手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

俺の昭和が遠くなる 3 今の我が家を建てたころ

2016-12-05 19:47:30 | 随想
 美唄東高校に勤務していた時だった。美唄も12年になるので転勤を考えなくちゃならないと思い始めた 出来れば札幌にでたいという気持ちがあった。丁度、長女が大学進学を迎えているので、進学が決まれば冬一人で過ごさせてもよいと思い札幌に家を求めることにした。

 札幌に家を求めるのにどこが良いか特別の希望はなかったのだけれど、何となく手稲方面に気が向いていた。家内と暇を見てみて歩いた。新川方面から手稲と見て回った。丁度稲積に建売住宅が建ち始めていた。しかし、建売は狭くどうも気に入らなかった。

 実は現在の我が家の建てられている土地は、義兄が知人から勧められ購入することにしたのだけれど、半分40坪を私に投資の意味で買わないか進めてくれて購入していたのです。行き着いた結論はこの土地に家を建てさせてもらい、半分の地代は後に時価で買い取るという約束で義兄の承諾を取り建てることにしたのです。

 丁度この決心をしたとき、家内の出身地から工務店に勤務している大工さんがいることがわかり、その方に話したら大喜びで引き受けてくれました。私が設計して立ててもらいました。

 手持ちの資金は手付金ほどしかなく、住宅金融公庫の融資を受けての建築でした。返済計画を立てたら、一年に払う金額は、当時毎年ベースアップがあり、一年たてばベイスアップでまかなえ、残額は退職金から払えば済むというとても楽に建てることができました。

 一冬は娘が過ごしましたが、翌年に希望がかなって札幌へ転勤となり現在に至っています。兄との約束の土地代もそれほど高くならないうちに返済でき助かりました。

 我家を建てたときは土地は゛泥炭地でスコップ一つ掘れば水がわきだす有様でした。それが入った翌年に下水工事がされたら、泥炭地が水が抜けました。元が泥炭ですから乾いたら有機質の良い土地になりました。でも地盤沈下が20センチくらい起こったようでした。

 耐震建築法ができる前でしたからハスカイなども入っていないのですが、知り合いの大工さんでしたので材木はしっかりしたものがつかわれていて、今までの大地震などでもびくともしないで来ています。土台も普通の家の三倍くらい高く作りました。これも結果としてよかったようです。

 バブル期、本当にありがたい時に我が家を持つことができました。
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