ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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アメリカ大統領就任式

2021-01-21 19:25:11 | 時事
 
 

アメリカで大統領の就任式が行われ、バイデン氏が正式に大統領に就任しました。

 

事前に懸念されていたような混乱は起こらなかったらしく、とりあえずは一安心です。

 

いっぽうで、“前大統領”ということになるトランプ氏は、この式典に出席せず……前大統領が欠席するのは、過去150年ほどの歴史で初のことだそうです。まあ、いかにもトランプさんらしいといったところでしょうか。

 

彼がホワイトハウスを去るに際して、シナトラの「マイウェイ」が流されたそうですが、これもどうかと思わされます。

「ゴーイング・マイウェイ」という言い方をもじって「強引にマイウェイ」というようなこともよくいわれますが、トランプさんの場合はあきらかに後者でしょう。

 

あまりの暴走に、最後はもう主要なSNSから軒並み追放されるという状態に陥ってもいました。

この点に関しては言論の自由という観点から問題視する声もあるようですが、私は妥当な措置だと思います。

差別や犯罪を教唆するような書き込みを放置していいのかという問題があって、そうした書き込みは多くのSNSで禁止されており、程度によってはアカウント停止などの措置がとられています。その基準に照らして、トランプさんの書き込みはとうてい許されない領域に踏み込んでいました。ヘイトスピーチが言論の自由で許されないのと同じことです。

……なんだか悪口ばかりの記事になってしまったので、最後はもうちょっと希望を持てる感じにしようということで、動画を引用しましょう。

大統領就任記念式で、ブルース・スプリングスティーンが歌を披露したということで、その動画です。

 

曲はずばり、Land of Hope and Dreams
“希望と夢の国”……そうであってほしいところです。
 
 
 
 

フィル・スペクター死去

2021-01-19 18:21:56 | 日記

フィル・スペクターが死去したという報がありました。

フィル・スペクター……
これまでに何度かこのブログで名前が出てきました。
著名な音楽プロデューサーで、ビートルズ、ジョン・レノンとの仕事でよく知られます。どこかで一度書いたと思いますが、彼は殺人を犯していて、医療機関をかねた刑務所のような施設に長らく収監されていました。その獄中で死去したようです。

死因について詳細ははっきりしませんが、一部報道ではコロナ感染の合併症とも。ロック史における伝説のプロデューサーも、最期はコロナか……と、複雑な気持ちにさせられます。



フィル・スペクターといえば、“ウォール・オブ・サウンド”というキーワードがよく知られています。
音響効果を利用し、重厚な“音の壁”を構築する……それが、たとえばビーチボーイズのブライアン・ウィルソンにも影響を与えたといわれています。

いっぽうで、その個性的な人格で、手がけたミュージシャンとのあいだでたびたびトラブルを起こしてもいました。
先ほど名前が出てきたビーチボーイズに関していえば、ブライアン・ウィルソンがベースを弾くのを聞いて「お前は二度とベースを弾くな」といったという逸話は、以前も紹介しました。

因縁は、たとえばポール・マッカートニーとの間にもあります。

ビートルズ作品のなかでフィルが手掛けた作品といえば Let It Be ですが、このアルバムは、ビートルズが事実上活動休止状態に入っていたときに塩漬けになっていた音源をフィルに託して作品化したもの。その音源をフィル・スペクターはみずからの音の世界に染めていくわけですが、これがポールの逆鱗に触れました。
数十年後、なにかのパーティーでたまたまこの二人が出席する機会がありました。
その際、フィル・スペクターがやってくると聞いたポールが、「多重オーケストラをつけられる前に帰らなくちゃ」といって中座したというエピソードがあります。

せっかくなので、ここで聴き比べてみましょう。

曲は、とりわけポールが不満を持ったという The Long and Winding Road です。

まずは、フィル・スペクターが手掛けたバージョン。

The Long And Winding Road (Remastered 2009)

そして、後年 Let It Be ... Naked として発表されたアルバムのバージョン。
こちらが本来のかたちとされています。

The Long And Winding Road (Naked Version / Remastered 2013)


もう一曲、Across the Universe で。

やはり、まずはフィルのバージョン。

Across The Universe (Remastered 2009)

そして Naked バージョン。

Across The Universe (Naked Version / Remastered 2013)

同じ曲でも、誰がプロデュースするかでこれだけ違うということです。
ポールにしてみれば、勝手なことをしやがってということになったわけでしょう。

あと、フィル・スペクターがプロデュースを手掛けたアーティストとして有名なのはラモーンズですが、ラモーンズの場合も一部メンバーとやはり軋轢があったようです。

こうした話を聞いていると、なかなか扱いの難しい人であったようです。殺人を犯してしまったというのも、その延長なのかもしれません。

しかしながら、それもアーティスト気質というものでしょう。

強烈な個性のぶつかり合いから、すぐれた作品は生み出されるものかもしれません。
そういう意味で、やはりフィル・スペクターは、ロック史にその名を残す名物プロデューサーなのです。




