「切れる」という言葉が氾濫している。「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉はいまや死語なのでしょうか。
私は比較的我慢強い方と思っています。喧嘩になる前に自分で引くのです。でも心では妥協していません。
そんな私も、唯一度、酒の席でですが、ある人に絡まれて、終に切れてしまいました。それ以来、その方とは全く話もしませんし、出会っても挨拶さえしません。明らかに相手に非があってのことですが、相手は自分の非を認めていないと思います。
最近、私の関係する方の中で仲違いが起きています。話を聞くとそれほど剥きになることも無いと思います。自分の好意を上手く受けてくれなかったことを、自分の存在を否定する行為のように受け取っているのではと思います。いわば物のはずみでの言葉の行き違いが収まらなくなっているのです。
外から見ると単純なことなのですが、人間一度切れると回復は大変なことなのです。やはり「ならぬ堪忍」も「堪忍」する強さを持たなければならないのだと、自分を振り返りながら思うのです。