手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「いの平」 で、「残響」の田中先生と楽しみました 

2008-09-11 17:15:55 | 身辺雑記

 「残響」の作者、田中和夫先生が「幻の木製戦闘機キ106」を刊行されたと言う報道があった。一度お会いしたいと思っていて、なかなか機会を作れないでいたのですが、昨日ようやくご一緒できた。

 田中先生に初めてお会いしたのも「いの平」で、一番二人とも馴染みの店なので今回も「いの平」にしました。折角の機会なので、俵先生もお誘いしました。

 今回は、私のストックのウイスキーの中のオールドパーを一本もって行き、一寸贅沢な飲み会になりました。

 先日、村橋久成の胸像「残響」の製作者、中村晋也先生が文化勲章を受賞されたことは、新聞で知っていました。その中村先生の受賞祝賀会があり、田中先生も出席し挨拶の中で「村橋氏の高い志と果敢な挑戦こそが北海道民に息づくフロンティアスビリツトの源流の一つです」という高橋知事のメッセージを代読されてきたとのことでした。

 中村先生の文化勲章受賞の一つの功労として、村橋久成の胸像の作成、そしてそれが北海道知事公館に移設されたことが挙げられるということでした。田中先生によって北海道開拓に大きな足跡を残していた薩摩藩士だった村橋久成が掘り起こされ、その功績に感動した中村先生が胸像「残響」を作成された。そして、その胸像が知事公館に移設され、北海道と鹿児島を深く結びつけた。

 歴史の闇に埋もれていた、村橋久成という人物は、鹿児島の歴史を飾る人物と成り、北海道でも開拓の歴史にその名が刻まれることになった。その、胸像が北海道知事公館の庭に立っていることは、極めて大きな象徴的な意味を持つように私にも感じられる。

 鹿児島は、「篤姫」で一躍脚光を浴びているのですが、同時に中村先生の受賞により、村橋久成の功績がさらにクローズアップされることになっているのです。

 移設から3年目、今年も胸像を守る会が23日に持たれるといいます。私も参加できれば幸いと思っています。

 久しぶりに田中先生とお話が出来、楽しい一時でした。
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