今回は、音楽記事です。
このカテゴリでは、前回、フーファイターズについて書きました。
その中心人物デイヴ・グロールは、もともとニルヴァーナにいた人。
というわけで、今回のテーマはニルヴァーナです。
前回の記事から、オジー・オズボーンの話やらビートルズの話やらをはさみましたが、そういうところも包摂してくる、大きなテーマといえるでしょう。
Nirvanaは、いわゆるグランジを代表するバンドの一つです。
その代表曲は、やはり
Smells Like Teen Spirit
ということになるでしょう。
Nirvana - Smells Like Teen Spirit (Official Music Video)
VIDEO
このMVはMTVでヘビーローテーションとなり、大ヒット。
いわゆるグランジというジャンルが興隆する火付け役ともなりました。
しかしこの曲は、カート・コバーンの、そしてニルヴァーナの、ひいてはグランジに代表される90年代ロックの矛盾を体現してもいるのです。
この曲が大ヒットして、ニルヴァーナは時代の寵児のようになったわけですが、よくいわれるように、カート・コバーン自身はそのことにある種の葛藤を感じていました。
作品がヒットすれば程度の差はあれ起きることでしょうが、自身の意図を離れて独り歩きしていくという……ニルヴァーナの場合とくに問題だったのは、それがパンク勃興以来のジレンマを内包していたということです。すなわち、商業的な成功は悪なのか、という葛藤です。
結局のところニルヴァーナというバンドは、自分たちの意図にかかわらず、否応なしに商業主義の側に呑み込まれていった部分があるのだと私は思っています。
インディーズ時代に出したアルバム
Bleach とメジャーデビュー作
Nevermind
を聴き比べてみれば、メジャー進出にあたってニルヴァーナが大きく音楽性を変えていることはあきらかでしょう。
ゴリゴリでまさにグランジィなインディーズのサウンドと、“商品”としてきれいに剪定されたメジャーのサウンド……
たとえば、Nevermind
のドラムを、「打ち込みなんじゃないか」と評した人すらいます。
そのドラムがデイヴ・グロールなわけですが、デイヴの存在は、「メジャーのバンド」になるということに大きな意味を持っていたように思われます。
彼は初期メンではなく、ニルヴァーナ加入以前から、プロの世界で活動していました。だからこそ、プロならではの対応力のようなものを持っていたのではないかと思われるのです。それはすなわち、プロデューサーがこうしようといえば、それに応じたドラムを叩ける能力。打ち込みのようであるかどうかはともかく、そういうプロとしてのスキルがここで活かされているわけでしょう。
荒削りのグランジサウンドを、そうしてある程度に磨き、商品棚に陳列する。
そのことによって、これまではマイナーな音楽番組でしか流されることのなかったグランジが、お茶の間に流れるようになったというわけです。
しかし、そうした経緯は、意地悪な見方をすれば「商業主義に汚染された」「金儲けのために魂を売った」というふうにもなるわけです。とりわけパンクよりの立場かみればそういう批判的な見方が強くなり、それは、ほかならぬカート・コバーン本人もそうだったと思われます。ゆえに、カートは深刻な葛藤を抱えることになるのです。「売れてなにが悪い」と開き直るには、カートはパンクに対して誠実にすぎました。
ちょうど世界が80年代から90年代に入っていくとき、ニルヴァーナはその結節点にあったのだと思われます。
時代は、新たなフェイズに入っていく。しかしそこにはまだ、80年代の要素が色濃く残っていた。
そしてこの、80年代と90年代のせめぎあいが、カート・コバーンという人を引き裂いていったのではないか。
もっと前の時代であれば、メジャーシーンに中指をたててみせながらインディーズでやっていられたし、もっとの後の時代なら、メジャー向けに彫琢を施さずとも、ゴリゴリのグランジサウンドのままで表舞台に立てた。ニルヴァーナは、その中間地点にあるがゆえに、矛盾を抱え込んだのです。
もう少し中身に踏み込むと――細かい部分を抜きにして大雑把に言ってしまえば――そこでせめぎあっているのは「陽」と「陰」、あるいは、「躁」と「鬱」ということになるでしょう。
ニルヴァーナが示した方向性というのは、「陰」であり、「鬱」、反マチズモです。
90年代にその方向性が主流になっていく、その橋渡しをしたバンドの一つがニルヴァーナではないか。
しかし、“橋渡し”であるがゆえに、そこには80年代の「陽」と「躁」を一定程度含まざるを得なかったのです。
それは、MTVに代表される80年代商業主義です。
カート・コバーン本人は、商業主義を毛嫌いしている。しかし、ニルヴァーナはその象徴ともいえるMTVでヘビーローテーションとなり、売れに売れている。この矛盾です。
