久しぶりの「いの平」、話して、歌って俵氏の帰る十時の10分ほど前、二人の男の方が入ってこられた。後で判りましたが、とても温厚そうな方が、実は小説「残響」の作者、田中和夫氏で、もう一方は、「残響」の胸像設立期成会の事務局長芳村百一さんでした。チエリアで講演会を終えての帰りということでした。
「残響」、この小説をお読みの方もいられるかと思いますが、北海道開拓の歴史の一ページを飾るはずの村橋久成(薩摩藩出身で、札幌ビールの創立者)が、歴史の底に埋もれていたのを掘り出し、歴史の前面に導きだした小説なのです。この「残響」を読んだ、中村晋也さん(鹿児島大学名誉教授、日本芸術院会員、日本彫刻会理事長)が、田中さんが小説で村橋久成を残したのなら、私は彫刻で残すといって、村橋の胸像を作製し、鹿児島の中村晋也美術館に展示していました。その胸像を札幌に移設しょうという運動が起きているのだそうです。
詳しいことは、私のHPの方に書いてみたいと思いますが、とにかく驚いた。私は「残響」の書名と北海道開拓にかかわる内容の小説とはわかっていましたが、読んでいませんし、その作者が手稲の人だとは全く思ってもいなかったのです。
作者の田中さんは旧国鉄の車掌さんで、村橋久成の壮絶な最後を知り、資料を求め歩き、ついにこの小説を物にされたのだそうです。現在は北海道文学館評議員をなさっています。
たまたま、1か月ぶりで行った「いの平」、こんな出会いが待っていた。やっぱり「いの平」は素晴らしい。
「残響」、この小説をお読みの方もいられるかと思いますが、北海道開拓の歴史の一ページを飾るはずの村橋久成(薩摩藩出身で、札幌ビールの創立者)が、歴史の底に埋もれていたのを掘り出し、歴史の前面に導きだした小説なのです。この「残響」を読んだ、中村晋也さん(鹿児島大学名誉教授、日本芸術院会員、日本彫刻会理事長)が、田中さんが小説で村橋久成を残したのなら、私は彫刻で残すといって、村橋の胸像を作製し、鹿児島の中村晋也美術館に展示していました。その胸像を札幌に移設しょうという運動が起きているのだそうです。
詳しいことは、私のHPの方に書いてみたいと思いますが、とにかく驚いた。私は「残響」の書名と北海道開拓にかかわる内容の小説とはわかっていましたが、読んでいませんし、その作者が手稲の人だとは全く思ってもいなかったのです。
作者の田中さんは旧国鉄の車掌さんで、村橋久成の壮絶な最後を知り、資料を求め歩き、ついにこの小説を物にされたのだそうです。現在は北海道文学館評議員をなさっています。
たまたま、1か月ぶりで行った「いの平」、こんな出会いが待っていた。やっぱり「いの平」は素晴らしい。