NRA、破産法適用を申請

2021-01-16 20:16:53 | 時事


全米ライフル協会(NRA)が、破産法適用を申請したというニュースがありました。

NRAといえば、銃規制に反対する団体。
政治的に大きな影響力をもつ組織でもあります。
資金も豊富。今回の件も、破産といってはいますが、実際には、現在拠点を置いているニューヨーク州からテキサス州へ移転するための便宜的な措置だそうです。

彼らの思想の根底にあるのは、“武器をもつ権利”を保障するアメリカ合衆国憲法修正第二条。

銃を持つ権利というのは、圧制者に対して抵抗する権利の具現化であり、ここには難しい問題もあります。

しかしどうやら、銃規制反対の背後には、「刀は武士の魂」というのと似て、銃はアメリカ建国の魂であるというような精神論もあるらしいです。
その精神論の部分が行き過ぎてしまうと、ちょっと危険なことになってしまいます。私のみるところ、NRAという団体は、そういう危険な領域に踏み込んでいる雰囲気があります。
さらに、銃というものは、そのシンボリズムとしてマッチョイムズと親和性があり、そこがくっつくと非常にめんどくさいものになってしまうのです。

ビートルズの Happines Is a Warm Gun という歌があります。

Happiness Is A Warm Gun (2018 Mix)

この歌のタイトルは NRAのスローガンです。幸福とは、(発射した後の)熱をもった銃である――まさに、これ以上ないぐらいあからさまなファルシズムの発露といえるでしょう。ビートルズの名誉のためにいっておくと、彼らがこういう歌をうたったのは、そのマッチョイムズをコケにする意図だというのが一般的な解釈です。

これをさらにこじらせると、偏狭なナショナリズムや国家主義と結びついておそろしく面倒なものができあがります。
先日の、トランプ支持者による米議会占拠事件でも、参加者の中に銃規制反対派が含まれていたことがあきらかになっていますが、それもむべなるかなというところでしょう。

先述したように、今回のNRAの破産法適用申請は、ニューヨークからテキサスに拠点を移すのが目的ということなんですが……これは、資金流用疑惑でニューヨーク州の検察から訴えられているということが背後にあります。訴えを起こされると、逆に「腐敗と規制だらけ」と州を批判し、出ていくといっているわけです。この手の組織の行きつくところは、いつでもどこでも同じなのだなあ、とあきれさせられる話でした。



半藤一利さん、死去

2021-01-13 18:03:35 | 日記


半藤一利さんが亡くなりました。

近現代史研究の第一人者といっていいでしょう。

このブログではときどき近現代史関連の記事を書いていますが、私がそういった分野に入っていくきっかけも、半藤さんの著書でした。昭和初期の日本が戦争にむかっていく複雑怪奇な経緯をわかりやすく解説していく半藤さんの著作は、右も左もわからない素人には絶好の入門書でした。

自身も戦争を経験し、父親が治安維持法違反で三度も逮捕された経験をもつ半藤さんは、この国の現状を憂いてもいました。

戦後70年の2015年には、「安倍談話」をめぐって、保阪正康氏、藤原帰一氏らとともに共同声明を発表するなどしています。保阪さんも、半藤さんと並んで私がリスペクトする歴史学者ですが、彼らがそろって共同声明を出さなければならないぐらいに歴史修正主義が蔓延してしまっている危機感があったのでしょう。

その歴史認識は、戦前回帰ともとれる動きへの懸念にもつながります。
特定秘密保護法、安保法制、共謀罪……といった、2010年代半ばの動きには、とりわけ半藤さんも危惧を抱いたようです。
2017年、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案が国会で議論されている際には、朝日新聞の記事で次のように語っています。


歴史には後戻りができなくなる「ノー・リターン・ポイント」があるが、今の日本はかなり危険なところまで来てしまっていると思う。
 「今と昔とでは時代が違う」と言う人もいるが、私はそうは思わない。戦前の日本はずっと暗い時代だったと思い込んでいる若い人もいるが、太平洋戦争が始まる数年前までは明るかった。日中戦争での勝利を提灯(ちょうちん)行列で祝い、社会全体が高揚感に包まれていた。それが窮屈になるのは、あっという間だった。その時代を生きている人は案外、世の中がどの方向に向かっているのかを見極めるのが難しいものだ。


