手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

趣味 いろいろ

2019-08-07 19:58:29 | 身辺雑記
 人間一生にいくつかの趣味を必ず楽しむものだと思う。

 仕事が趣味という人もいるけれど、ここは遊びのようなものをと考えている。

 いろいろな遊びがあるけれど、ただやったことがあるものを振り返った見よう。

 スホーツでは一番長くやったのがスキーでした。これは退職後も5年くらい続けていました。野球は職場野球で楽しみました。しかし30台までで終わりました。テニスはラケットを買っただけで、美唄東高校に勤務のころ、中庭かコートになっていて遊びやすかったのでしばらくやっていた。これも札幌に来て終わりました。そして、退職後数年たってパークゴルフが始まって、これにはまりました。でも85歳でこれも終わりました。肺気腫が進行して姉くことか苦痛になったからです。

 スポーツ以外では、将棋は小学生の時に覚えたけれど、夢中になりなかった。囲碁は就職後いい相手がいて、かなりはまりました。札幌に来てからは六段の同僚がいて、三目で打たせてもらうこともあり、二段の実力があるとか言われ。初段に推薦するといわれたが遠慮して、退職後は全く無縁になった。麻雀は大学生の時覚え、これは夢中になった。現役の時は仲間がいましたから、かなり遊んだのですがね退職後は全く無縁になりました。ボウリングは数えるほどしかやったことがありません。バレーボールも全くできません。卓球はほとへほどラリーができるくらいです。バスケットボール、沼田高校の時体育館で暇なときシュートの稽古などをして遊んでいて、少し興味を持っていました。美唄東高校に転勤になって一年目クラブ活動の様子を見ていて、女子のバスケットなら私が顧問になれば、全道に連れてゆけるような気がしました。全くなっていないのです。それで2年目に希望して女子のバスケットの顧問を引きうけ、指導に当たりました。教えたことは、フリースローの狙い方、と各自のミドルシュートの定位置をつくせ、その位置どフリーになったらすぐ狙えということ、ランニングシュートは100%いれれといった事後は放課後体育館が使えない時はランニングをさせる、走り負けない体力つくりをしただけでした。それでも、効果が適面に出て南空知大会で優勝し全道大会に連れてゆけたのです。ただ全道大会に行く段になって、素人の悲しみを味わいました。生徒が出身中学のコートを借りて稽古をしたいというので、それを許した結果、中学のバスケットの顧問の先生にコーチをお願いしなければならなくなり、私は単なる顧問になる羽目になったのでした。これは苦い思い出です。

 結局、美唄で始めた詩吟が、趣味として私の詩先生を深めてくれました。
コメント
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