手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲文化協会の事務局長13年

2012-04-09 17:38:56 | 手稲文化協会関係
 私が手稲文化協会の事務局長を自分から望んでやり始めてもう12年も経過している。
 文化協会に私の詩吟の会を入会させて数年後現在同じ北詩連に加盟している岡内嶺周先生が会計の職を辞された後を引き受けたのが役員の始めで、会長は澤田さんでした。その二年後が手稲文化協会50周年記念の年だった。

 当時、手稲文化協会の活動は一年に一度の文化祭の開催だけでした。それも手稲区ができて、区民センターがとても便利なところにできてからは、文化祭の観客が極度に少なくなり、このままでは50年の歴史も終止符を打たなければならないのでないかと思われる状況だった。

 私が事務局長になって最初に手掛けたのが新しい行事として「伝統芸能祭」の開催でした。丁度、有珠山の大噴火災害のあった年でしたのでチャリティとして手稲区の後援をいただき、区民センターで開催することとしました。これは大成功で、益金15万5千円を有珠の災害義援金に充てました。この伝統芸能祭は8年間継続されました。

 平成13年から文化祭の区民センターでの開催の運動を始めました。当時は指定管理者制度がまだできていませんでしたから、区民センターの使用料免除で文化祭を開催できる余地がありました。

 ただ、手稲区になる前にできた手稲コミニティセンターが文化協会を世話する形となっていて、手稲コミユニティセンターの一大行事が手稲文化祭の開催でしたから、その中心となっている文化協会が出てゆくことに大変な抵抗がありました。

 しかし、50年の歴史のある文化協会は手稲の誇りであっていいのに、その存在する知らない人が多くなってしまっていました。それで、手稲区と交渉して、区民センターの使用料減免で手稲文化祭を文化協会が開催し、手稲区に後援を戴くようにしたいとか考え、手稲区との交渉に入りました。その最初に市会議員のある方に区長との話し合いの手筈を取っていただきました。

 結局、平成16年度から文化協会独自での文化祭を区民センターで開催することができました。この時、コミニティセンター、区民センターの関係者からのかなり厳しい対応を感じながらの開催となりました。ところが、次の年から指定管理者制度の導入が問題となり、区民センターの使用料減免が出来なくなる問題が出てきた。使用料減免がなければ文化協会だけで文化際を開催するのは難しくなります。それで、何とか手稲区の助成を受けようと動きました。結局その年は最終的に減免措置が取られ、継続して文化祭を無事開催できました。しかし翌年からは半額負担となりました。やむを得ずチャリティで開催していた伝統芸能祭のチャリティを止め、益金を文化祭費用に充当しました。手稲区からの助成を強く求めたのでしたが、ほんの少しだけの援助で終わり文化協会独自でやるしかないと覚悟を決めたときに、区の地域振興課が仲立ちとなり区民センター運営員会との共催で、開催する運びとなり現在に至っています。

 それまで区民センター祭りとして、区民センターでやっているサークル活動の発表会と文化協会が一つになり、広く一般参加も求めての手稲文化祭としてようやく定着してきました。

 さらに、四年前に伝統芸能祭の見直しをして、7月に「舞踊の集い」11月に「年忘れ演芸大会」3月に「カラオケフェスティバル」をいずれもチャリティとで開催してきています。

 事務局長として、これらの流れのすべてに深くかかわり、ここまで来ましたが、もうそろそろ引退の時期に来ているように思います。来年は改選期です。できれば事務局長は誰かに譲りたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする