手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

教科書に出てこない歴史を見つめる目

2015-06-01 19:32:04 | 無題
  昨日だったでしょうか、寝る前にテレピで話されていたことになるほどと納得した。戦後の日本の復興の速さ・・・私自身も凄いことだと感じてはいたけれど、なぜそれができたのかまでは考えなかった。ただ、日本人の才能と素晴らしい対応力のようなものがあってと漠然と考えていた。

 テレビで話されていたことは、あの戦争の中で日本の技術力が高められその力は失われないで残っていたからだというのだ。あの戦争に対応する高度の技術開発、生産性の向上など、物はなくても作り上げる努力が積み重ねられていて、特に優れた技術者たちは兵隊に取られなかったのだという。戦時産業に向いていたものが平和産業へと転換した時それを推し進める頭脳と技術があったということなのだ。

 日本人の素晴らしさは、積み重ねられた教育の成果なのだが、そこを読み解く視点がむつかしい。明治維新が、全国を配下にしていた徳川幕府を転覆して成し遂げられたのだけれど、戊申戦争で戦争らしい戦争は会津との戦いくらいだった。江戸城が無血開城された。

 薩長が官軍として維新を成し遂げたその陰には、新しい武器が大量に薩長に売り込んでいた、外国の姿がある。ある方の説によると、武器を薩長に売って儲けるという裏で、日本が内乱状態になるのを待っていたという。一つには戦には武器が必要、武器を売り込める。内乱状態で国土が疲弊したらそこにつけ込み日本を属国にする魂胆も有ったのかもしれない。しかし、日本人はそんな裏側も感じ取っていたのかもしれない。勝海舟が江戸城無血開城へと向かわせたのは、内乱を避け、外国に隙を見せない大きな展望に立っていたといえそうだ。

 日露戦争も戦争に入らなければならないように仕組まれていたと言えるかもしれない、最後の戦争も起こさざるを得ないように仕組まれていたように思う。そして。、それが敗戦で明治以来突き進んできたファシズムからの脱却へとつながった。そして、見事な復興を成し遂げた。

 今、国会で問題となつている集団的自衛権、自主的な発議でなく、どこかからの力がそんな方向へと向かわせていないといいきれるのだろうか。こんな時こそ、日本人の知恵が生かされるべきでしょう。たとえ集団的的自衛権が確立されても、使い方でしのぐ知恵はあるはずだ。
コメント
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