笑いがあって悲しみがあって、楽しいことかあってつらいこともある、それがなくちゃ生きていることにならない。
今の自分は口を開いて大声で笑うことなどは縁遠くなっている。こんな時、落語でも聞くと笑えてきっと楽しいのだと思う。落語でなくてもそんな機会を作ろうと思えば作れるのでしょう。だけど今はそれほど楽しさをもとめる状況ではない。
気がかりなことが胸の中に鎮座していて、あれこれ心を使っている。これは生きている証しだし、やる意欲も失われていない。それも自分一人の問題でなく、大きなつながりとなっているのだから、これは喜ぶべきことなのだ。
歳をとるに従い、人の輪から次第に外れてゆく。人と談笑する機会が少なくなる。その点私は幸せなのかもしれない。詩吟で常にお弟子さんと対話しているし、カラオケで楽しむこともある。
友達と酒を飲んだ楽しむ機会が無くなってきたし、あれだけ好きだったパークゴルフもできなきなくなってきていて、生きている幅が狭くなってきている。
時々、大声で笑いながら、酒を酌み交わしたいなんて思ったりするけれど、それも今は郷愁みたいなものになっている。
今の自分は口を開いて大声で笑うことなどは縁遠くなっている。こんな時、落語でも聞くと笑えてきっと楽しいのだと思う。落語でなくてもそんな機会を作ろうと思えば作れるのでしょう。だけど今はそれほど楽しさをもとめる状況ではない。
気がかりなことが胸の中に鎮座していて、あれこれ心を使っている。これは生きている証しだし、やる意欲も失われていない。それも自分一人の問題でなく、大きなつながりとなっているのだから、これは喜ぶべきことなのだ。
歳をとるに従い、人の輪から次第に外れてゆく。人と談笑する機会が少なくなる。その点私は幸せなのかもしれない。詩吟で常にお弟子さんと対話しているし、カラオケで楽しむこともある。
友達と酒を飲んだ楽しむ機会が無くなってきたし、あれだけ好きだったパークゴルフもできなきなくなってきていて、生きている幅が狭くなってきている。
時々、大声で笑いながら、酒を酌み交わしたいなんて思ったりするけれど、それも今は郷愁みたいなものになっている。