手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

厳しさ・・・優しさ

2009-11-13 18:51:54 | 無題

 自分は厳しい人間なのか、優しい人間なのか?とふと考えた。

 結論は、どちらでもなく、適当な男・・まあ普通の人なのでしょう。

 いい人という言葉がある。厳しくていい人もいるし優しくていい人もいる。私は、その辺を適当に、うまくやってきていたのではないかと思う。人付き合いは悪いほうではないが、うまいとは言えない。

 先生稼業を38年やって、退職してまもなく20年、この間、いろいろの役職を経験してきている。先生では管理職にはならなかったけれど、それなりの要職は経験させてもらった。町内会の副会長も6年ほどやった。会長にずいぶん要請されたが断り続けた。詩吟の教室を持って25年になる。かなりの数の生徒さんを教えてきている。手稲では文化協会の事務局長を10年続けている。かなり大変な仕事だけれど、皆が協力してくれて、今に至っている。

 よく出来たものだと思う。ただ、これは厳しさとは違うのだけれど、かなり一生懸命はやってきた。時々、もっと厳しくやるべきだと思うこともあるけれど、出来ない。それは優しさでもないと思う。

 自分の考えを押し通し、否定されれば開き直る、そんなことは嫌いで出来ない。そんな人を逆に気の毒に思ったりする。私は、態勢にすぐ順応するのです。もちろん自分の意思がないままではない。ただ無理に自分の考えを通そうとはしないのです。いわば、妥協する。しかし、場合にもよるけれど、納得できないいまま妥協することも多い。そんなときでも、それを態度や顔に出さないようにしてきている。
そのあたりが、どうでもいい適当な人と評価されるところなのでしょう。
「和而不同」という言葉は好きだけれど、そんな高尚な哲学は持ち合わせない。

 嫌なことも、じっと辛抱して胸に収める。いい意味でいえば柔軟性はあるほうかもしれない。こんな人生を振り返りながら、いい人生を送ってきたとと思ったりする。自慢できるものではないけれど、それなりに充実し、そして楽しく生きてきたとおもう。厳しさ、優しさ、それを適当に使い分け、一番いい方向への自分の羅針盤は胸に持って生きてきたように思う。

 
コメント
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