手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲文化協会の歴史について

2007-01-28 21:50:49 | 手稲文化協会関係

 札幌市10区ある中で文化協会があるのは手稲区だけです。
 
 手稲文化協会は手稲町の時代に結成され、主として手稲文化祭を主催してきていました。その最初は昭和24年、明治節が文化の日と改められ、国民の祝日になったのを機会に、文化の日にふさわしい行事をと、町の有志の方が文化祭を開催したのが始まりです。手稲小学校を会場として、町内の文化サークル、商店街、小中学校のPTAも含め町をあげての文化祭が立ち上げられたのです。2年目には、手稲文化協会が設立され、3年目からは手稲町の助成をいただいての開催となって行ったのです。

 手稲町は札幌市に編入されましたが、この文化祭は手稲公民館で、公民館の主要行事として組み込まれ継続開催されていました。手稲公民館が新しく手稲コミニュティセンターに変わりましたが、公民館での文化祭は引き継がれてきました。文化祭の主管は手稲文化協会であることにかわりがなく、表立つては手稲コミュニティセンターの行事ではあるものの、実質は手稲文化協会の文化祭として経過してきたのです。町の時代から引き継がれてきたという特殊性が、手稲区だけに文化協会があり、文化協会の文化祭があるという結果になっているのだと思います。

 今年で58回となる文化祭の開催にいろいろの問題が出て来ています。今、改めて歴史を確認し、新しい体制を確立する必要があるのです。私は、単に手稲文化協会の事務局長というだけのことなのですが、長い歴史と伝統をどのように継承発展させるか、誰かが先頭に立たねば進まないことですから、できるだけ努力をしてみたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする