手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

佐渡での思い出

2008-09-17 21:48:25 | 身辺雑記
 佐渡についての私の知識はお粗末なものでした。地名だって両津・相川・小木くらいしか知らなくて、両津が一番大きな町らしい、また「竿さしゃ届く」といわれる本州に一番近いところが小木辺りではないかとというくらいのものだった。歴史的には順徳天皇が配流されたり、日蓮が流されたりした所だということ。また、金山があったということ、佐渡おけさの発祥の地だというくらいしか知らなかった。

 今回の旅行でいろいろ勉強させていただいた。観光タクシーの運転手のガイドで勉強したのです。

 その中で記憶に残っているものを挙げると、先ず、能舞台が今も20数箇所残っていて、かつては、一集落一舞台ということで40数舞台があったのだそうです。そして、いずれも宝生流だということを知りました。世阿弥が流された島だといっても、これだけの能舞台が建てられ、集落の住民が能を鑑賞できたということに驚きを感じました。ただ仕舞いを見るだけではなく、物語と一体になって鑑賞するのでしょうから、伊勢物語とかが教養として享受されていたのだと思います。この、本州から切り離された島でこのような文化が継承されてきたことに驚きを感じました。

 流人の島のような印象が有りますけれど、極悪罪人が送られた島ではなかった。罪人といっても、政治犯に近い、いわば多くの文化人が流されていて、それが独特の文化を形成する基となっていたのは間違いないのです。

 佐渡の人の依拠する宗派は日蓮宗とばかり考えていた。間違いでした。日蓮上人が流される以前から島は開けていたのですから、当然です。しかし、3年間の島での生活の中でその教義が深められ、島民にも迎えられ、その足跡は島中に残されています。現在、30を数える日蓮宗の寺があるそうです。

 佐渡は、寺と神社の数が同じくらいあって、どちらも今でも200以上有るというのです。ただ、すでに建物としては存在しないものも有るということでした。

 長谷寺・清水寺があります。本は、京都の寺と同じものを建てる意図のものだったのだそうですが、今は「ちょうこくじ」「せいすいじ」と読むのだということでした。

 「たらい舟」は、小木のものでした(写真)。昔は女性が漁に使ったものなのでしょうが、今はこのように観光客を乗せる観光舟になっていました。小木はまた佐渡おけさの発祥の地でもありました。

 島とはいうものの、大きな島です。観光は、一日二日くらいでは足りないと思います。でも、とにかく、佐渡の土地を踏み、我が家のルーツという小木を見て何か一つのけじめが付いたように感じています。


 
コメント
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