私も、近現代史をかじってみて、この点は痛感します。
戦前の日本は決して暗黒時代ではなく、それなりに活発で、それなりに明るい社会でした。1930年の銀座の写真なんかは、1960年代の写真だといってそのまま通用するんじゃないかとも思えます。
おしゃれして買い物に興ずる若い婦人たち……「銀ブラ」という言葉がはやったのも、1930年のこと。しかし、それが10年ほどで、もんぺ姿で一億総玉砕などというようになってしまったのです。
当たり前の平和な日常が壊れるのはあっという間で、しかも普通の生活者は実際にそのときがくるまで危機に気づかない……であればこそ、歴史の警鐘に耳を傾ける必要があります。半藤一利さんは、その警鐘を鳴らしてくれる重要な歴史家でした。





『ドクター・スリープ』

2021-01-11 21:23:15 | 映画


『ドクター・スリープ』という映画を観ました。

原作はスティーヴン・キング。
同じくキング原作でスタンリー・キューブリックがメガホンをとった、あの『シャイニング』の続編ですね。

映画『ドクター・スリープ』US版メイン予告【HD】2019年11月29日(金)公開

感想としては、いかにもキングらしい作品だと思えます。

特殊能力、そして、忍び寄る闇の勢力との戦い……私としては、非常に楽しめる作品でした。

ただ、映画として考えた時には、前作『シャイニング』とのかねあいも問題になってくるでしょう。その点で辛口の評価を受けてもいるようです。

たしかに、あの映画の続編として観ると、期待を裏切られることになるかもしれません。
しかしここは、難しいところです。
キューブリック監督による『シャイニング』は名作映画とされていると思いますが、実は、原作者であるスティーヴン・キングはあまり気に入っていないようで……根本に、そういうねじれがあるわけなんです。

『シャイニング』は、ミステリアスな雰囲気が漂い、そこに描かれるさまざまな事象について十分な説明がなされないままに終わっているところがあります。それが、あの映画ではよかったわけでしょう。
しかし、『ドクター・スリープ』はそうではありません。
いろいろなことが、きちんと筋道だって説明されていて、例のホテルも、その筋道だったストーリーのなかに組み込まれています。そこが、『シャイニング』に魅せられた人たちには不満なのかもしれません。

この二つの映画は、基本となっている文法がそもそも違うのです。
『ドクター・スリープ』は、同じキング原作映画でいうと、『ドリームキャッチャー』なんかの方向に寄っているように私には思われます。すなわち、『シャイニング』とはまったく異質の作品であり、それが形式上続編となっているというところに齟齬が生じるわけでしょう。『ドリームキャッチャー』の、あの中盤における大胆なストーリー展開……『シャイニング』の続きを観ていてそれと同じことが起きたとしたら、ぶち壊しだと思う人が出てくるのも無理からぬ話ではあります(実際にはそこまでのギャップでもないと思いますが)。


具体的にいえば、例のホテルです。
映画の終盤、主人公たちは闇の勢力と戦うためにあのホテルを利用します。
『シャイニング』に登場したあれこれがここで出てくるわけなんですが……雪に鎖されたホテルのたたずまいに見入りつつも、そこにある種の安っぽさを感じることは否めません。これは、その習性を人間に利用されているという時点で恐怖のグレードが一段下がってしまうためでしょう。物語の辻褄のなかにおさまっているがゆえに、そこにあるのは、理解不能なおそろしさではなく理解可能なおそろしさ――つまり、クマや毒蛇が怖いといった危険物に対する恐怖なのです。この作品の描き方だと、あのホテルはそういう存在に“なり下がった”感がある。ここが、『シャイニング』ファンにとって問題だったのだと思います。

しかしこれは、映画『シャイニング』の続きとして観るからそうなのであって、観る側がそういうふうに観なければいいという話でしょう。

この作品に描かれているのは、邪悪な力との戦いです。

主人公ダニーは、当初その戦いに消極的でした。
あえてそんな危険な戦いに身を投じることはない。やつらに見つからないようにして細々と生きていけばいい……
しかし、そんなダニーの制止にしたがわず、同じように“シャイニング”をもつ少女は果敢に戦います。
戦うべきときがある。邪悪な力が世界を覆わんとしているときには――ここには、そういうメッセージがあるのです。

作中で語られるところによれば、“シャイニング”は子どもの頃のほうが強く、大人になるにしたがって弱まっていくといいます。
子どもの心がもつ純粋さや勇気、犠牲になる人々を見殺しにはできないという気持ち――そういった輝きが、大人になるにしたがってくすんでいってしまうということでしょうか。そうして訳知り顔で諦めのなかに生きるようになったとき、輝きはすっかり失われてしまうのかもしれません。

映画のラストシーンでダニーが発する「輝き続けろ」という言葉を、かみしめたいと思います。