手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

札幌西陵高校の創立3年目までの教員の集いの案内が来た

2019-08-24 18:49:01 | 身辺雑記
 私は美唄東高校から札幌西陵高校へ転勤してきました。当時、高校の新設がラッシュみたいな有様で、西陵高校も新設3年目の学校でした。校舎が建設される前に開校となり、北区の札幌北高校の敷地に仮設の校舎が建てられていました。一学年10クラスのマンモス高校でした。
 3月に転任が決定し、挨拶に来たときの光景が今も鮮明に思い出される。仮設のプレハフ校舎の職員室へ入って驚きました。50人以上の先生方が職員室にお出ででしたが、話し声一つなく、ストーブのまわりりにタムロしている人は一人もいないのです。

 教頭先生が、対応してくれました。校務分掌は「庶務部長」をお願いしますといわれた。驚いた。美唄東16年の間、生徒指導関係の仕事がほとんどで、総務部長も務めましたが美唄ではそんなに苦労するようなこともなかったのてす。それが新設校の誰一人知り合いもいない学校でいきなり教頭の次の職務を命ぜられたのです。美唄では総務といっていたものが、ここでは庶務という名前でだったのです。そして、新任挨拶する前に今年度の学校行事、年間計画の作成、から入学式の立案まで準備しなければならないことになっていた。更に、前任者が前年度のフアイルを残してくれていないのです。更に、開校から二年間で作られた研究収録のようなものをどんと持ってきて、まだこんな程度しかできていないけれどという。これまでの高校でその一冊に相当するようなものを作ったこともないのです。

 とにかくやるしかありません。当時はPCはありません。総てガリ版で作らなければならないのです。作って校長の決済を受けなければなりません。仕方がありませんから、3月中に転居して、それから毎日出勤して書類作成に没頭しました。前任者が普通ならフアイルを残してくれているはずなのに、それがないし、アドバイスもしてくれないのです。未整理の書類の収納場所から探し出して、後は自分なりに作り上げてゆきましたが、新任挨拶の前から夜10時ころまで毎日仕事でした。良く務まったものだと思います。やはり力不足で、駄目だったのですね、1年で庶務部長を取り上げられました。そして、団体事務局長としてPTA・体育文化後援会、などの仕事に変えられました。これはうれしかった。自分に合った校務だったといえます。

 新築の校舎に移り、学校の地域への開放、、公開講座の取り組みは大成功でした。そんな取り組みの結果。全国高P連から優良PTAとして表彰を受けることができました

 校長が柳川先生で、全道に知られた厳しい先生でした。その怖さを身に染みて知っているのが、新設3年目までの先生だったといえます。それなりに思い出も多く、昔を懐かしみたいというこの企画は素敵なのですが、私は今宴会に出席できるような体力でありませんので、欠席の連絡をしました。
コメント
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