書かないつもりでいたのだけれど、ちょっと触れてみます。大学生のころ母親から27歳くらいに結婚するのが一番いいという話を聞いていた。それがどんな根拠があってのことかわからないけれど、頭の隅に残っていた。
沼田高校に奉職して5年目の正月美瑛の実家に帰郷する前に月形高校から転勤してきていた鹿角校長先生から見合いをしなさいと勧められ、丁度いい時期かと思い勧めを受けて帰った。ところが両親からも見合いの話が用意されていた。見合いだからすぐ返事をすることもないし、断るのも簡単なので、沼田に帰る日にお会いして、写真をいただいて沼田に帰った。すると次の日、校長住宅に呼ばれて出かけたら、現在の家内が姉と一緒に来ていて、お見合いということになった。二人とも私にとっては異論がなかったのです。そうなると仕えている校長先生が中に立ってくれている現在の家内を選ぶこととなりました。美瑛の方には直ぐ写真を送り返してお詫びをしました。見合いの後半年くらいお付き合いしてみなさいと勧められ交際を始め、結局11月に結婚式を挙げたのだった。
此の当時は仲人となってくれる方がいて、相応の年となると世話をしてくれるのが一般的でした。今は婚活といった集団見合いみたいなことがなされているが、昔のように仲人になってくれる人がない時代だと、私みたいな臆病なものは自分で見つけることができなく独身を通すことになるのかもしれない。
ともかくいい時代に生きたおかげで、家庭を持ち、それなりの人生を送ることができた。結婚記念日すら忘れるような生活だけれど平穏に老いを迎えている昭和5年と7年生まれの二人です。 </font>
沼田高校に奉職して5年目の正月美瑛の実家に帰郷する前に月形高校から転勤してきていた鹿角校長先生から見合いをしなさいと勧められ、丁度いい時期かと思い勧めを受けて帰った。ところが両親からも見合いの話が用意されていた。見合いだからすぐ返事をすることもないし、断るのも簡単なので、沼田に帰る日にお会いして、写真をいただいて沼田に帰った。すると次の日、校長住宅に呼ばれて出かけたら、現在の家内が姉と一緒に来ていて、お見合いということになった。二人とも私にとっては異論がなかったのです。そうなると仕えている校長先生が中に立ってくれている現在の家内を選ぶこととなりました。美瑛の方には直ぐ写真を送り返してお詫びをしました。見合いの後半年くらいお付き合いしてみなさいと勧められ交際を始め、結局11月に結婚式を挙げたのだった。
此の当時は仲人となってくれる方がいて、相応の年となると世話をしてくれるのが一般的でした。今は婚活といった集団見合いみたいなことがなされているが、昔のように仲人になってくれる人がない時代だと、私みたいな臆病なものは自分で見つけることができなく独身を通すことになるのかもしれない。
ともかくいい時代に生きたおかげで、家庭を持ち、それなりの人生を送ることができた。結婚記念日すら忘れるような生活だけれど平穏に老いを迎えている昭和5年と7年生まれの二人です。 </font>