結局のところ、それを受け入れるには、カート・コバーンは90年代の側によりすぎていました。
1994年4月5日、カートは、みずから命を絶ちます。
「錆びつくよりも燃え尽きたい」というニール・ヤングの詞を引用した遺書には、「自分はフレディ・マーキュリーのようにはなれない」とも書いてあったそうです。
ボロボロになっても最期までエンターテイナーとしての仮面をかぶり続けたフレディ。
自分はそうはなれない、とカートはいうのです。
己から遠く離れたところで築き上げられた虚像を背負っていくことはできない……そういうことでしょう。ましてその虚像は、自分が心から忌み嫌っているものに自分自身がなってしまうということだったのだから、なおさらです。
カート・コバーンが、ガンズ&ローゼズを嫌っていたというのは有名な話です。
1992年、メタリカとガンズが合同ツアーを企画した際、そのオープニングアクトをニルヴァーナに打診しましたが、カートはこれを拒否しました。
メタリカのカーク・ハメットは、ニルヴァーナが『ブリーチ』を発表する前からカートとは友人で、カートはメタリカの大ファンであり、『ネヴァーマインド』にはメタリカのブラックアルバムが影響を与えているともいわれます。
そんな関係ですが、カートはガンズ嫌いの一心から、そのオファーを蹴ったのです。
カーク・ハメットはみずからカートに電話し「お前のやりたいことをやればいいだけなんだよ」と懇々と説きましたが、それに対してカートは、自分がいかにガンズを嫌っているかということをひたすら話し続けたといいます。
また、94年、KISSのトリビュートアルバムにニルヴァーナの参加オファーがありましたが、カートはこれも拒否しています。
このときは、ジーン・シモンズと話もしたくないということで、プロデューサーのスティーヴ・アルビニがカートのふりをして断りの電話を入れたのだとか。
こうしたエピソードには、単に商業主義が嫌い、ガンズやKISSが嫌い、という以上のものがあるように感じられます。
カートの書く詞や、発言などをみれば、ガンズやKISSを嫌うことにさほど意外性はありませんが、そこにはもっと別の何かがあるのではないか。
私が推察するに、それは、自分自身が彼らと同種の存在と世間からみられることへの嫌悪です。
それがあるがゆえに、ガンズと同じステージに立ったり、KISSの曲をカバーしたりすることに激しい抵抗があったのではないでしょうか。そんなことをしたら、あいつらと同じものになってしまう、世間からますますそう見られるようになる、ということです。
結局のところ、カートはそのジレンマを解消することができませんでした。
時代の寵児となったが故の悲劇……ロック史にはそういう例をいくつも見ることができますが、カート・コバーンの死もその一つといえるでしょう。
最後に、ニルヴァーナの曲をもう一つ。
伝説のMTVアンプラグドで披露した、ヴァセリンズのカバーJesus Wants Me for a Sunbeam です。
Nirvana - Jesus Doesn't Want Me For A Sunbeam (Live On MTV Unplugged, 1993 / Unedited) VIDEO
もとは教会で歌われる歌で、「イエス様は日の光の代わりに毎日彼のために輝くことを私に望む」というなんとも清らかな詞ですが、ヴァセリンズはそれを否定文にしました。
イエスは日の光の代わりに俺を望みはしない
日の光は俺と同じようには作られていない
俺に泣くことを期待しないでくれ
あんたが死んだ理由なんてどうだっていい
俺に、あんたへの愛を求めないでくれ
俺に、あんたのために死ぬことを求めないでくれ
徹底的に、否定の言葉が続きます。
Smells like Teen Spirit では、最後に「否定、否定、否定……」と繰り返されますが、まさにそれを地で行くようです。
神にも見放された、日のあたらない場所……それは、同じくMTVアンプラグドで披露したレッドベリーのカバーWhere Did You Sleep Last Nightで歌われる「太陽が輝くことのない場所」でもあるでしょう。 where the sun don't shine というのは、“ケツの穴”を表す隠語でもあるそうですが……そういった歌をMTVという場で歌うことは、それ自体がある種痛烈な皮肉ではないでしょうか。
日の差さない場所にあるはずのものが、そうであるがゆえに、日の当たる場所にでてきてしまう。そんな、ねじれねじれた矛盾のなかに、ニルヴァーナというバンドは存在した。そして、その矛盾の渦に引き裂かれて、消えていった……ニルヴァーナの遺した音楽は、その一瞬の爆発的燃焼といえるのではないでしょうか。