手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

指定管理者制度は、地域の文化活動を切り捨てる制度なのか

2005-03-26 21:05:55 | 手稲文化協会関係
 手稲区は区民センターとコミュニティセンターという二つの施設がある。それほど離れていないところに一定の規模の公共施設があるのです。従って、サークル活動などの会場などには恵まれているのです。ところが、コミュニティセンターは国道より坂道を登っていかなければならないのです。一方、区民センターは手稲駅から外に出ること無しに来れるのです。しかも区役所と一体なので極めて利便性が高いのです。従って利用度は格段に違うのです。部屋を借りるのに便利でもそこに行くのが徒歩の人、特に老人にはとても大変だと言うのがコミセンです。本来このような施設の設置の仕方はおかしいのですが、手稲地域の発展が急速に鉄道の北方向に進み、手稲区となる時には、鉄北地区の人口が圧倒的に多くなり、更に駅の北側に区役所の建設場所として適当な土地もあり現在の場所に建設されたのです。コミセンは手稲町の時代から公民館のあったところで、手稲区に編入され、西区の連絡所的役割を果たしていたのですが、新しい区役所建設候補地としては当然のこととして外され、コミセンは地区センター的なものとしてそのまま残されたのでした。
 こんな流れの中で、手稲文化協会の活動が大きな制約を受けてきたのです。手稲は人口の大部分が移住してきた人で、手稲文化協会が手稲町の時代から、手稲地区の文化活動の中心として活動していたということ、それよりも手稲文化協会などがあることを知らない方が多いのだと思います。 手稲区になる以前は、手稲文化祭として、手稲文化協会が年に一度大きなイベントを開催していたのですが、手稲区が出来、区民センターが出来た時に、手稲文化祭は区民センターで実施するようにしてはという話があったのだそうです。しかし、どのような曲折があったのか分らないのですが、コミセンで手稲文化祭を実施するということになってきたのです。そして、区民センターでは区民センター祭、地区センターではそれぞれ文化祭を開催するようになると、手稲文化祭がコミセンの文化祭としてしか認識されず、手稲文化協会の名前さえ埋もれてしまう状態になったのです。
 今年で56年目となる手稲文化協会に今一度光を当て、札幌10区に唯一つ残されている手稲文化協会の存在感を認めていただきたいと、区と折衝して昨年から区民センターを使用料免除で使わせて頂き、独自の文化祭を成功裡に開催したのでした。
 ところが、平成18年度から、指定管理者制度なるものが導入されるのに伴い、手稲文化協会の文化祭は、使用料を払わなければ開催できないととのお達しがあった。手稲区には、このような文化活動を維持し、発展させてやろうと言う建設的な考えはないのだとしかいえない。何とかしてこの問題をクリヤして、手稲文化協会の活動が今までどおり進められるようにどうすれば出来るのかといったことで、隘路を考えようともしてくれないのです。
 これが役所の、面目なのでしょう。面倒なものは、何かの口実があれば直ぐ切り捨てる。そこには、伝統を、地域の文化の向上をどうしていくかというビジョンなど何もないのです。地域振興課という名前は何なのですかと言いたい。
 
コメント (1)
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