、つい最近も井上陽水さんとのデュエット曲「愛を謳おう」を紹介したばかりでした。

武田真治さんが時々キヨシローのバックでサックスを吹いているのは知っていましたが、今回のしくじり先生で、はじめてその経緯を知りました。
完璧主義で自分を追い詰めてしまい、芸能界も引退しようとしていた武田真治さん……そこへ、竹中直人さんの紹介で、キヨシローの前でサックスを吹くことになります。そこから、キヨシローのバックバンドのメンバーとなるのです。
1999年ごろ、ちょうどRUFFY TUFFY をやってた時期ですね。
「君が代」をパンクバージョンにして歌ったりして物議をかもしていました。かつての東京FM事件もそうですが、そういうことをやって、しかもその後も干されたりしないというのが清志郎のすごいところです。そして、そんなキヨシローだから、人を救ってしまうわけです。

武田真治さんは、忌野清志郎との思い出の曲として、「トランジスタ・ラジオ」を挙げていました。
RC時代から歌い続けていた名曲ですね。
授業をサボって屋上でラジオを聴いている――そんな主人公の姿に、武田さんはいったんドロップアウトした状態にあった自分を重ね合わせていたそうです。
“ひきこもり”ということでいうと、津原泰水さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』に通ずるものがあるかもしれません。そう考えると、「トランジスタ・ラジオ」で歌われるモチーフは、ビートルズの I'm Only Sleeping と似ているようでもあります。この歌は、かつてNHKの若者番組にも使われていましたが、やはりそういうフィーリングなんでしょう。

ドロップアウトしているけれど、それは本当は、いつか輝くときのために眠っているだけなのかもしれない……そして、そんな“ヒッキー”に寄り添うのが忌野清志郎なんだなあと思いました。



ラッシュ『西暦2112年』(Rush, 2112)

2020-01-11 20:09:03 | 音楽批評


RUSHのドラマー、ニール・パートが死去したというニュースがありました。

67歳。

Too young to die 死ぬには早すぎる……といったところですが、ドラマーとしてはすでに引退していたということで、燃焼しきったうえでのことなのかもしれません。


ラッシュといえば、プログレ要素を取り入れたハードロックバンドとして有名です。

メンバー全員超絶テクの持ち主で、独特の世界観にも定評があり、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンやドリーム・シアターなどにも影響を与えたといわれています。

ベース/ボーカルのゲディ・リーは、文句なしに天才と呼びうる人物です。

超ハイトーンボイスを操るだけでなくベーシストとしても高く評価されており、さらにはキーボードも演奏。以前ネット上で行われていた「偉大なベーシストランキング」みたいな企画で、ジャコ・パストリアスやビリー・シーン、フリーなど並みいる猛者ベーシストをおさえて一位に輝いたのがゲディ・リーでした。

ニール・パートもまた、ドラムで同様のランキングをやれば上位常連のようです。
そして、ゲディと同じく、彼もまたドラミングが卓越しているだけではありません。ラッシュにおける作詞担当でもあり、あの世界観を作り出しているのです。なかでも私が特に気に入っているのは 2112です。

 

近未来ディストピアをモチーフとした壮大な組曲。
公式サイトにMVがあるので、それを貼り付けておきましょう。曲の内容と一体になったアニメです。

2112: Overture / The Temples Of Syrinx / Discovery / Presentation / Oracle: The Dream /...

体制に飼いならされた人民たちの、一見満ち足りた世界。
映画『リベリオン』みたいな感じでしょうか。コンピューターによって管理されたユートピア……しかし、ユートピアはディストピアと表裏一体です。そこには、自由は存在しません。
そんな世界で、あるものが発見され……
非常に示唆的です。すべてが管理された世界に幸福はあるのか。そして、その管理された世界を打破するものはなにか――

そんなふうに問いかけてくるこの2112は、プログレと呼ばれるジャンルの、一つの到達点ではないでしょうか。

その一端を担ったニール・パートの業績に敬意を表し、冥福を祈りたいと思います。



忌野清志郎 with 井上陽水「愛を謳おう」

2020-01-10 16:12:51 | 音楽批評
米イラン間の緊張は、どうやらいったん落ち着いたようです。

とりあえず、一安心……というところでしょう。
ただ、根本的な問題が解決されたわけではなく、まだ予断を許さない状況ではあります。

今年に入って事態が緊迫したことで、このブログでは、戦争に反対する意味合いで二度にわたって反戦的な内容の歌を紹介してきましたが……その延長で今回は忌野清志郎に登場してもらいましょう。

紹介するのは、キヨシローが、井上陽水さんとデュエットした「愛を謳おう」です。

 

陽水さんとキヨシローは盟友とも呼ぶべき仲で、共作曲がいくつかあり、「愛を謳おう」もその一つ。
2005年に公開された映画『妖怪大戦争』の主題歌です。

この映画には、清志郎自身もぬらりひょん役で登場していました。
信じられないぐらいキャストが豪華な映画ですが、その一端を担い、主題歌も担当するミュージシャンとして、忌野清志郎はまさにうってつけでしょう。

歌詞は映画を監督した三池崇史さんによるものですが、2005年当時ぐらいの清志郎だったら、こんな歌詞を自分で書いていてもおかしくないと思わされる歌詞になっています。
ひとまず緊張緩和という状況にふさわしい詞でもあるんじゃないでしょうか。


  愛を謳おう 照れないで
  夢を語ろう でっかい夢を

  何色だっていいじゃん
  祈る神様 使う言葉が違うの素敵
  それが自由 憧れの自由
  それが自由 憧れの自由
  そろそろ生まれるはずさ すべてを愛せる子供たち

  バトンを受けてキミよ走れ
  地球と踊れ 裸足で笑え
  愛する自由が許せない チンケな時代をブッ飛ばせ

  笑顔の意味は同じじゃん
  微妙な匂い 犯した罪が違うの素敵
  それが自由 憧れの自由
  それが自由 憧れの自由
  そろそろ生まれるはずさ すべてを愛せる子供たち

  バトンを受けてキミよ走れ
  コブシを下ろせ 笑ってごまかせ
  愛する自由が許せない チンケな時代をブッ飛ばせ

  愛を謳おう 照れないで
  夢を語ろう でっかい夢を
  力を合わせ 宇宙の敵と戦え


「何色だっていいじゃん/祈る神様 使う言葉違うの素敵」というフレーズが、まるでいまの時代に語りかけてくるようです。
同じ時期に発表されたLOVE JETS の「宇宙大シャッフル」や、ソロでの「JUMP」に近いフレーバーが色濃く感じられます。作詞者はそれぞれ別の人ですが、やはりそういう空気がその当時あったんでしょう。それは、イラク戦争を背景としたものであり、いまの状況にも通ずるものです。つまりは、「愛する自由が許せないチンケな時代」ということでしょう。
「すべてを愛せる子供たち」は、はたしてこの国に生まれているでしょうか……